第10室 マヤの続きです。
サイル遺跡の復元された宮殿。近くのウシュマル遺跡と同じくプウク様式(マヤの言葉でユカタン半島中央部の丘陵地帯のこと)で造られています。
地下階に進むと、国立人類博物館の展示品として有名なヒスイの仮面が展示されています。
ヒスイの仮面は、パレンケの王墓から発見されたパカル王のもので、碑文の神殿の地下から発見されました。
パレンケは、ユカタン半島のつけねにあります。パレンケは、431年に開かれ、パカル王が統治した7世紀に繁栄しました。9世紀から都は段階的に放棄され、1746年にデ・ソリス神父が発見するまで、およそ800年の間ジャングルの中に眠ることになりました。
その地下王墓が実物大で再現されています。
1949年に、メキシコの考古学者のルイリエールが、碑文の神殿の修復を行っていると、床に石の栓が詰め込まれた奇妙な穴を発見しました。栓を抜いて石を持ち上げると、土や石で埋められた階段が現われました。地道な作業を続けて階段の下までたどり着くと、通路が現れましたが、厚さ3mの壁。これを壊して突破すると三角の石板が現れ、1952年にこれを開くとパカルの墓が現れました。
パカル王の墳墓の発見は、マヤのピラミッドは上に設けられた神殿の基壇であるという通説をつくがえすものになりました。
王の体には、水銀朱が一面に振りかけられており、翡翠の装身具がその周囲にちらばった状態で発見されました。
復元は難しかったようで、翡翠の仮面も、少し古い資料では違った姿をしています。口の中にも翡翠の球が入れてあります。
手には、翡翠の指輪がはめられて、翡翠の球を握りしめています。
棺と床の隙間に置かれていた頭部像のレプリカ。
右は、12歳で即位した時、左は成人したパカル王の姿を著したものと言われています。
パカル王の棺の蓋には、細かい彫刻が施されていました。(ネット上の画像を、白黒に変換して判りやすくしています。)
これは、オーパーツ(場違いな工芸品)の例として必ず取り上げられるものになっています。ロケットに乗り操縦桿を握った宇宙飛行士のように見えるため、古くからUFO研究家などからマヤ文明が宇宙人によって作られた文明であるとの根拠にされてきました。
宇宙船というよりは、スター・ウォーズに出てくるスピーダーバイクの方が良く似ていると思いますが。
なお、スター・ウォーズの一作目では、グアテマラにあるティカル遺跡が反乱軍の秘密基地として撮影に使われましたが、マヤ人は「スター・ウォーズ」を行っていたという説があります。1970年代末にマヤ文字の解読によって「古典期マヤ人は、金星の動きに合わせて、特に乾季に宵の明星として最初に昇る時に戦争を行った」という説が出ました。当時ヒットした映画から、この戦争はスター・ウォーズと呼ばれるようになりました。残念ながら、その後の研究の結果、スター・ウォーズの解読は誤りであったということになりました。どうもマヤ文明ではトンデモ本のネタに事欠かないようです。
実際には、縦に見るのが正解です。見る向きを変えただけで雰囲気が変わってきます。
中央に横たわるのがパカル王で、中央にあるのは、セイバの木で、天界に上る通路。上部には天界、下部には地下界が現されています。パカル王は、地下界の怪物に飲み込まれて、さらにそこから再生する様子が描かれているといいます。
正解はそうなのだとうと思いますが、宇宙船説の方が楽しいですね。
翡翠の仮面。
チチェン・イツァーの金星の基壇から発見されたチャック・モール。
チチェン・イツァーの祭壇を支える像。
チチェン・イツァーの聖なるセノーテは、儀式の場だったようで、 1882年と1968年には水を抜いて調査を行ったところ、金製品を始め、 銅、石、木、貝製品等の供物、さらに生贄と思われる、成人、子供の骨も回収されました。
ガイドツアーは、ここまでで、トイレや売店をのぞく自由時間になりました。
出口に向かう途中、第11室 西部をのぞいてみました。
内部で第12室 北部と続いていたようで、展示物がどちらのものかは判らなくなってしまいました。
土偶が並んでいました。
日本の縄文土器、「井戸尻遺跡群の坂上遺跡から出土した土偶」と良く似ていますね。
最後に売店をのぞいて見学は終了。博物館のガイド本が欲しかったのですが、スペイン語版しかなく断念しました。
ロングフライト後の見学で疲れましたが、見ごたえのある展示物で、これからの遺跡の見学が楽しみになりました。
