
展望テラスで汗をぬぐいながらひと休みした後は、岩壁巡りになります。トラバース後に、らせん階段を登ります。岩に昔の通路の土台と見られる窪みが見られますが、どのような設備が設けられていたのでしょうか。

上り下りの専用らせん階段が設けられており、垂直の岩壁を一気に上がります。金網に囲まれているので危険性は無いものの、高度感はかなりあります。
、

らせん階段を登ったところで、シーギリヤ・レディーと呼ばれる壁画が描かれた洞窟に出ます。
スリランカ旅行でもこのシーギリヤ・レディーは最大の見どころになっていますが、今年になってから壁画の保護のために写真撮影が禁止になってしまっていました。仕方のないことなので、絵葉書の画像を載せておきます。
私が到着した時は、観光客も途切れており、絶好の撮影条件だったのですがね。

シーギリヤ・レディーは、フレスコ画の手法で描かれており、五世紀に描かれてから時を経ても、美しい色彩が残されています。かつては岩山の壁に300人ほどの絵が描かれていたといいますが、現在残されているのは18人のみになっています。

カーシャバ王は、殺害してしまった父の霊を慰めるために、シーギリヤ・レディーを描かせたといわれています。シーギリヤ・レディーは、天国に住む妖精アップサラ、あるいは貴人の像(裸の女性が貴人で、服を着ているのが侍女)、さらにアップサラに王の侍女が仕えているところと、様々に考えられています。描かれている女性は、肌の色や顔つきからアフリカや中国など世界各国から来ていることが判ります。
写真撮影ができないので、この妖艶な女性像をゆっくり眺めることにしました。

らせん階段を下りていく途中、これから進むミラーウォールが下に見えてきました。岩壁がオーバーハングになっており、水が当たらないようになっていたようです。

シーギリヤ・レディーの洞窟まで結構上ったのですが、再び展望テラスのレベルまで下りてきてしまいました。

ミラーウォールからせん階段を振り返ってところ。

ミラーウォールは、鏡のように磨き上げられた壁を持つことから名前が付けられています。かつては、向かいあう岩壁にも女性像が描かれており、ミラーウォールが鏡のように絵を写していたといいます。

ミラーウォールには、古いいたずら書きが見られます。これらは、興亡物語の叙事詩や壁画の乙女たちの姿や岩山の雄大さを湛えた詩で、シンハラ語とシンハラ文字の推移を知る手掛かりになっているといいます。

ミラーウォールの先は、再び上り階段が続くようになります。途中で、下界の眺めを見ながら一息つきました。登山を趣味としている私には、足にくる登りではないにしても、暑さが堪えるようになってきました。
水の庭園と中央の通路が見えていますが、その右手の木立に囲まれた大岩は、像の背中に似ていることからエレファント・ロックと呼ばれています。

上りの途中、岩山の脇にテラスが設けられていますが、防御施設として使われていたようで、崖の上に敵に向かって落とす岩が置かれています。

下山方向への道を分けると、すぐ先でテラスに出ます。ここには、巨大なライオンの爪の彫刻が残されており、ライオンの入口と呼ばれています。かつてはライオンが大きく口を開けて座った姿になっていたといいます。
シンハラ語で、ライオンは「シン」、のどは「ギリヤ」といい、「ライオンののど(シンギリヤ)」が、ここの地名のシーギリヤの語源になっています。

巨大な爪の彫刻を見ると、頭部があった時代の迫力を想像せずにはいられません。
ここのテラスは、風が吹き抜けて心地よく、他のメンバーの記念撮影を待つ間にひと息つくことができました。

頂上へ続く階段上りも目でおうことができました。
なお、夏には、この岩場にススメバチの巣ができてしまうといいます。ライオンの入口には、スズメバチを避ける避難小屋も設けてありますが、山頂への道は閉鎖になるといいます。どうしても行きたいという人には、スズメバチの駆除にも使われる全身を覆う防御服も借りることができるようですが、猛暑の中、防御服を着てこの階段を登るのは相当の覚悟が必要そうです。

