デュールゴーデン島には、バーサ号博物館があります。現在、新しい建物に移転して、これは古い建物の写真です。
バーサ号は、1625年、ドイツ、ロシア、デンマークなどの列強に対抗するため、グスタフアドルフ2世王は、4隻の戦艦の建造を命じました。パーサ号は、そのうちの一隻です。
3年後の1628年、完成したパーサ号は、王宮近くの埠頭を離れ、他の艦隊に合流するため、処女航海に出ます。ところが、ストックホルム湾内にいる時に、強風を受けて沈没してしまいます。
1961年、水深32mの海底から引きあげられてバーサ号博物館に納められ、当時の姿をほぼとどめた姿を見学することができるようになりました。
現存する唯一の17世紀の船舶になっています。
全長67m、最大幅12m、排水量1300tの17世紀としては最大級の戦艦です。
沈没の原因は、何層もの砲門を重ねたことによって、重心が上にきすぎたためのようです。
150名の乗組員のうち少なくとも30名、多ければ50名もの人々が海底に沈んだといいます。
気になるのは、船の設計者の運命ですが、バーサ号は造船開始後に多くの大砲を積み込めるように変更されたようです。それでも、責任は設計者に押し付けられたでしょうかね。
船体には、ライオン、聖書の英雄たち、ローマ皇帝、海獣、ギリシャ神などの彫刻が飾られています。
保存のために薬品が浸み込まされており、黒光りをしていますが、当時は赤色を背景に派手に塗装されていたようです。
艫の彫刻。
舳先の彫刻
旧展示館は手狭で、写真をとるための距離が取れずに苦労しましたが、現在は広々とした展示館に移っているようです。
バーサ号は、装飾過多と思えますが、彫刻品の目的はスウェーデンの君の栄光を称え、君主の力や文化を誇示する目的があったようです。
引き上げられた大砲。
バーサ号の大砲の殆どが24ポンド砲(24パウンド、つまり11 kg以上の重さの大砲を発射する砲)でした。バーサ号ほど強力な火力を備えた軍艦は、当時は無かったようです。沈没するほど大砲を積んでは、戦力以前の問題があります。
バーサ号は、1625年、ドイツ、ロシア、デンマークなどの列強に対抗するため、グスタフアドルフ2世王は、4隻の戦艦の建造を命じました。パーサ号は、そのうちの一隻です。
3年後の1628年、完成したパーサ号は、王宮近くの埠頭を離れ、他の艦隊に合流するため、処女航海に出ます。ところが、ストックホルム湾内にいる時に、強風を受けて沈没してしまいます。
1961年、水深32mの海底から引きあげられてバーサ号博物館に納められ、当時の姿をほぼとどめた姿を見学することができるようになりました。
現存する唯一の17世紀の船舶になっています。
全長67m、最大幅12m、排水量1300tの17世紀としては最大級の戦艦です。
沈没の原因は、何層もの砲門を重ねたことによって、重心が上にきすぎたためのようです。
150名の乗組員のうち少なくとも30名、多ければ50名もの人々が海底に沈んだといいます。
気になるのは、船の設計者の運命ですが、バーサ号は造船開始後に多くの大砲を積み込めるように変更されたようです。それでも、責任は設計者に押し付けられたでしょうかね。
船体には、ライオン、聖書の英雄たち、ローマ皇帝、海獣、ギリシャ神などの彫刻が飾られています。
保存のために薬品が浸み込まされており、黒光りをしていますが、当時は赤色を背景に派手に塗装されていたようです。
艫の彫刻。
舳先の彫刻
旧展示館は手狭で、写真をとるための距離が取れずに苦労しましたが、現在は広々とした展示館に移っているようです。
バーサ号は、装飾過多と思えますが、彫刻品の目的はスウェーデンの君の栄光を称え、君主の力や文化を誇示する目的があったようです。
引き上げられた大砲。
バーサ号の大砲の殆どが24ポンド砲(24パウンド、つまり11 kg以上の重さの大砲を発射する砲)でした。バーサ号ほど強力な火力を備えた軍艦は、当時は無かったようです。沈没するほど大砲を積んでは、戦力以前の問題があります。