サイル遺跡の復元された宮殿。近くのウシュマル遺跡と同じくプウク様式(マヤの言葉でユカタン半島中央部の丘陵地帯のこと)で造られています。
地下階に進むと、国立人類博物館の展示品として有名なヒスイの仮面が展示されています。
ヒスイの仮面は、パレンケの王墓から発見されたパカル王のもので、碑文の神殿の地下から発見されました。
パレンケは、ユカタン半島のつけねにあります。パレンケは、431年に開かれ、パカル王が統治した7世紀に繁栄しました。9世紀から都は段階的に放棄され、1746年にデ・ソリス神父が発見するまで、およそ800年の間ジャングルの中に眠ることになりました。
その地下王墓が実物大で再現されています。
1949年に、メキシコの考古学者のルイリエールが、碑文の神殿の修復を行っていると、床に石の栓が詰め込まれた奇妙な穴を発見しました。栓を抜いて石を持ち上げると、土や石で埋められた階段が現われました。地道な作業を続けて階段の下までたどり着くと、通路が現れましたが、厚さ3mの壁。これを壊して突破すると三角の石板が現れ、1952年にこれを開くとパカルの墓が現れました。
パカル王の墳墓の発見は、マヤのピラミッドは上に設けられた神殿の基壇であるという通説をつくがえすものになりました。
王の体には、水銀朱が一面に振りかけられており、翡翠の装身具がその周囲にちらばった状態で発見されました。
復元は難しかったようで、翡翠の仮面も、少し古い資料では違った姿をしています。口の中にも翡翠の球が入れてあります。
手には、翡翠の指輪がはめられて、翡翠の球を握りしめています。
棺と床の隙間に置かれていた頭部像のレプリカ。
右は、12歳で即位した時、左は成人したパカル王の姿を著したものと言われています。
パカル王の棺の蓋には、細かい彫刻が施されていました。(ネット上の画像を、白黒に変換して判りやすくしています。)
これは、オーパーツ(場違いな工芸品)の例として必ず取り上げられるものになっています。ロケットに乗り操縦桿を握った宇宙飛行士のように見えるため、古くからUFO研究家などからマヤ文明が宇宙人によって作られた文明であるとの根拠にされてきました。
宇宙船というよりは、スター・ウォーズに出てくるスピーダーバイクの方が良く似ていると思いますが。
なお、スター・ウォーズの一作目では、グアテマラにあるティカル遺跡が反乱軍の秘密基地として撮影に使われましたが、マヤ人は「スター・ウォーズ」を行っていたという説があります。1970年代末にマヤ文字の解読によって「古典期マヤ人は、金星の動きに合わせて、特に乾季に宵の明星として最初に昇る時に戦争を行った」という説が出ました。当時ヒットした映画から、この戦争はスター・ウォーズと呼ばれるようになりました。残念ながら、その後の研究の結果、スター・ウォーズの解読は誤りであったということになりました。どうもマヤ文明ではトンデモ本のネタに事欠かないようです。
実際には、縦に見るのが正解です。見る向きを変えただけで雰囲気が変わってきます。
中央に横たわるのがパカル王で、中央にあるのは、セイバの木で、天界に上る通路。上部には天界、下部には地下界が現されています。パカル王は、地下界の怪物に飲み込まれて、さらにそこから再生する様子が描かれているといいます。
正解はそうなのだとうと思いますが、宇宙船説の方が楽しいですね。
翡翠の仮面。
チチェン・イツァーの金星の基壇から発見されたチャック・モール。
チチェン・イツァーの祭壇を支える像。
チチェン・イツァーの聖なるセノーテは、儀式の場だったようで、 1882年と1968年には水を抜いて調査を行ったところ、金製品を始め、 銅、石、木、貝製品等の供物、さらに生贄と思われる、成人、子供の骨も回収されました。
ガイドツアーは、ここまでで、トイレや売店をのぞく自由時間になりました。
出口に向かう途中、第11室 西部をのぞいてみました。
内部で第12室 北部と続いていたようで、展示物がどちらのものかは判らなくなってしまいました。
土偶が並んでいました。
日本の縄文土器、「井戸尻遺跡群の坂上遺跡から出土した土偶」と良く似ていますね。
最後に売店をのぞいて見学は終了。博物館のガイド本が欲しかったのですが、スペイン語版しかなく断念しました。
ロングフライト後の見学で疲れましたが、見ごたえのある展示物で、これからの遺跡の見学が楽しみになりました。