さすらい人の独り言

山登り、日々の独り言。
「新潟からの山旅」別館
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さすらいの風景 シャフリサーブス その1

2013年06月13日 | 海外旅行
旅の五日目は、ブハラからシャフリサーブス経由でサマルカンドへ移動することになりました。今回の旅では、一番長時間の移動になりました。まずは、シャフリサーブスまで4時間の移動。

道は、「ステップ」と呼ばれる乾燥した原野の中に続いていました。



「ステップ」は、森林を形成するほど湿潤ではないが、砂漠というほど乾燥していないような原野で、中央アジアを中心とするものは最大規模のもので、グレートステップと呼ばれます。



緑が少ないように見えるステップでしたが、ポピーの花が群生して咲いていました。



車道脇をおじさんを乗っけたロバが歩いていました。ウズベキスタンでは、良くロバを見かけました。



シャフリサーブスが近づくと緑が多くなりました。



シャフリサーブスに到着してまずは昼食になりましたが、そこのレストランの家族の新婚さんです。新妻は、半年間の間は、客に対して正装して挨拶する習慣があるそうです。





シャフリサーブスは、ティムールの生まれ故郷として知られています。ティムールは、1336年、この地を治める豪族の家に生まれ、この地を基盤に勢力を広めていきました。帝国を築いた後も、都のサマルカンドに負けない壮麗な建築群を築いていきました。しかし、ティムールの死後の16世紀後半に、嫉妬にかられたブハラのハンによって、建物はほとんど破壊されてしまいました。

シャフリサーブスでは、まずアク・サライ宮殿跡を見学しました。



アク・サライ宮殿は、1380年に建築が開始され、ティムール死後の1405年まで建築が続けられました。現在では、入り口のアーチのみが残されています。



アク・サライとは、「白い宮殿」という意味ですが、実際には青と金色のタイルで装飾されていました。



現在のアーチの高さは38mですが、かつては50m以上あったようです。





塔の中ほどにアラビア文字が書かれています。東の円柱には、「スルタンはアラーの影である」という意味のことが書いてありますが、西の門には、スルタンは影である」としか書かれていないといいます。このミスのおかげで、建築家は塔の上から投げ落とされて殺されたといいます。



塔の間から見えているのは、ティムールの像です。

写真を撮っていると、若者の一団に囲まれて、どこから来たと聞かれました。日本からというとサッカーがどうのこうと言い出しました。ワールドカップで、ウズベキスタンの若者は、日本人というとワールドカップにおけるサッカーの相手として意識しているようです。ブラジルのファイナルゲームで合いましょうというと、お友達モードになって、一緒に記念写真を撮ることになりました。





南面に回り込みましたが、こちらは装飾が無くなっていました。



ティムール像は、タシケントのティムール広場にもありましたが、容貌はほぼ一緒でしすね。



アク・サライ宮殿跡は、廃墟になっているのは残念ですが、廃墟としての魅力があります。
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