さすらい人の独り言

山登り、日々の独り言。
「新潟からの山旅」別館
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さすらいの風景 ルクソール神殿 その2

2011年01月14日 | 海外旅行
ラメセス2世像の台座ぶが、パピルスとハスを結んで、上・下エジプトの統一を表すレリーフが描かれています。



この像は、ツタンカーメン像といわれています。右は、そうなると、王妃アンケスエンパアテンですね。

なお、古代エジプトでは、夫婦の像が同じ大きさで作られることはまれでした。



頭部が壊れておりはっきりしないのですが、アメン神とムト神、彼らの子供のコンス神ではないかなと思います。

ルクソール神殿は、カルナック神殿の主神のアメン神が、妻であるムト女神と過ごすためのオペト祭礼のために造られました。



ラメセス2世の中庭から進むと、アメンヘテプ3世の大列柱廊に出ます。高さ17mの開花式パピルス柱が、2列、14本並んでいます。



オペトの祭礼を描いたレリーフです。ちょっと判りにくいですが、聖船をかついだ人々が描かれています。

オペトの祭礼では、聖なる船にアメンの神像を乗せ、豊穣の神オペトのもとを訪れ、10日間にわたって祭りが行われました。現在の謝肉祭の前身とも言われています。



アメンヘテプ3世の大列柱廊を過ぎると、アメンヘテプ3世の中庭になります。閉花式パピルス柱が並んでいます。



朝から見学を続けてきましたが、太陽が沈んできました。



巨大な柱にも慣れてきましたが、他の場所にあれば、この柱だけでも見どころになっているでしょうね。



アメンヘテプ3世の中庭を抜けると、小さな中庭があり、ここではコプト派キリスト教の礼拝堂跡が見られます。



カルナック神殿とルクソール神殿は、プトレマイオス時代にもエジプト宗教の総本山として使われてきましたが、ビザンチン時代の4世紀には、キリスト教以外は信仰してはいけないという神殿閉鎖令が出ます。

神殿を閉鎖したり、その神殿を修道院や教会にして、そこを拠点としてキリスト教を広めようとし、神殿のレリーフの上に漆喰を塗って、そこに聖家族やキリストの弟子たちのフレスコ絵をかきました。

壁の一部には、聖人像がはっきりと残されています。

オリジナルとは異なる絵ではありますが、4世紀に描かれたものとあっては、これも時代的に価値の高いものになっています。



至聖堂の中に入っていきます。



壁一面に壁画が描かれています。



レリーフにライトが当てられて、浮き出てみえるようになっていました。



ファラオが描かれています。



ミン神。

農耕、大地の豊穣をつかさどる神で、勃起した男根が特徴的です。レリーフはさわられて、そこだけ黒くなっています。



これは、アレクサンドロス大王のカルトゥーシュ。

至聖堂の脇は、アレクサンドロス大王の間と呼ばれます。ルクソールまでやってきたアレクサンドロス大王は、地震で壊れた至聖堂を修理し、アメンヘテプ3世の名前と自身の名前を刻ませました。

アレクサンドロス大王は、「古代エジプトのナポレオン」と称されるアメンヘテプ3世を尊敬して、讃えた碑文も残されているといいます。

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