さすらい人の独り言

山登り、日々の独り言。
「新潟からの山旅」別館
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さすらいの風景 ブダペスト その1

2011年09月28日 | 海外旅行
ブダペストの空港は、以前は、フェリヘジ空港と呼ばれていましたが、最近フェレンツ・リスト空港と名前が変わっています。

ブダ地区にあるホテルに向かう途中、ドナウ川の河畔を走ってくれて、バスの中から夜景見物ができました。

これは、自由橋で、対岸がゲレールトの丘です。

自由橋は、建国1000年を記念して1896年に造られました。着工時のフランツ・ヨージェフ皇帝にちなんで、フランツ・ヨージェフ橋と名付けられましたが、皇妃エルジューベトと違って人気のない皇帝であったため、第二次大戦後に修復された際に自由橋と呼ばれるようになりました。



続いて、エルジェーベト橋

エルジェーベトは、ハプスブルグ家皇妃エリザベートにちなんだ名前です。エリザベート(シシー)は、ハンガリーを愛し、オーストリア・ハンガリー二重帝国の成立に力をそそいだことから、ハンガリー人から慕われています。今回のブダペスト観光も、シシーの足跡をたどることがひとつの目的です。



国立美術館になっている王宮



エルジェーベト橋を振り返ったところ。



ブダペストの街でも名所にあげられるくさり橋。奥の丘の上には、マーチャース教会と漁夫の砦がライトアップされて見えています。

くさり橋は、ドナウ川の西に広がるブダと、東のペスト地区を結ぶ最初の橋でした。この橋が完成したのは、1849年、ハンガリーの国民的英雄セーチェニ・イシュトヴァーン伯爵の提唱によって、10年の年月をかけて完成されました。設計は、ロンドンのテームズ川のロンドン橋の設計者を招きました。この橋は、正式には、「セーチェニのくさり橋」と呼ばれます。

ハプスブルグ家の支配に対するハンガリーの独立運動、ナチスドイツによる破壊と1949年の再建、1956年のハンガリー動乱の際のソ連軍戦車の進攻、1989年の社会主義体制からの開放と、この橋は、ハンガリーの歴史の舞台になってきました。



くさり橋を渡ったあと、トンネルで王宮の丘を通り抜けると、ホテルまでは遠くない距離でした。

トンネル入り口のロータリーは、くさり橋の設計者にちなんで、クラーク・アーダーム広場と呼ばれています。



ブダペストでは、ホテル「ブダペスト」に泊まりました。



室内に値段表が張られており、それを見ると、シングル使用で、31500フォリント(約12600円)とのことです。バス付きの部屋ならば、それくらいのものでしょうね。今回泊まったホテルのうち、部屋に値段が張ってあったのはここだけでした。



ホテルの窓からは、少し身を乗り出すと、王宮の丘を眺めることができました。



時差の関係で、早くから目も覚めて、朝焼けの風景を眺めることができました。



ホテルに売店は無かったですが、すぐ近くにガソリンスタンドがあり、そこに24時間営業のコンビニが併設されており、ミネラルウォーターやビール、お菓子を買うことができました。このガソリンスタンド併設のコンビニは、今回の旅行のいずれの国でも見られました。
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