さすらい人の独り言

山登り、日々の独り言。
「新潟からの山旅」別館
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さすらいの風景 旅順 その1

2011年07月14日 | 海外旅行
旅順は、日露戦争における旅順港の攻略戦の地として知られています。

日露戦争は、満洲と朝鮮の支配を巡って日本とロシアの間で勃発した戦いです。

両国の陸軍は、奉天(現瀋陽)付近で対峙しますが、旅順港に閉じこもったロシアの太平洋艦隊を壊滅させる必要がありました。ロシア海軍をそのままにすれば、日本の海上輸送が妨げられて、戦争の遂行に必要な補給が絶たれてしまいます。さらに、ヨーロパから回送してくるバルチック艦隊が合流すれば、数で負ける日本海軍の勝ち目はなくなっていまいます。

このような背景があるため、旅順港の攻略が、勝利のためにまず必要になりました。

日露戦争の開戦と同時に、旅順港に停泊していたロシア艦隊を駆逐艦により奇襲攻撃しますが、それほどの被害を与えることができませんでした。そのため、旅順港の入り口に船を沈めてロシア艦隊を港の中に閉じ込めてしまおうという旅順港閉塞作戦が行われます。三回にわたって行われた閉塞作戦は、港の入り口を守る要塞の砲撃によって失敗に終わり、乃木大将率いる陸軍が、要塞に守られた旅順港の攻撃にとりかかることになります。

乃木大将は、日清戦争の際に旅順攻略戦に参加し、その際には簡単に攻め落としていましたが、ロシアは近代要塞を築き、機関銃を多数配備して、防御を当時のレベルとしても類をみないほど強化していました。

東鶏冠山堡塁は、ロシア軍の造った三大要塞の一つで、旅順港の北東に位置し、大連方面から進軍してくる日本軍に対し、最前線の防御を固めました。旅順攻囲戦においては、203高地と並ぶ激戦地として知られ、当時の要塞がそのまま残されています。



東鶏冠山堡塁は、標高119mの丘に1900年から4年間をかけて築かれた要塞です。

見学路になっている通路は、かっての外壕で、左手が丘の頂上で、右手が麓になります。



右側には防御用に銃眼を備えた低い壁の胸墻が続きます。壁には銃弾の跡がそのまま残されています。

ここで巧妙なのは、銃眼が内側に開いていることです。麓から攻め上がってきて胸墻を乗り越えた敵兵は、外壕に入ったところで、前後から狙い撃ちにされてしまいます。

おそらくは、この外壕は日本兵の死体で埋まり、その結果、狭い銃眼から狙いを定めることができなくなって、瀕死の日本兵から手榴弾を投げ入れられてロシア兵にも犠牲がでるというような悲惨な戦闘が繰り広げられたのではないかなと思います。



堡塁は不規則な五角形をしています。



堡塁の中は、広い通路になっています。



日本軍が突破口として開いた穴が、そのまま保存されています。



堡塁に開いた穴の向こうに外の風景が見えています。

日本軍は、敵の銃撃を避けて坑道を掘って堡塁に接近し、10月31日の第二回総攻撃で、爆薬をしかけて突破口を開けて突入しますが、この時はロシア軍の激しい抵抗によって攻撃は失敗に終わります。



丘の上には、1926年に建立された記念碑が置かれています。



明治三十七年八月以来第十一師団ノ諸隊及後備歩兵第四旅団ノ一部隊之ヲ攻撃シ同年十二月十八日占領ス陸軍大将鮫島重雄碑銘ヲ書ス
大正三年十月  満洲戦跡保存会

当堡塁を陥した時の師団長の鮫島大将の書によるものです。



記念碑の周りには、機関銃も置かれています。



また、大砲も置かれていますが、当時のものかは判りません。



司令部跡です。当時は、二階に分かれていたようです。現在は、崩壊が進んでいるため、立ち入り禁止になっていました。



コンクリートで固められた半地下の要塞は、砲撃にも良く耐えたといいます。


キッチンと救護室



広場があり、ここでは、要塞の司令官を務めていたコンドラチェンコ小将が、日本軍の放った二八センチ砲の直撃によって戦死しました。



広場の片隅には、コンドラチェンコ小将戦死場所の碑も置かれています。

コンドラチェンコ小将は、部下の信望も厚く、彼の戦死によって、東鶏冠山堡塁の陥落が早まったといいます。

12月6日の203高地の陥落によってロシア軍の防衛ラインが崩れたことによって、東鶏冠山堡塁も12月18日に日本軍の手におちました。



大門と呼ばれる壕の入り口です。



東鶏冠山堡塁は、戦前に建築が進められたため、壁に飾りが施されるといった余裕も見られます。



井戸も掘られていました。



観察路脇に置かれたゴミ箱は、砲弾型をしていました。

日本軍は、猛攻を加えますが東鶏冠山堡塁を落とすことができず、犠牲者が増すばかりなので、攻撃の目標を203高地に変えます。

続いて、203高地の見学に向かいました。

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