最後の上りの途中から見下ろしたライオンの入口前の広場。なかなかの高度感です。

もう少しで山頂。

階段を上り終え、後続を待ちながら周辺の眺めを楽しみました。シーギリヤ・ロックと向かい合うこの山は、ピドゥランガラといい、ここにも石窟寺院があるようです。

上り下りの専用らせん階段が設けられており、垂直の岩壁を一気に上がります。金網に囲まれているので危険性は無いものの、高度感はかなりあります。
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らせん階段を登ったところで、シーギリヤ・レディーと呼ばれる壁画が描かれた洞窟に出ます。
スリランカ旅行でもこのシーギリヤ・レディーは最大の見どころになっていますが、今年になってから壁画の保護のために写真撮影が禁止になってしまっていました。仕方のないことなので、絵葉書の画像を載せておきます。
私が到着した時は、観光客も途切れており、絶好の撮影条件だったのですがね。

シーギリヤ・レディーは、フレスコ画の手法で描かれており、五世紀に描かれてから時を経ても、美しい色彩が残されています。かつては岩山の壁に300人ほどの絵が描かれていたといいますが、現在残されているのは18人のみになっています。

カーシャバ王は、殺害してしまった父の霊を慰めるために、シーギリヤ・レディーを描かせたといわれています。シーギリヤ・レディーは、天国に住む妖精アップサラ、あるいは貴人の像(裸の女性が貴人で、服を着ているのが侍女)、さらにアップサラに王の侍女が仕えているところと、様々に考えられています。描かれている女性は、肌の色や顔つきからアフリカや中国など世界各国から来ていることが判ります。
写真撮影ができないので、この妖艶な女性像をゆっくり眺めることにしました。

らせん階段を下りていく途中、これから進むミラーウォールが下に見えてきました。岩壁がオーバーハングになっており、水が当たらないようになっていたようです。

シーギリヤ・レディーの洞窟まで結構上ったのですが、再び展望テラスのレベルまで下りてきてしまいました。

ミラーウォールからせん階段を振り返ってところ。

ミラーウォールは、鏡のように磨き上げられた壁を持つことから名前が付けられています。かつては、向かいあう岩壁にも女性像が描かれており、ミラーウォールが鏡のように絵を写していたといいます。

ミラーウォールには、古いいたずら書きが見られます。これらは、興亡物語の叙事詩や壁画の乙女たちの姿や岩山の雄大さを湛えた詩で、シンハラ語とシンハラ文字の推移を知る手掛かりになっているといいます。

ミラーウォールの先は、再び上り階段が続くようになります。途中で、下界の眺めを見ながら一息つきました。登山を趣味としている私には、足にくる登りではないにしても、暑さが堪えるようになってきました。
水の庭園と中央の通路が見えていますが、その右手の木立に囲まれた大岩は、像の背中に似ていることからエレファント・ロックと呼ばれています。

上りの途中、岩山の脇にテラスが設けられていますが、防御施設として使われていたようで、崖の上に敵に向かって落とす岩が置かれています。

下山方向への道を分けると、すぐ先でテラスに出ます。ここには、巨大なライオンの爪の彫刻が残されており、ライオンの入口と呼ばれています。かつてはライオンが大きく口を開けて座った姿になっていたといいます。
シンハラ語で、ライオンは「シン」、のどは「ギリヤ」といい、「ライオンののど(シンギリヤ)」が、ここの地名のシーギリヤの語源になっています。

巨大な爪の彫刻を見ると、頭部があった時代の迫力を想像せずにはいられません。
ここのテラスは、風が吹き抜けて心地よく、他のメンバーの記念撮影を待つ間にひと息つくことができました。

頂上へ続く階段上りも目でおうことができました。
なお、夏には、この岩場にススメバチの巣ができてしまうといいます。ライオンの入口には、スズメバチを避ける避難小屋も設けてありますが、山頂への道は閉鎖になるといいます。どうしても行きたいという人には、スズメバチの駆除にも使われる全身を覆う防御服も借りることができるようですが、猛暑の中、防御服を着てこの階段を登るのは相当の覚悟が必要そうです。

最後の上りの途中から見下ろしたライオンの入口前の広場。なかなかの高度感です。

もう少しで山頂。

階段を上り終え、後続を待ちながら周辺の眺めを楽しみました。シーギリヤ・ロックと向かい合うこの山は、ピドゥランガラといい、ここにも石窟寺院があるようです。