
二日目の朝は、アンコール・ワットの日の出観光から始まりました。
朝食は戻ってからということにして、暗い中、バスに乗り込みました。アンコール・ワットの入り口でバスを下りると、東の空が赤くなってきました。
アンコール・ワットは、西から入場するように造られているため、日の出見物スポットになっています。

西塔門を過ぎた先の参道は、観光客で大混雑になっていました。

実際に太陽が顔を出すまでにはしばらく事案がかかるため、すいている場所を探すために、少し歩きまわりました。

聖池は、寺院の影を映し、水連も咲いて、美しい風景を見せていました。

昨日の昼間に訪れた時には、この水連の花はしぼんでおり、気がつきませんでした。

西塔門に近い所に陣取った観光客からどよめきが起こりました。太陽が昇ってきたようです。

塔の間から太陽が現れました。

太陽は、どんどん昇っていきます。

この日は春分の日で、太陽はアンコール・ワットの塔の真上に昇るとのことです。

実際には、建物の配置は、少しずれているようで、参道のてすり脇に左へ寄れるだけ寄って、太陽を塔にできるだけ近づけたのが、この写真です。昔の天文学の制度なら、許容範囲ということでしょう。
望遠ズームを使って、露出も補正して何枚も撮っていますが、日頃の山での御来光の撮影の経験が役にたっています。

太陽が昇って明るくなると、大多数の観光客は引き揚げました。ホテルに戻って、朝食をとり、改めて観光に出発です。
ひとつ疑問なのは、ツアーに日没と日の出の観光が組み込まれていることです。日本の山岳宗教ならば、御来光として宗教的な意味を与えているわけですが、カンボジアに伝わったヒンドュー経あるいは小乗仏教でも、そのような意味合いがあるのでしょうか。
朝食は戻ってからということにして、暗い中、バスに乗り込みました。アンコール・ワットの入り口でバスを下りると、東の空が赤くなってきました。
アンコール・ワットは、西から入場するように造られているため、日の出見物スポットになっています。

西塔門を過ぎた先の参道は、観光客で大混雑になっていました。

実際に太陽が顔を出すまでにはしばらく事案がかかるため、すいている場所を探すために、少し歩きまわりました。

聖池は、寺院の影を映し、水連も咲いて、美しい風景を見せていました。

昨日の昼間に訪れた時には、この水連の花はしぼんでおり、気がつきませんでした。

西塔門に近い所に陣取った観光客からどよめきが起こりました。太陽が昇ってきたようです。

塔の間から太陽が現れました。

太陽は、どんどん昇っていきます。

この日は春分の日で、太陽はアンコール・ワットの塔の真上に昇るとのことです。

実際には、建物の配置は、少しずれているようで、参道のてすり脇に左へ寄れるだけ寄って、太陽を塔にできるだけ近づけたのが、この写真です。昔の天文学の制度なら、許容範囲ということでしょう。
望遠ズームを使って、露出も補正して何枚も撮っていますが、日頃の山での御来光の撮影の経験が役にたっています。

太陽が昇って明るくなると、大多数の観光客は引き揚げました。ホテルに戻って、朝食をとり、改めて観光に出発です。
ひとつ疑問なのは、ツアーに日没と日の出の観光が組み込まれていることです。日本の山岳宗教ならば、御来光として宗教的な意味を与えているわけですが、カンボジアに伝わったヒンドュー経あるいは小乗仏教でも、そのような意味合いがあるのでしょうか。