さすらい人の独り言

山登り、日々の独り言。
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堂場山と小谷山 (2009.4.26.)

2009年04月30日 | 登山
雨の日曜日、裏磐梯でまだ歩いていないハイキングコースの堂場山と小谷山城跡を歩いてきました。

堂場山は、桧原湖西岸の岬状に飛び出した尾根上にあります。桧原湖は、磐梯山の噴火によってできたもので、この堂場山も、もともとは山間部の盆地に張り出した尾根でした。

幅広の遊歩道が整備されていますが、残雪も残っていました。



尾根をトラバース気味に進んでいくと、谷間にはミズバショウのお花畑が広がっていました。



ブナやナラの林の中を緩やかに上下しながらの道が続きました。歩き始めは小雨が降っていたものの、いつか止んでいました。



両脇に湖面が広がっているのですが、木立のために完全に展望が開けることはありませんでした。



二つ目のピークに上がると、岩山城自刃之館跡という標柱が現れました。

堂場山は、桧木谷地の平野に突出した急峻な尾根になっており、穴沢一族が守る岩山城が置かれていました。会津を治めていた蘆名氏は、米沢街道の守りのために配下の穴沢一族に岩山城を守らせ、伊達正宗の会津侵攻を防いできました。ある時、檜原宿に移動してきたサウナ風呂屋で遊興中のところに奇襲を受けて惨殺され、一族すべてが討ち死にして落城したと言われています。



堂場山の山頂は、山頂標識も無く木立に囲まれ、知らずに通過してしまうような所でした。



道はさらに岬の突端まで続いています。最後は、水面から10m程の高さの崖になって終わっていました。遊歩道入口から堂場山の山頂までよりは、登り返しの方がきつく感じられました。



下山後、桧原の集落に移動してみた堂場山です。



続いて、金山の集落の北に位置する小谷山城址を登りました。



緩やかに登っていく遊歩道が整備されています。



小谷山の山頂です。はっきりした土塁や空堀の跡が残されています。

小谷山城は、伊達正宗が会津に攻め入った時に、岩山城を落とした後に、この山頂に山城を置いて守りを固めたものです。敵同士になりますが、岩山城と対になる城です。



下山は、早稲沢側の道を下りました。



桧原からの眺めですが、手前の低いピークが山城の置かれた小谷山です。(写真は、4月29日の撮影。)



桧原には、穴沢一族のお墓の五輪塔が置かれています。桧原湖の湖底に沈んだものを、渇水時に引き上げて移したものだそうです。

観光地としてにぎわう桧原湖東岸と違って、西岸は静かに歴史と風景を楽しむことができます。
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2 コメント

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桧原湖は・・・ (インレッド)
2009-04-30 20:07:37
このあたりは中学生の頃、友達と3人で歩き
テン泊しました。遠い昔のことで、穴沢一族
の話など全く知らない、懐かしい想い出の
ある所です。

さて連休はどちらだったでしょうか??。
Unknown (さすらい人)
2009-04-30 23:34:39
低山歩きは、歴史散歩も兼ねると面白いですね。

報告が間に合わないので、火曜日の山を言っておきますと、続けて裏磐梯に行き、旧米沢海道から桧原峠を経由して相渡に登りました。天地人の放送のおかげで、桧原峠までの道は整備されています。相渡は、藪山で、残雪利用もぎりぎりでした。

では、連休をお楽しみください。

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