さすらい人の独り言

山登り、日々の独り言。
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さすらいの風景 大連 その5

2011年07月11日 | 海外旅行
日本が大連をロシアから引き継いだ後、大連の中心となるように設計されたニコライフスカヤ広場は、大広場と名前を変えられ、欧風建物の建築が続けられました。現在は、中山と名前を変えていますが、日本時代の建物は、政府の各機関や金融機関によって使われています。

中山広場を代表する建物としては、まず大連賓館(旧ヤマトホテル)が挙げられます。



大連では、ある程度の規模を持った耐火建築のみが永久建築と称され、耐火建築でなく小さな建物は仮建物に分類されて、政府の命令があれば取り壊されなければならないとされました。その結果、レンガを作った洋風建築が立ち並ぶことになりました。

大連ヤマトホテルは、満洲一の格式を持ち、本格的な三層構造の古典様式で造られました。



旧ヤマトホテルのロビー

現在でもホテルとして営業中で、宿泊料金もそれほど高くはないので、泊まってみたかったですね。ただ、三星ホテルなので、設備は現在のレベルとしては劣るようですが、クラッシックホテルとしての魅力があります。



時代が止まっているような感じがします。



内部を見学することができました。



迎賓廳



このホテルには、政府の賓客が泊まったといいます。



日本関係では、中曽根康弘、竹下登、村山富市の各首相が泊まったとのこと。





ホテルの廊下。



客室のひとつに、溥儀の泊まった部屋があります。

溥儀は、満洲皇帝になるため天津から脱出し、日本の客船で遼東半島のつけねの栄口に上陸します。ところが、満洲国設立に関して日本政府と関東軍の間で考えが異なっていたため、湯崗子の温泉旅館、続いてヤマトホテルで軟禁状態におかれます。

この部屋が、溥儀の泊まった当時の姿のままかは判りませんが、歴史のひと舞台になったことは確かです。



中山広場は、一部で地下鉄の小路が行われていましたが、お祭り広場のように使われているようで、太鼓の演奏が行われていました。





中山広場を挟んで旧ヤマトホテルと向き合う建物は、旧横浜正金銀行大連支店(現中国銀行大連分行)です。



旧大連市役所(現中国商工銀行)

広場には、他にも特徴のある建物が残されており、この建物は祇園祭の山車をモチーフにした塔を載せています。



旧警察署(現遼寧省対外貿易公司)



古い絵葉書による大広場(現中山広場)です。

現在は、車のロータリーになって中心広場が狭くなっていますが、周辺の建物の様子は変わっていません。



旧ヤマトホテル(大連賓館)

日本では古い建物が失われていくのに、中国で日本が造った建物が歴史的建造物として保存されているのはちょっと複雑な気がします。
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