第四日目は、ダンブッラを見学した後、キャンディへ向かいました。
ダンブッラは、アヌラーダプラ、ポロンナルワ、キャンディの三都市を結ぶ文化三角地帯のほぼ中央の幹線道路沿いにあります。
ここでの見どころの石窟寺院は、この小山の山頂近くにあります。、
ダンブッラ石窟寺院の登り口は、この巨大な黄金大仏のある広場からになりますが、脇道を中腹まで上がってから歩き出すことになりました。
昨日のシーギリヤ・ロック登山で足に疲労が出ていて、助かった人も多かったようです。
歩き出すと、すぐに正規の参道に出ました。緩やかなカーブが付けられていて歩きやすくなっていますが、結構足にきます。
ひと汗かいて、石窟寺院の入口に到着しました。
岩山の山頂も間近に迫ってきていました。
結構登ってきています。
裸足になって境内に進みます。
紀元前1世紀、シンハラ朝第19代国王のワラガムバー王は、タミル人の手によってアヌラーダプラから追放されました。王は、修行僧の住処であったダンブッラの洞窟に保護され、15年後にアヌラーダプラへ帰還した後、感謝の念を持って寺院を建立しました。その後も、ダンブッラの寺院には多くの増築が施され、黄金寺院と呼ばれるまでになりました。、キャンディ王国の時代まで増築が施されて、現在は5つの石窟によって構成されるようになっています。現在では、各石窟の前に回廊が設けられて結ばれています。
まずはデーワ・ラージャ・ヴィハーラ(神々の王の石窟)と呼ばれる第一窟に入ります。
入口からは一部しか見えていませんが、第一窟には涅槃像が収められています。壁と同じ自然石に彫られており、約14mの長さがあります。
確かに、外からこの巨大な像を持ち込むことはできませんね。
足の裏は赤く塗られています。足の親指が揃っていないので涅槃像であることが判ります。
薄暗い中で見る仏像は神秘的あるいは不気味にも見えます。
堂内には他に五体の仏像が置かれていますが、左の赤い衣の像は釈迦の弟子のアーナンダとのこと。
なお、大乗仏教では沢山の神様の像が祀られているのに対し、上座部仏教(小乗仏教)では信仰の対象が釈迦如来だけのため、祀られる仏像も変化のつけようがないようで、数は沢山あっても単調なものになっています。その中で、例外的に釈迦如来の脇にアーナンダ(阿難)像が置かれていることがあります。アーナンダ(阿難)は、釈迦が死ぬまでの25年間常に近侍し、身の回りの世話も行っていたため、釈迦の弟子の中で教説を最も多く聞きよく記憶していたので「多聞第一」といわれました。
アーナンダ(阿難)の像は、敦煌の莫高窟でも見られますが、迦葉の像と対をなすように置かれています。若い美青年として描かれる阿難に対し、皺だらけの老人として描かれる迦葉のコントラストが、仏像製作者の腕の見せ所になっています。日本に中国経由で入ったのが大乗仏教であったことは、芸術の点からすれば幸運なことであった気がします。
壁いっぱいにフレスコ画が描かれています。ただ、石窟内は涅槃仏でいっぱいになっており、壁画まで鑑賞するには狭すぎます。
入口の上の天井画。
釈迦とその弟子が描かれています。
第一石窟の脇には、小さなヒンドゥー教の寺院が設けられていました。ヴィシュヌ神が祀られているようです。
入口の壁には、ヒンドゥー教の神々の絵が飾られていました。
これは、シヴァの息子のムルガン(スカンダ)のようです。インドラ神から神軍最高指揮官の地位を譲られた戦いの神で、インド南部のタミル人社会や、その移民の地であるスリランカで信仰されています。
これはヴィシュヌ神。
これもヴィシュヌ神。
蓮の花の上に立っているのでヴィシュヌ神の妻のラクシュミーでしょうか。この絵では、男女の違いが区別できませんけど。
仏教国のスリランカですが、ヒンドゥー教もかなり浸透しているようです。
