この日のメインはエローラ石窟寺院群ですが、その前にピタルカラ石窟群を見学しました。エローラ石窟寺院群の入口のホテルでトイレ休憩し、さらに1時間半ほどのドライブでピタルカラ石窟群に到着しました。一般道から離れて遺跡入口に通じる車道は、木の枝が車体にぶつかる細い未舗装路でした。この石窟群は、地球の歩き方にも地図に名前しか紹介されておらず、駐車場にも他に観光客の車はありませんでした。
遊歩道を渓谷に向かって下っていきます。
渓谷沿いの歩道がかなり下に見えてきました。遊歩道は階段状に整備されており、帰りの登り返しには覚悟がいります。
渓谷の右岸(上流から見て右岸)の崖に見えているのが、ピタルカラ石窟群です。最後の自由時間の際に歩いたところ、左岸沿いの遊歩道を進んだ先にも遺跡がありました。
滝の落ち口の沢を跳び越し、一段下ると、滝の下に鉄製の橋があって右岸側に渡ることができました。
鉄製の橋から見た石窟群。
石窟は紀元前2世紀の上座仏教の遺跡で、6世紀頃の大乗仏教の壁画が残っています。アジャンター遺跡のうちの前期遺跡が造られたのと同時期のようですが、詳細は判っていないようです。
手前にあったのは、ヴィハーラと呼ばれる僧院跡です。
階段の脇には、支えている像が描かれていました。
次の部屋は、ストゥーパ(仏塔)を祀るためのチャイティア窟です。仏像表現の無い仏教初期には、室内に置かれたストゥーパ(これをチャイティアと呼びました、)が信仰の核になっていました。
ただ、ここのストゥーパは失われており、基壇が残っているだけです。また、手前の四角の柱は近年になって補強のために設けられたもののようです。
チャイティア窟の奥。基壇だけが残っています。その周りの六角形の柱はオリジナルのものです。
柱には、壁画が残っていました。
往時には、豪華な石窟であったであろうと思われます。
仏の上には、三層の傘(傘蓋)が描かれています。
周囲の壁にも壁画が残されていました。劣化が進んでいますが、なかなか趣のある絵です。
少し不気味な感じもします。
中尊と両脇侍から成る三尊形式のように見えますが、この時代にこの形式があったのかは判りません。
左の像は、カールした長髪で、女性的に見えます。劣化が進んでいますが、きれいな絵です。
仏の間に描かれているのは、信者のようです。
仏教説話に登場する女性、あるいはこの寺院に寄進を行った有力者を描いたものでしょうか。
柱に彫り込まれている字も、古いもののようです。
天井にも四角いパターンの装飾が施されていたようです。
遊歩道を渓谷に向かって下っていきます。
渓谷沿いの歩道がかなり下に見えてきました。遊歩道は階段状に整備されており、帰りの登り返しには覚悟がいります。
渓谷の右岸(上流から見て右岸)の崖に見えているのが、ピタルカラ石窟群です。最後の自由時間の際に歩いたところ、左岸沿いの遊歩道を進んだ先にも遺跡がありました。
滝の落ち口の沢を跳び越し、一段下ると、滝の下に鉄製の橋があって右岸側に渡ることができました。
鉄製の橋から見た石窟群。
石窟は紀元前2世紀の上座仏教の遺跡で、6世紀頃の大乗仏教の壁画が残っています。アジャンター遺跡のうちの前期遺跡が造られたのと同時期のようですが、詳細は判っていないようです。
手前にあったのは、ヴィハーラと呼ばれる僧院跡です。
階段の脇には、支えている像が描かれていました。
次の部屋は、ストゥーパ(仏塔)を祀るためのチャイティア窟です。仏像表現の無い仏教初期には、室内に置かれたストゥーパ(これをチャイティアと呼びました、)が信仰の核になっていました。
ただ、ここのストゥーパは失われており、基壇が残っているだけです。また、手前の四角の柱は近年になって補強のために設けられたもののようです。
チャイティア窟の奥。基壇だけが残っています。その周りの六角形の柱はオリジナルのものです。
柱には、壁画が残っていました。
往時には、豪華な石窟であったであろうと思われます。
仏の上には、三層の傘(傘蓋)が描かれています。
周囲の壁にも壁画が残されていました。劣化が進んでいますが、なかなか趣のある絵です。
少し不気味な感じもします。
中尊と両脇侍から成る三尊形式のように見えますが、この時代にこの形式があったのかは判りません。
左の像は、カールした長髪で、女性的に見えます。劣化が進んでいますが、きれいな絵です。
仏の間に描かれているのは、信者のようです。
仏教説話に登場する女性、あるいはこの寺院に寄進を行った有力者を描いたものでしょうか。
柱に彫り込まれている字も、古いもののようです。
天井にも四角いパターンの装飾が施されていたようです。