さすらい人の独り言

山登り、日々の独り言。
「新潟からの山旅」別館
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さすらいの風景 カトマンドゥ その1

2012年03月16日 | 海外旅行
パタン観光を終えてカトマンドゥ市内に戻って昼食になりました。午後は、カトマンドゥ観光として、まずスワヤンブナートに向かいました。

その途中の車窓からナラヤンヒティ王宮博物館が見えました。

かつては、ナラヤンヒティ・ダルバートと呼ばれていましたが、2008年5月28日の王制廃止に伴い、博物館として一般公開されています。

ここで、2001年6月1日にビレンドラ国王一家5人を含む王族10人が死亡するナラヤンヒティ王宮事件が起きました。発砲したのは皇太子ディペンドラで、国王夫妻と長女、二男、国王の末弟、2人の姉という9人が殺害されました。自身も自殺を図り、重体のまま国王に即位しますが、二日後に死亡します。この事件の真相については、真犯人についての謎が残されており、いろいろな説が想像されています。



スワヤンブナートは、街の西はずれの丘の上にあります。これはスワヤンブナートの入り口のようですが、バスは丘の中腹まで上がってから歩き出すことになりました。



丘の麓には、仏像などが置かれていました。



はでに飾られた仏塔もありました。



中腹の駐車場からの境内への入り口。



境内に入ると、ブッダ・アイが描かれたストゥーパが目に入ってきました。



スワヤンブナートは、別名をモンキーテンプルと呼ばれるくらいに猿がたむろしています。



ネパールの仏寺は、このブッダ・アイが印象的です。描き方によってか、それぞれ表情が変わって見えます。



石段を上っていきます。



カトマンドゥの市街地の眺めが眼下に広がっていました。



丘の上には、巨大なストゥーパが置かれていました。

駐車場の先のストゥーパと比べるて、ボス・キャラといった感じのどうどうとした姿をしています。

スワヤンブナートは、ネパール最古の仏教寺院で、13世紀までカトマンドゥ盆地で最も重要な仏教の聖地となりました。15世紀のイスラム教徒侵入時に大きな被害を受けましたが、その後再建されました。



丘の上の境内は狭く、その中にさまざまな建物が並んでいます。これは、巡礼者の宿泊所。



ハリティ寺院

鬼子母神を祀っています。内部は撮影禁止のため、外観の撮影のみ。



ストゥーパの全景をみるため、ハリティ寺院の奥に進みました。



何かを語りかけているように見えます。



境内には、土産物屋も並んでいました。



小さなストゥーパが並んでいました。



ストゥーパの北側にゴンパ(僧院)があります。



中には、大きな仏像が飾られていました。仏像の前には、チベット仏教の指導者のダライ・ラマの写真が飾られていました。
20世紀後半から中国の武力行使によって故郷を追われたチベット人が、この寺院の周辺に住むようになったといいます。



奥に進むと、勤行が行われていました。



靴を脱いで部屋の中に入って、見学させてもらいました。



日本の仏教とは違った眺めです。拝観のお礼に、入り口の箱に喜捨を入れました。



巨大なドルジェ(金剛杆)も置かれていました。



青空が一時広がったので、改めてストゥーパの写真を撮りました。



スワヤンブナートは、世界遺産の構成施設の一つですが、ネパールならではの風景を眺めることができました。
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