
バガン観光の一日の締めくくりは、シュエサンドー・パヤーでの夕日観賞になりました。シュエサンドー・パヤーは、夕日あるいは朝日の代表的鑑賞スポットになっており、到着すると大勢の観光客が、すでにパゴダに上っていました。

シュエサンドー・パヤーは、アノーヤター王のタトォン国征服の後に直ちに建てられたパゴダの一つです。1057年建造で、バガンの遺跡の中では、比較的古いものに属します。サンドーは、「聖髪」を意味し、釈迦の遺髪が納められているといいます。

手すりを頼りに急な階段を上ると、バガン遺跡の展望が広がりました。
これは、バガン遺跡で最も高いダビニュ寺院。

左奥は新しく建造されて周囲の遺跡とはマッチしていない考古学博物館で、右奥はゴドーバリィン寺院。

名前も知れぬ多くの遺跡に囲まれています。

ダマヤンヂー寺院


無数とも思えるパゴダや寺院が並ぶ姿を見ると、カンボジアのアンコール・ワットやインドネシアのボロブドールと並んで、三大仏教遺跡に数えられるのも納得がいきます。

ただ、不思議に思われるのは、このバガン遺跡が世界遺産に登録されていないことです。以前、申請はされたのですが、軍事政権が近くにゴルフ場や展望台を開設してしまったり、歴史的建造形式を考慮せずに修復工事を行ったことが却下の理由であったようです。ただ、それだからこそ、遺跡の保存を第一に考えて、世界遺産に登録するべきなのではないでしょうか。世界遺産の登録申請を見ると、日本にも当てはまることですが、観光客誘致の商業主義の方が目立っているようで、世界とまでいかずに国内遺産で充分なものも多いように思えます。少なくとも、このバガン遺跡が世界遺産に登録されていないのは、世界遺産の存在意義そのものを疑わしいものにしています。

夕日を望める西面は、すでにカメラを構えた人に占領されていたので、一つ下がった段で夕日を待ちました。

夕日を右にもってくるか、左にするかで迷いますね。

残念ながら、日の入りが近づくと、雲のために太陽の形が崩れてしまいました。
バガンでの夕日の撮影は、翌日もあり、もう一度のチャンスに期待することにしました。

日の入りを見て、大勢の人が下り始めました。

お坊さんも恐る恐る階段を下っていました。
アンコールワットでもそうでしたが、遺跡見物では、急な石段を上り下りすることも多く、一般的な海外旅行でも、まず足腰を鍛えておく必要があります。

シュエサンドー・パヤーは、アノーヤター王のタトォン国征服の後に直ちに建てられたパゴダの一つです。1057年建造で、バガンの遺跡の中では、比較的古いものに属します。サンドーは、「聖髪」を意味し、釈迦の遺髪が納められているといいます。

手すりを頼りに急な階段を上ると、バガン遺跡の展望が広がりました。
これは、バガン遺跡で最も高いダビニュ寺院。

左奥は新しく建造されて周囲の遺跡とはマッチしていない考古学博物館で、右奥はゴドーバリィン寺院。

名前も知れぬ多くの遺跡に囲まれています。

ダマヤンヂー寺院


無数とも思えるパゴダや寺院が並ぶ姿を見ると、カンボジアのアンコール・ワットやインドネシアのボロブドールと並んで、三大仏教遺跡に数えられるのも納得がいきます。

ただ、不思議に思われるのは、このバガン遺跡が世界遺産に登録されていないことです。以前、申請はされたのですが、軍事政権が近くにゴルフ場や展望台を開設してしまったり、歴史的建造形式を考慮せずに修復工事を行ったことが却下の理由であったようです。ただ、それだからこそ、遺跡の保存を第一に考えて、世界遺産に登録するべきなのではないでしょうか。世界遺産の登録申請を見ると、日本にも当てはまることですが、観光客誘致の商業主義の方が目立っているようで、世界とまでいかずに国内遺産で充分なものも多いように思えます。少なくとも、このバガン遺跡が世界遺産に登録されていないのは、世界遺産の存在意義そのものを疑わしいものにしています。

夕日を望める西面は、すでにカメラを構えた人に占領されていたので、一つ下がった段で夕日を待ちました。

夕日を右にもってくるか、左にするかで迷いますね。

残念ながら、日の入りが近づくと、雲のために太陽の形が崩れてしまいました。
バガンでの夕日の撮影は、翌日もあり、もう一度のチャンスに期待することにしました。

日の入りを見て、大勢の人が下り始めました。

お坊さんも恐る恐る階段を下っていました。
アンコールワットでもそうでしたが、遺跡見物では、急な石段を上り下りすることも多く、一般的な海外旅行でも、まず足腰を鍛えておく必要があります。