
バイヨンを北の出口から出て、北に進みます。

新しいもののようですが、大きな仏像が置かれていました。

パプーオンというピラミッド型寺院が木立の奥に見えていました。
この遺跡の名前パプーオンは「隠し子」という意味です。その昔、シャムとカンボジアの王は兄弟でした。友好の印に、シャムの王は、子供をカンボジアの王のもとに送ります。ところがカンボジアの廷臣は、シャムの王が国を乗っ取ろうとする謀略だと王に提言し、王は子供を殺してしまいます。怒ったシャムは、カンボジアに大軍を侵攻させます。カンボジアの王妃は、我が子が殺されるのを心配し、この寺院に子供を隠し、これがパプーオンの名前の由来になったといいます。
現在では、中心部は再建の工事中とのことで、そのまま通過でした。

広大な広場に出ますが、その縁に沿って、「象のテラス」と呼ばれる、象のレリーフが施された壁が続いています。王が軍隊の閲兵を行った王宮前のテラスへと続き、その奥のライ王のテラスと合わせると、長さが300mほどあります。
気温も38度ほどに上がって、歩くのも汗だくの状態になってきました。予想以上のハードな観光です。

象と象使いのレリーフが描かれています。

戦いではなく、狩りの様子を描いたもののようです。

テラスの上り口の像です。


途中から図柄が変わり、ガルーダとガジャシンハ(ライオンとガルーダが一体化したもの)が交互に並ぶようになります。

王宮の入り口

どちらがガルーダ、あるいはガジャシンハなのかは良く判りませんね。

テラスの上の像。

象のテラスの北には、「ライ王のテラス」が並んでいます。
壁には、神々や阿修羅族の像が彫られています。
テラスの上には、ライ王の像が置かれていますが、本物はプノンペンの国立博物館にあり、ここのものはレプリカです。残念ながらテラスの上には上がらずに通過でした。
もっとも、最近の研究では、この像は閻魔大王のようであるとされているようですが、地元の人はライ王として参拝しているようです。

ここは、三島由紀夫の戯曲「癩王のテラス」の舞台となったことでも知られています。
若く栄光に包まれたジャヤ・ヴァルマン七世王は、己の肉体が腐れ果てていく業病にかかったなか、バイヨン寺院の建築に執念を燃やしま。王を愛する第一王妃、第二王妃、王太后は、それぞれの方法で彼に尽くそうとしますが、王は、バイヨンと対峙しながら独りで死んでいきます。
最後は、肉体(現実)と精神(幻想)の対話となり、肉体の勝利で終わります。
「癩王のテラス」は、三島由紀夫が自殺する直前の最晩年の作品ですが、物語がハンセン病を扱い、「癩病」という言葉自体が差別用語とされているため、現在では上演はまず不可能、出版物も文庫本は絶版になっているようです。ただし、図書館で三島由紀夫全集をさがせば、確実に読むことができるんで、アンコール遺跡に興味のある人は必読ですね。
本当の差別は、「癩病」という言葉ではなく、罹患者に対する仕打ちであったと思いますので、あえて差別用語を使うのと同時に、北条民雄著「いのちの初夜」を一読することを薦めることにします。

新しいもののようですが、大きな仏像が置かれていました。

パプーオンというピラミッド型寺院が木立の奥に見えていました。
この遺跡の名前パプーオンは「隠し子」という意味です。その昔、シャムとカンボジアの王は兄弟でした。友好の印に、シャムの王は、子供をカンボジアの王のもとに送ります。ところがカンボジアの廷臣は、シャムの王が国を乗っ取ろうとする謀略だと王に提言し、王は子供を殺してしまいます。怒ったシャムは、カンボジアに大軍を侵攻させます。カンボジアの王妃は、我が子が殺されるのを心配し、この寺院に子供を隠し、これがパプーオンの名前の由来になったといいます。
現在では、中心部は再建の工事中とのことで、そのまま通過でした。

広大な広場に出ますが、その縁に沿って、「象のテラス」と呼ばれる、象のレリーフが施された壁が続いています。王が軍隊の閲兵を行った王宮前のテラスへと続き、その奥のライ王のテラスと合わせると、長さが300mほどあります。
気温も38度ほどに上がって、歩くのも汗だくの状態になってきました。予想以上のハードな観光です。

象と象使いのレリーフが描かれています。

戦いではなく、狩りの様子を描いたもののようです。

テラスの上り口の像です。


途中から図柄が変わり、ガルーダとガジャシンハ(ライオンとガルーダが一体化したもの)が交互に並ぶようになります。

王宮の入り口

どちらがガルーダ、あるいはガジャシンハなのかは良く判りませんね。

テラスの上の像。

象のテラスの北には、「ライ王のテラス」が並んでいます。
壁には、神々や阿修羅族の像が彫られています。
テラスの上には、ライ王の像が置かれていますが、本物はプノンペンの国立博物館にあり、ここのものはレプリカです。残念ながらテラスの上には上がらずに通過でした。
もっとも、最近の研究では、この像は閻魔大王のようであるとされているようですが、地元の人はライ王として参拝しているようです。

ここは、三島由紀夫の戯曲「癩王のテラス」の舞台となったことでも知られています。
若く栄光に包まれたジャヤ・ヴァルマン七世王は、己の肉体が腐れ果てていく業病にかかったなか、バイヨン寺院の建築に執念を燃やしま。王を愛する第一王妃、第二王妃、王太后は、それぞれの方法で彼に尽くそうとしますが、王は、バイヨンと対峙しながら独りで死んでいきます。
最後は、肉体(現実)と精神(幻想)の対話となり、肉体の勝利で終わります。
「癩王のテラス」は、三島由紀夫が自殺する直前の最晩年の作品ですが、物語がハンセン病を扱い、「癩病」という言葉自体が差別用語とされているため、現在では上演はまず不可能、出版物も文庫本は絶版になっているようです。ただし、図書館で三島由紀夫全集をさがせば、確実に読むことができるんで、アンコール遺跡に興味のある人は必読ですね。
本当の差別は、「癩病」という言葉ではなく、罹患者に対する仕打ちであったと思いますので、あえて差別用語を使うのと同時に、北条民雄著「いのちの初夜」を一読することを薦めることにします。