ダンブッラは、アヌラーダプラ、ポロンナルワ、キャンディの三都市を結ぶ文化三角地帯のほぼ中央の幹線道路沿いにあります。
ここでの見どころの石窟寺院は、この小山の山頂近くにあります。、
ダンブッラ石窟寺院の登り口は、この巨大な黄金大仏のある広場からになりますが、脇道を中腹まで上がってから歩き出すことになりました。
昨日のシーギリヤ・ロック登山で足に疲労が出ていて、助かった人も多かったようです。
歩き出すと、すぐに正規の参道に出ました。緩やかなカーブが付けられていて歩きやすくなっていますが、結構足にきます。
ひと汗かいて、石窟寺院の入口に到着しました。
岩山の山頂も間近に迫ってきていました。
結構登ってきています。
裸足になって境内に進みます。
紀元前1世紀、シンハラ朝第19代国王のワラガムバー王は、タミル人の手によってアヌラーダプラから追放されました。王は、修行僧の住処であったダンブッラの洞窟に保護され、15年後にアヌラーダプラへ帰還した後、感謝の念を持って寺院を建立しました。その後も、ダンブッラの寺院には多くの増築が施され、黄金寺院と呼ばれるまでになりました。、キャンディ王国の時代まで増築が施されて、現在は5つの石窟によって構成されるようになっています。現在では、各石窟の前に回廊が設けられて結ばれています。
まずはデーワ・ラージャ・ヴィハーラ(神々の王の石窟)と呼ばれる第一窟に入ります。
入口からは一部しか見えていませんが、第一窟には涅槃像が収められています。壁と同じ自然石に彫られており、約14mの長さがあります。
確かに、外からこの巨大な像を持ち込むことはできませんね。
足の裏は赤く塗られています。足の親指が揃っていないので涅槃像であることが判ります。
薄暗い中で見る仏像は神秘的あるいは不気味にも見えます。
堂内には他に五体の仏像が置かれていますが、左の赤い衣の像は釈迦の弟子のアーナンダとのこと。
なお、大乗仏教では沢山の神様の像が祀られているのに対し、上座部仏教(小乗仏教)では信仰の対象が釈迦如来だけのため、祀られる仏像も変化のつけようがないようで、数は沢山あっても単調なものになっています。その中で、例外的に釈迦如来の脇にアーナンダ(阿難)像が置かれていることがあります。アーナンダ(阿難)は、釈迦が死ぬまでの25年間常に近侍し、身の回りの世話も行っていたため、釈迦の弟子の中で教説を最も多く聞きよく記憶していたので「多聞第一」といわれました。
アーナンダ(阿難)の像は、敦煌の莫高窟でも見られますが、迦葉の像と対をなすように置かれています。若い美青年として描かれる阿難に対し、皺だらけの老人として描かれる迦葉のコントラストが、仏像製作者の腕の見せ所になっています。日本に中国経由で入ったのが大乗仏教であったことは、芸術の点からすれば幸運なことであった気がします。
壁いっぱいにフレスコ画が描かれています。ただ、石窟内は涅槃仏でいっぱいになっており、壁画まで鑑賞するには狭すぎます。
入口の上の天井画。
釈迦とその弟子が描かれています。
第一石窟の脇には、小さなヒンドゥー教の寺院が設けられていました。ヴィシュヌ神が祀られているようです。
入口の壁には、ヒンドゥー教の神々の絵が飾られていました。
これは、シヴァの息子のムルガン(スカンダ)のようです。インドラ神から神軍最高指揮官の地位を譲られた戦いの神で、インド南部のタミル人社会や、その移民の地であるスリランカで信仰されています。
これはヴィシュヌ神。
これもヴィシュヌ神。
蓮の花の上に立っているのでヴィシュヌ神の妻のラクシュミーでしょうか。この絵では、男女の違いが区別できませんけど。
仏教国のスリランカですが、ヒンドゥー教もかなり浸透しているようです。