さすらい人の独り言

山登り、日々の独り言。
「新潟からの山旅」別館
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さすらいの風景 クシュティヤ

2020年02月10日 | 海外旅行
プティアのヒンドゥー教寺院群の見学の後、南下してクシュティヤに向かいました。

水田が広がり、水路には魚採りの網が仕掛けられていました。



道路脇には、ジュート(黄麻)の束が置かれていました。

ジュートの生産国の上位はインド(約60%)、バングラデシュ(約25%)になっています。丈夫な布袋として使われ、これは南京袋という名前でも知られています。



途中で鉄道の線路を渡りましたが、線路を歩く人は多いようです。



日本の援助によって造られたパドマ川(ガンジス川)に架かるラロン・シャー橋を渡ることになりました。この橋によって、バングラデシュの主要都市であるクルナ(南西部)、ダッカ(東部)、チッタゴン(南東部)は陸路で結ばれ、また架橋前フェリーで平均2〜5時間を要していた渡河が橋の新設によってわずか4〜5分程度に短縮されました。

記念碑には、バングラデシュと日本の国旗が並んで描かれていました。色違いの日章旗ですが、初代大統領シェイク・ムジブル・ラフマンが国旗を定める際に、日本の日の丸を参考にしたことが知られています。赤丸は、旗がはためいた際に中央に見えるように少し左によっています。



ラロン・シャー橋は、長さ1785mあります。



上流部には、1912年に造られた鉄道橋のハーディング橋が平行しています。



クシュティヤの街に到着。ガンジス川の本流のパドマ川とゴライ川が合流する地点にあり、水運の起点として栄えました。イギリス統治時代には、コルカタへの鉄道が敷かれて、ジュート(黄麻)やインディゴ(藍)が運び出されていました。





昼食後、ラロン廟を訪れました。



ベンガル地方には、信仰の歌を歌いながら放浪するバウルと呼ばれる吟遊詩人かつ修行者が古くからいました。このバウルの中でも聖人として崇められているのが、フォキル・ラロン・シャハ(1774?~1890年)で、このラロン廟には彼が祀られています。





内部には、ラロンと彼の母の墓が置かれています。写真ではどちらがラロンの墓か判らなくなっていますが。





ラロン廟の脇の建物で、ラロン音楽を聴きました。ラロン音楽は、ユネスコの無形文化財に選ばれています。



修行者の心情を恋人を想う男女の愛情になぞらえた神秘的な詩句に特徴があるといいますが、現在ではむしろ民俗音楽の一領域として人々に親しまれるようになっているようです。ノーベル文学賞を受賞したタゴールは、聖ラロンと出会い、彼から影響を受けたといいます。



男性の歌い手は、髪を伸ばし、いつ野たれ死んでも良いという覚悟を示す白い服を着ています。持っているのは、1弦琴のエクタラ。



女性は、パンシャビスーツを着ています。



左の男性がナンバーワンの歌い手とのことですが、体調不良ということで、この日は歌いませんでした。









観客を誘っての踊り。



我々グループのための公演のようでしたが、地元の人も集まって聞いていました。





30分ほどで公演は終了。



ラロン音楽を聴いている時に小雨がぱらついたものの、すぐに止んでくれました。しかし、南下するうちに、道路脇の水たまりが目につくようになってきました。





市場脇の道路が泥んこ道になっていました。



水田も水が溢れたのか、稲が倒れているところもありました。



途中で夕焼けが広がりました。



バス内で回ってきたスマホのサイクロンのニュース画像を撮影。

ここまで雨にもほとんど会わずに移動してきましたが、入ってきたサイクロンの情報は予想以上に激しいようです。シュンドルボン国立公園は閉鎖になり、ドゥブラ・ラッシュ・メーラ祭りに集まるはずの漁船にも避難指令が出てしまったようです。



避難勧告が250万人、倒木での死者40人という状況のようです。

当初は、クルナで1泊、シュンドルボン・ボートクルーズ2泊、クルナ1泊という予定でしたが、クルナで2泊してシュンドルボンに入れるかを待つことになりました。
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