エジプト観光は、ギザのピラミッド見学から始まりました。
ギザは、カイロの対岸に当たるナイル川左岸の高台にあり、クフ王、カフラー王、メンカウラー王の三つのピラミッドとスフィンクスがあります。
ホテルを出発するとまもなくピラミッドが目に入ってきて、期待が高まりました。
クフ王のピラミッド内部に入るには、午前、午後それぞれ150人の人数制限があるため、ホテルを早めに出て、切符売り場でしばらく待ちました。長い列ができましたが、早起きしてまで見ようとするためか、日本人が目立ちました。
入場して坂を登っていくと、クフ王のピラミッドが目の前にそそり立っていました。
クフ王のピラミッドは、高さ137mで、頂点部が10mほど失われています。底辺は230m。ピラミッドの上には、鉄線が立てられていますが、これは避雷針ではなく、本来の高さを示しています。
脇には、カフラー王のピラミッドを眺めることができます。これは高さ143mで、底辺は215m。頂上部には、表面を覆っていた化粧板が残っています。
積み石は、第一段が1.5m、第二段が1.2mで、それより上は65mから90mの高さの石灰岩が使用され、建築当時の石段の数は210段でした。平均重量2.5トンの石が268万トン使用されているともいいます。
近寄ってみると、垂直に見えます。登るのは禁止されていますが、登ってみたとすれば、足場はあるものの、足元が137m落ち込む岩場といった感じになると思います。
壁にある上の窪地は、本来の入り口で、下の人が入っていくのが、9世紀後半にカリフ・アルマムーンが孔をうがって、内部の調査を行った時の入り口です。
ピラミッド内部へのカメラの持ち込みは禁止されているため、カメラをガイドにあずけて中に入ります。
ピラミッド内部の構造です。
入り口からカリフ・アルマムーンの掘った穴を進んでいくと、本来の入り口からの通路に出ます。閉鎖されている下降通路の分岐からは上昇通路になります。
前かがみにならないと歩けない狭い通路に加えて渋滞で前に進めず、ものすごい暑さになってきました。
王妃の間に続く水平道は閉鎖されていましたが、この分岐を過ぎると大回廊に出ました。高さ8.5mで、越しが伸ばせてほっとしますが、長さ50mの登り坂に汗がしたたりおちました。扇子を持ってきたのは政界でした。
体を折り曲げて通過する壁に囲まれた控えの間を通過すると王の間(玄室)に到着しました。壁にはなんの飾りもなく、壊れかけた石棺が置かれているだけです。ここの照明は薄暗いため、ライトを持っていればよくみることができます。
カリフ・アルマムーンが入った時も、ここにはミイラも財宝も無かったということです。
ピラミッドは、王の墓という説が広がっていましたが、一人の王が複数のピラミッドをつくっていたりしているため、否定されているようです。最近では、ナイル川の氾濫期に仕事の無い農民を救済するための公共工事であったという説に代わってきています。
玄室の上には、「重力軽減の間」とも呼ばれる空洞があり、ここの壁にクフ王の名前が見られたことから、クフ王が造ったピラミッドということが判りました。
これは、カイロ考古学博物館に収納されているクフ王の像です。象牙製で高さ7.5cmの小さな像ですが、クフ王の像としてはこれだけしか見つかっていません。これだけ巨大なピラミッドを造った王の像がこれだけしか残っていないというのも不思議なことです。
ピラミッドの中には、まだ発見されていない部屋がある可能性もあり、謎はまだのこされています。
ギザは、カイロの対岸に当たるナイル川左岸の高台にあり、クフ王、カフラー王、メンカウラー王の三つのピラミッドとスフィンクスがあります。
ホテルを出発するとまもなくピラミッドが目に入ってきて、期待が高まりました。
クフ王のピラミッド内部に入るには、午前、午後それぞれ150人の人数制限があるため、ホテルを早めに出て、切符売り場でしばらく待ちました。長い列ができましたが、早起きしてまで見ようとするためか、日本人が目立ちました。
入場して坂を登っていくと、クフ王のピラミッドが目の前にそそり立っていました。
クフ王のピラミッドは、高さ137mで、頂点部が10mほど失われています。底辺は230m。ピラミッドの上には、鉄線が立てられていますが、これは避雷針ではなく、本来の高さを示しています。
脇には、カフラー王のピラミッドを眺めることができます。これは高さ143mで、底辺は215m。頂上部には、表面を覆っていた化粧板が残っています。
積み石は、第一段が1.5m、第二段が1.2mで、それより上は65mから90mの高さの石灰岩が使用され、建築当時の石段の数は210段でした。平均重量2.5トンの石が268万トン使用されているともいいます。
近寄ってみると、垂直に見えます。登るのは禁止されていますが、登ってみたとすれば、足場はあるものの、足元が137m落ち込む岩場といった感じになると思います。
壁にある上の窪地は、本来の入り口で、下の人が入っていくのが、9世紀後半にカリフ・アルマムーンが孔をうがって、内部の調査を行った時の入り口です。
ピラミッド内部へのカメラの持ち込みは禁止されているため、カメラをガイドにあずけて中に入ります。
ピラミッド内部の構造です。
入り口からカリフ・アルマムーンの掘った穴を進んでいくと、本来の入り口からの通路に出ます。閉鎖されている下降通路の分岐からは上昇通路になります。
前かがみにならないと歩けない狭い通路に加えて渋滞で前に進めず、ものすごい暑さになってきました。
王妃の間に続く水平道は閉鎖されていましたが、この分岐を過ぎると大回廊に出ました。高さ8.5mで、越しが伸ばせてほっとしますが、長さ50mの登り坂に汗がしたたりおちました。扇子を持ってきたのは政界でした。
体を折り曲げて通過する壁に囲まれた控えの間を通過すると王の間(玄室)に到着しました。壁にはなんの飾りもなく、壊れかけた石棺が置かれているだけです。ここの照明は薄暗いため、ライトを持っていればよくみることができます。
カリフ・アルマムーンが入った時も、ここにはミイラも財宝も無かったということです。
ピラミッドは、王の墓という説が広がっていましたが、一人の王が複数のピラミッドをつくっていたりしているため、否定されているようです。最近では、ナイル川の氾濫期に仕事の無い農民を救済するための公共工事であったという説に代わってきています。
玄室の上には、「重力軽減の間」とも呼ばれる空洞があり、ここの壁にクフ王の名前が見られたことから、クフ王が造ったピラミッドということが判りました。
これは、カイロ考古学博物館に収納されているクフ王の像です。象牙製で高さ7.5cmの小さな像ですが、クフ王の像としてはこれだけしか見つかっていません。これだけ巨大なピラミッドを造った王の像がこれだけしか残っていないというのも不思議なことです。
ピラミッドの中には、まだ発見されていない部屋がある可能性もあり、謎はまだのこされています。