さすらい人の独り言

山登り、日々の独り言。
「新潟からの山旅」別館
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さすらいの風景 台北 その2

2021年05月29日 | 海外旅行
二日目の観光は、忠烈祠から始まりました。

忠烈祠は、抗日戦争や共産党軍との内乱で命を落とした軍人の霊を祀った廟です。1969年に作られ、北京の紫禁城の大和殿を模した中国風建造物です。

日本でいうならば、靖国神社といったところですね。



入口で車を下りると、門の前には大勢の人が集まっていました。



お目当ては、門の両脇に立つ衛兵で、脇に立って記念写真を撮る観光客がとぎれることがありませんでした。



衛兵交代の時間が近付いて、衛兵の周辺から人がいなくなったところです。マネキンかと思われるほど、微動だにしません。



衛兵交代を待つ観光客です。小学校下級生が見学にやってきており、賑やかになっていました。



衛兵交代は、正時ごとに行われます。9時になると、脇の控室から、衛兵が出てきました。



独特の腕の振り方で、ゆっくりと進む行進が始まりました。



忠烈祠の敷地はかなり広く、奥の本殿まではかなりの距離があります。



行進に付き添って、観光客はゾロゾロと移動していきます。



途中で入口の門を振り返り、銃をクルクル回すパフォーマンスも行っていました。



賑やかな行列が進んでいきます。



これに対して、本殿は静寂に包まれていました。



本殿前の門まで進んできました。



本殿に到着してからも、しばらくは、銃をささげたりの儀式が続きました。





衛兵が交代しました。



台の上に立ち、これから1時間の不動姿勢が始まります。



本殿の中をのぞきました。中央に、「国民革命烈士之霊位(牌)」(最後の一字は見えず)と掲げられています。



交代した衛兵の列とともに、集団も引き返し、静寂が戻ってきました。



ここの屋根にも走獣の屋根飾りが置かれていました。中間には、7個の像が置かれており、格式の高い建物であることがうかがわれます。



本殿前庭の門の左右にはレリーフが置かれていました。

その下には、日本語で、次のような説明が書かれていました。

広州の革命
 1911年3月29日、国父孫文先生は広州に於いて第十回の革命を企て、黄興等から革命同志を率いて総督府を攻撃しました。しかしその行動の秘密がばれて失敗に終わりましたが、その戦没によって革命運動が全国に広まり、一年間も経たぬ内に武昌革命が起こって全国を統一し、清廷ふが遂に顛覆され、民主共和の中華民国はそれによって創立されました。



上海における抗日抗戦
 1937年7月7日 盧溝橋事変の後、日軍は津浦と平漢鉄道から南侵を続け、蒋委員長は日本軍の北から南の作戦軸線を東から西に変わらせ、以って沿海の工業物資を内陸に移転し、且長期の抗戦準備を整えるために、大軍を以って敵の主力を上海戦場に引付け、三ヶ月間余りの血戦を経て勇ましく戦い、敵の兵力を六万余りも殲滅してから南京に転進しました。



敷地内の左右には、あずまや風の塔が置かれていました。



忠烈祠では、衛兵交代の見物を目的に観光客が集まってきますが、、台湾、すなわち中華民国は、複雑な歴史を持っており、今回の観光旅行でもその一旦を垣間見ることになります。
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