さすらい人の独り言

山登り、日々の独り言。
「新潟からの山旅」別館
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さすらいの風景 ヒヴァ その6

2013年05月24日 | 海外旅行
タシュ・ハウリ宮殿のハーレムを出て、内城の東側にやってきました。



東門としてパルヴァン・ダルバザ門が設けられています。



パルヴァン・ダルバザ門の内部は薄暗く奥行きがあります。



パルヴァン・ダルバザ門は、奴隷の門とも呼ばれます。ここでは、奴隷の売買が行われていました。門の中の小部屋は、奴隷のための牢獄でしょうか。奴隷は、トルコ人部族やカザフ族に売られました。ヒヴァのハンは、奴隷を仕入れるために、周辺の住民や旅人を襲わせたといいます。

19世紀のはじめには、ロシアはロシア人奴隷の開放を要求して軍隊を派遣し、1873年ヒヴァを陥落させました。解放時の報告では、ロシア人奴隷は3000人ほどで、それ以外に3万人の奴隷がいたといいます。

ヒヴァの歴代のハンは、恐怖による統治を行っており、拷問や処刑を公開で行っていたといいいます。

いわれを聞くと、余計に陰惨な感じがします。



外から眺めたパルヴァン・ダルバザ門。



内城(イチャン・カラ)の外にもミナレットが立っていました。



続いて、アラクリ・ハン・メドレセへ。



アラクリ・ハン・メドレセは、アラクリ・ハンが、1830年から1840年にかけて、東門やバザール、キャラバン・サライと共に建てさせたものです。



中庭に面した建物は、他と同じ土産物屋になっています。

中庭では、伝統舞踊ショーが行われるのですが、雨のために隣接するレストラン内のホールで行われることになりました。この伝統舞踊ショーは、自由時間内の希望者ということだったのですが、朝から雨の中を歩き続けていたので疲れも出ており、ツアー参加者が全員見学することになりました。お茶とつまみも出されたので、良い休憩タイムになりました。



ショーが始まるまで少し時間があったので、イスラーム・ホジャ・ミナレットを上ることにしました。



イスラーム・ホジャ・ミナレットは、ヒヴァで一番の45mの高さを持っています。頂上までは118段の階段があります。通路は細く急で暗いため、懐中電灯が必要です。急なために自然に手をついてしまうため、懐中電灯を口にくわえて登りましたが、そのために余計に息がきれました。



登りの人に追いつくことがなかったので、5分ほどで一気に上りきることができました。

ジュマ・モスクとミナレットが下に見えています。



青いドームは、パフラヴァン・マフムド廟。奥にカルタ・ミナルが見えています。



カルタ・ミナルの右は、キョフナ・アルクが広がっています。



イチャン・カラ内の居住地域。



急いでアラクリ・ハン・メドレセに戻り、民族舞踊ショーを見学しました。

総勢六名の家族経営の舞踊団です。



子供の踊りが大熱演でした。









鳥のマネをした踊りで、床に置いたエサに見立てた布を口で咥えて取りました。



女性の踊り。母親でしょうか。衣装は中央アジアを感じさせる異国的なものです。









最後は、観客も誘い出しての踊り。

40分程のショーでしたが、楽しめました。



これで、イチャン・カラでの見学は終わり、土産物屋をのぞきながら入り口の西門に向かいました。





観光客用に置かれているラクダ。



指人形。ちょっと間の抜けた顔が気に入って、持って帰るのが少々大変でしたが、買ってしまいました。



フッジャ人形。フッジャ・ナスレディンについては、ブハラのところにて。

この後、ヒヴァの郊外にあるクブラ・トザ・ホグ宮殿に夕食のために向かいました。
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