
アテネのアクロポリスの丘は、標高156mですので、登りをひと頑張りする必要があります。
坂を上っていくと、まずは前門(プロピュライア)に到着します。

前門(プロピュライア)は、パルテノン神殿の完成後、BC437年に着工されましたが、ペロポネス戦争の勃発によって工事が中断されてしまいました。

ギリシャの建築物では、柱の様式(オーダー)が問題になりますが、前門では、ドーリア式とイオニア式の二つが見られます。
これは、柱の下の台座が無いことからドーリア式でしょう。

屋根の部分が亡くなっていますが、この柱は、柱の下の台座があることからイオーニア式でしょうか。

前門にあった中央楼は、17世紀中ごろトルコ軍が武器・弾薬庫として使っていたところ、落雷があって大爆発を起こし、崩壊してしまいました。
パルテノン神殿の砲撃といい、同じような人為的災難が繰り返されているのですね。

前門の手前にある四角の建造物は、アグリッパの記念碑です。BC27年、ローマ皇帝アウグストュスの女婿ウィプサニウス・アグリッパの馬術競技優勝の記念に建てられたものです。台座の上には青銅の戦車に乗った彼の像が置かれていたといいます。
後世のローマ人が付け加えたもののため、現地の人の評判は良くないようです。

前門の右手にあるのは、アテーナ・ニーケ神殿です。
ニーケは勝利の意味で、ペルシャ戦争の勝利によってこの女神への信仰が高まります。感謝の意味を込めてこの神殿が建てられました。ニーケ像は、ルーブル美術館にあるものに見られるように有翼ですが、女神を長くアテネにとどめておきたいということで、無翼の像が祀られました。
トルコ占領時には、ここに砲台が造られたため、ヴェネチア軍の攻撃の際の被害も大きかったといいます。現在の遺跡は、破片を集めて再建されたとのことです。

柱はイオニア式です。飾られていたレリーフ二枚はエルジンによってロンドンへ持ち去られています。
最初の見どころの前門周辺の見学を終えたなら、いよいよアクロポリスの丘の中央に進みましょう。
坂を上っていくと、まずは前門(プロピュライア)に到着します。

前門(プロピュライア)は、パルテノン神殿の完成後、BC437年に着工されましたが、ペロポネス戦争の勃発によって工事が中断されてしまいました。

ギリシャの建築物では、柱の様式(オーダー)が問題になりますが、前門では、ドーリア式とイオニア式の二つが見られます。
これは、柱の下の台座が無いことからドーリア式でしょう。

屋根の部分が亡くなっていますが、この柱は、柱の下の台座があることからイオーニア式でしょうか。

前門にあった中央楼は、17世紀中ごろトルコ軍が武器・弾薬庫として使っていたところ、落雷があって大爆発を起こし、崩壊してしまいました。
パルテノン神殿の砲撃といい、同じような人為的災難が繰り返されているのですね。

前門の手前にある四角の建造物は、アグリッパの記念碑です。BC27年、ローマ皇帝アウグストュスの女婿ウィプサニウス・アグリッパの馬術競技優勝の記念に建てられたものです。台座の上には青銅の戦車に乗った彼の像が置かれていたといいます。
後世のローマ人が付け加えたもののため、現地の人の評判は良くないようです。

前門の右手にあるのは、アテーナ・ニーケ神殿です。
ニーケは勝利の意味で、ペルシャ戦争の勝利によってこの女神への信仰が高まります。感謝の意味を込めてこの神殿が建てられました。ニーケ像は、ルーブル美術館にあるものに見られるように有翼ですが、女神を長くアテネにとどめておきたいということで、無翼の像が祀られました。
トルコ占領時には、ここに砲台が造られたため、ヴェネチア軍の攻撃の際の被害も大きかったといいます。現在の遺跡は、破片を集めて再建されたとのことです。

柱はイオニア式です。飾られていたレリーフ二枚はエルジンによってロンドンへ持ち去られています。
最初の見どころの前門周辺の見学を終えたなら、いよいよアクロポリスの丘の中央に進みましょう。