
クルーズ船で一泊した後、目を覚ますと、エドフの町で停船していました。

屋上デッキに上がると、太陽が昇ってきました。


明るくなったところで、まずは朝食です。

一階ロビーに今日のスケジュールが掲示してありました。
今日の主な行事としては、ホルス神殿とコム・オンボ神殿の見学、屋上デッキでのBBQの昼食、夜のヌビアン・ショーがあります。
朝食後にホルス神殿の見学に出かけましたが、これは別項目にて。

ホルス神殿から戻ったところで、食堂にてエジプトの古代文字であるヒエログリフのお勉強。
純粋な学習のためではなく、名前入りTシャツの注文を取るためのものです。

船は再び走り出し、ナイル川の眺めを楽しむ時間になりました。

岸辺には牛や羊が放牧されていました。

左岸に鉄道の駅が現れました。ナイル川沿いに鉄道が走っています。

周囲に人家は無く、完全な秘境駅です。

その先で遺跡が現れました。

山の斜面に沿って傾斜路が設けられて、その両側に建物が並んでいたようです。

先回のナイルクルーズの際にもこの廃墟には気が付いており、気になっていました。現地ガイドいデジカメ画像を見せて尋ねると、石切り場であった「セルセラの山」だろうということでした。Google マップでもそれらしい地形は確認できるのですが、ネットで調べても詳細は判りませんでした。

大きな神殿の壁が残っているようです。

上半身裸の男性や水着の女性はいましたが、プールで泳いでいる者はいませんでした。日向では暑く、日陰にいる必要がありました。涼しい船室とデッキを往復することになりました。

漁師の船。

西岸にあった集落。

クルーズ船を追い抜きました。船名を見ると、ラダミス2号でした。
この名前のファラオはいないので、ヴェルディの歌劇「アイーダ」における男主人公の名前からとった船名でしょう。丁度。iPODで「アイーダ」を聞いていたので驚きました。
なお、「アイーダ」は、「スエズ運河の開通(1869年)を記念して作曲された」あるいは「スエズ運河開通祝賀事業の一環としてカイロに建設されたオペラハウスの杮落し公演用に作曲された」といわれることがありますが、ヴェルディにオペラハウスの開場式典の祝賀音楽の作曲依頼があったものの、これは断られています。「アイーダ」の作曲依頼は、スエズ運河の開通やオペラハウスの杮落しも終わった後に行われています。
「アイーダ」作曲で注目すべきは、フランス人のエジプト考古学者のオギュスト・マリエットが原案を作っていることです。カイロのエジプト考古学博物館は彼の死後の創設ですが、その展示物のかなりの部分はマリエットの蒐集によるもので、前庭には彼の墓が造られています。
ナイルクルーズでは、時間に余裕があるので、本場のエジプトで「アイーダ」を聞くことをお勧めします。

中洲に放牧された羊。船で運んだのでしょう。

ナイル川には橋はほとんどなく、所々で渡し場を見かけます。

石切り場です。

ナイル川の川岸にあるため、石を船に積み込むことができます。

扉が閉められている小部屋が並んでおり、遺跡のようです。入口の脇の壁に像らしきものが見えます。

岩に部屋らしき穴が開けられています。

削った岩の上に大岩が落ちそうに載っています。

柱や屋根の形に削られた岩屋もありました。

昼になったのでBBQの昼食です。自分で焼くのかと思ったら、焼きあがった串焼きをとるというビュッフェスタイルでした。

ナリス川の上で食べる昼食は、最高のロケーションでした。

デザートもしっかりと。

荒野の中を進んできましたが、モスクも現れて、コム・オンボの町も近づいてきました。

屋上デッキに上がると、太陽が昇ってきました。


明るくなったところで、まずは朝食です。

一階ロビーに今日のスケジュールが掲示してありました。
今日の主な行事としては、ホルス神殿とコム・オンボ神殿の見学、屋上デッキでのBBQの昼食、夜のヌビアン・ショーがあります。
朝食後にホルス神殿の見学に出かけましたが、これは別項目にて。

ホルス神殿から戻ったところで、食堂にてエジプトの古代文字であるヒエログリフのお勉強。
純粋な学習のためではなく、名前入りTシャツの注文を取るためのものです。

船は再び走り出し、ナイル川の眺めを楽しむ時間になりました。

岸辺には牛や羊が放牧されていました。

左岸に鉄道の駅が現れました。ナイル川沿いに鉄道が走っています。

周囲に人家は無く、完全な秘境駅です。

その先で遺跡が現れました。

山の斜面に沿って傾斜路が設けられて、その両側に建物が並んでいたようです。

先回のナイルクルーズの際にもこの廃墟には気が付いており、気になっていました。現地ガイドいデジカメ画像を見せて尋ねると、石切り場であった「セルセラの山」だろうということでした。Google マップでもそれらしい地形は確認できるのですが、ネットで調べても詳細は判りませんでした。

大きな神殿の壁が残っているようです。

上半身裸の男性や水着の女性はいましたが、プールで泳いでいる者はいませんでした。日向では暑く、日陰にいる必要がありました。涼しい船室とデッキを往復することになりました。

漁師の船。

西岸にあった集落。

クルーズ船を追い抜きました。船名を見ると、ラダミス2号でした。
この名前のファラオはいないので、ヴェルディの歌劇「アイーダ」における男主人公の名前からとった船名でしょう。丁度。iPODで「アイーダ」を聞いていたので驚きました。
なお、「アイーダ」は、「スエズ運河の開通(1869年)を記念して作曲された」あるいは「スエズ運河開通祝賀事業の一環としてカイロに建設されたオペラハウスの杮落し公演用に作曲された」といわれることがありますが、ヴェルディにオペラハウスの開場式典の祝賀音楽の作曲依頼があったものの、これは断られています。「アイーダ」の作曲依頼は、スエズ運河の開通やオペラハウスの杮落しも終わった後に行われています。
「アイーダ」作曲で注目すべきは、フランス人のエジプト考古学者のオギュスト・マリエットが原案を作っていることです。カイロのエジプト考古学博物館は彼の死後の創設ですが、その展示物のかなりの部分はマリエットの蒐集によるもので、前庭には彼の墓が造られています。
ナイルクルーズでは、時間に余裕があるので、本場のエジプトで「アイーダ」を聞くことをお勧めします。

中洲に放牧された羊。船で運んだのでしょう。

ナイル川には橋はほとんどなく、所々で渡し場を見かけます。

石切り場です。

ナイル川の川岸にあるため、石を船に積み込むことができます。

扉が閉められている小部屋が並んでおり、遺跡のようです。入口の脇の壁に像らしきものが見えます。

岩に部屋らしき穴が開けられています。

削った岩の上に大岩が落ちそうに載っています。

柱や屋根の形に削られた岩屋もありました。

昼になったのでBBQの昼食です。自分で焼くのかと思ったら、焼きあがった串焼きをとるというビュッフェスタイルでした。

ナリス川の上で食べる昼食は、最高のロケーションでした。

デザートもしっかりと。

荒野の中を進んできましたが、モスクも現れて、コム・オンボの町も近づいてきました。