アーグラー城見学の続きです。
ジャハーンギール宮殿の奥に進んでいくとローシャン・アラの館に出ます。
ローシャン・アラの館は、5代皇帝シャー・ジャハーンが娘のために建てたもので、屋根が黄金色なので、ゴールデン・パビリオンとも呼ばれます。
この付近には、女性のための部屋が並んでいます。風とおりと目隠しのため、壁には透かし彫りの窓が設けられています。
回廊からは、少し遠くにタージ・マハルを眺めることができます。
カース・マハルの皇帝用の寝室です。
しっくい塗りの天井には、一部金箔も残されています。
天井にも、見事なモザイク模様が見られます。
ムサンマン・ブルジュ(ジャスミンの館)
建物は鉄柵で囲まれて入場できないので、外からの見学になります。
シャー・ジャハーン皇帝が、愛妃ムムタズ・マハールの寝室として建てた八角の塔を持つ建物です。シャー・ジャハーンは、74歳で亡くなるまでの七年間をここで過ごしました。
この建物は、シャー・ジャハーン皇帝が建てたため、タージ・マハルと同じ、大理石のはめ込み模様で飾られています。
タージ・マハルでは巨大な建物に大理石細工が施されていますが、ここでは細かい模様が施されています。
アングリー・バーグと呼ばれる庭園。
美しい建物が庭園を囲んで建てられています。
ディワニ・アーム
皇帝が一般市民と接するための建物です。
正面奥に皇帝の玉座が置かれています。
イスラム様式の柱が並んでいます。
モティ・マスジッド
城の奥には白大理石の美しいモスクが建てられていますが、一般公開はされていません。
アーグラーの街は、ムガル帝国の第三代皇帝アクバルが都をおいて栄えましたが、1638年に第五代シャー・ジャハーンが都をデリーに移すと衰退していきます。
その後の略奪やセポイの反乱によってかつての栄光を失い、さらに19世紀にイギリス軍に占領されると、アーグラー城は兵舎として使われ、建物の一部が壊されてバラックの兵舎が建てられてしまいます。現在でも旧兵舎部分はインド軍が管理しており、アーグラー城の公開部は一部になっています。
城や皇帝の運命など知らぬ顔で、猿が遊んでいました。
ジャハーンギール宮殿の奥に進んでいくとローシャン・アラの館に出ます。
ローシャン・アラの館は、5代皇帝シャー・ジャハーンが娘のために建てたもので、屋根が黄金色なので、ゴールデン・パビリオンとも呼ばれます。
この付近には、女性のための部屋が並んでいます。風とおりと目隠しのため、壁には透かし彫りの窓が設けられています。
回廊からは、少し遠くにタージ・マハルを眺めることができます。
カース・マハルの皇帝用の寝室です。
しっくい塗りの天井には、一部金箔も残されています。
天井にも、見事なモザイク模様が見られます。
ムサンマン・ブルジュ(ジャスミンの館)
建物は鉄柵で囲まれて入場できないので、外からの見学になります。
シャー・ジャハーン皇帝が、愛妃ムムタズ・マハールの寝室として建てた八角の塔を持つ建物です。シャー・ジャハーンは、74歳で亡くなるまでの七年間をここで過ごしました。
この建物は、シャー・ジャハーン皇帝が建てたため、タージ・マハルと同じ、大理石のはめ込み模様で飾られています。
タージ・マハルでは巨大な建物に大理石細工が施されていますが、ここでは細かい模様が施されています。
アングリー・バーグと呼ばれる庭園。
美しい建物が庭園を囲んで建てられています。
ディワニ・アーム
皇帝が一般市民と接するための建物です。
正面奥に皇帝の玉座が置かれています。
イスラム様式の柱が並んでいます。
モティ・マスジッド
城の奥には白大理石の美しいモスクが建てられていますが、一般公開はされていません。
アーグラーの街は、ムガル帝国の第三代皇帝アクバルが都をおいて栄えましたが、1638年に第五代シャー・ジャハーンが都をデリーに移すと衰退していきます。
その後の略奪やセポイの反乱によってかつての栄光を失い、さらに19世紀にイギリス軍に占領されると、アーグラー城は兵舎として使われ、建物の一部が壊されてバラックの兵舎が建てられてしまいます。現在でも旧兵舎部分はインド軍が管理しており、アーグラー城の公開部は一部になっています。
城や皇帝の運命など知らぬ顔で、猿が遊んでいました。