三日目は、銀川で残った承天寺塔と海宝塔を見学した後に阿拉善左旗(アラシャンサキ)に移動することになりました。
まずは、承天寺塔へ。近くでバスを降りると、家並みの上に塔が見えていました。
承天寺塔は、初代皇帝李元昊が息子によって殺害された後、即位した1歳の第二代皇帝李諒祚の長寿や西夏王国の安寧ために、母親の没蔵太后によって建てられました。
承天寺塔の入り口には、獅子の像が置かれていました。
境内には、緑豊かな庭が広がっていました。
入口の門の屋根には、中国伝統の屋根飾りの走獣が飾られていました。霊鳥に乗る仙人の像に続いて、5体の小さな霊獣の像が並んでいます。霊獣の数は建物の格式を表し、一般には1,3,5,7体で、紫禁城の太和殿の10体が最高位になります。5体の像が並んでいることから、この寺は中国の文化のもとでかなりの格式を持っていることが判ります。なお、韓国の青瓦台の屋根には10体の霊獣が並んでいますが、歴史を知らない無礼な態度といえます。
往時には仏教の聖地になっていたといい、幾つかの建物がありました。
承天寺塔は、11世紀の西夏時代に建てられましたが、清代に地震によって倒壊し、現在の建物は1820年に再建されました。
塔は八角11層で高さは64.5mあります。
塔には登ることができました。細く急な階段が続きました。
息をきらして最上部に到着。四方に窓が設けられていました。
格子窓から外を眺めることができました。
ビル群が目立っています。
塔を下って出口に向かいました。
「太妃井」と言われる井戸がありました。不妊に困っていた西夏の王妃がこの井戸の水を飲んだところ、一人の皇子を設けることができたといいます。現在でもこの言い伝えによって、この水を飲む者がいるといいます。
続いて海宝塔に向かいました。銀川の北郊外にあり、周辺は海寧公園として整備されています。
広い公園を横断していきます。
門前にはお線香を売る店が並んでいました。
お寺の境内の中に進みました。
境内には、幾つものお堂が並んでいました。
大雄宝殿。これが本殿のようです。
多くの参拝者がお参りしていました。
海宝塔は、11層で高さは53.9mあり、見上げる高さです。
海宝塔は、五胡十六国時代の夏(407~431年)の創建者の赫連 勃勃(かくれん ぼつぼつ)によって造られたと伝えられています。清代に地震で二度にわたって倒壊しましたが、その都度再建されました。かつては9層まで上がれたようですが、2009年の四川大地震で僅かに傾いてしまったため、登ることができなくなっています。
塔の裏手にもお堂が設けられていました。
境内を一周して戻ってくると、大雄宝殿に茶色の僧衣を来た団体が参拝していました。
最後に公園を歩くと、東屋の下で、グループが民族楽器の伴奏で歌っていました。公園は地元の人の憩いの場になっているようです。
公園には湖があり、これが海寧公園の名前の由来のようです。
これで銀川の観光を終えて、昼食をとってから阿拉善左旗(アラシャンサキ)へ向かいました。
まずは、承天寺塔へ。近くでバスを降りると、家並みの上に塔が見えていました。
承天寺塔は、初代皇帝李元昊が息子によって殺害された後、即位した1歳の第二代皇帝李諒祚の長寿や西夏王国の安寧ために、母親の没蔵太后によって建てられました。
承天寺塔の入り口には、獅子の像が置かれていました。
境内には、緑豊かな庭が広がっていました。
入口の門の屋根には、中国伝統の屋根飾りの走獣が飾られていました。霊鳥に乗る仙人の像に続いて、5体の小さな霊獣の像が並んでいます。霊獣の数は建物の格式を表し、一般には1,3,5,7体で、紫禁城の太和殿の10体が最高位になります。5体の像が並んでいることから、この寺は中国の文化のもとでかなりの格式を持っていることが判ります。なお、韓国の青瓦台の屋根には10体の霊獣が並んでいますが、歴史を知らない無礼な態度といえます。
往時には仏教の聖地になっていたといい、幾つかの建物がありました。
承天寺塔は、11世紀の西夏時代に建てられましたが、清代に地震によって倒壊し、現在の建物は1820年に再建されました。
塔は八角11層で高さは64.5mあります。
塔には登ることができました。細く急な階段が続きました。
息をきらして最上部に到着。四方に窓が設けられていました。
格子窓から外を眺めることができました。
ビル群が目立っています。
塔を下って出口に向かいました。
「太妃井」と言われる井戸がありました。不妊に困っていた西夏の王妃がこの井戸の水を飲んだところ、一人の皇子を設けることができたといいます。現在でもこの言い伝えによって、この水を飲む者がいるといいます。
続いて海宝塔に向かいました。銀川の北郊外にあり、周辺は海寧公園として整備されています。
広い公園を横断していきます。
門前にはお線香を売る店が並んでいました。
お寺の境内の中に進みました。
境内には、幾つものお堂が並んでいました。
大雄宝殿。これが本殿のようです。
多くの参拝者がお参りしていました。
海宝塔は、11層で高さは53.9mあり、見上げる高さです。
海宝塔は、五胡十六国時代の夏(407~431年)の創建者の赫連 勃勃(かくれん ぼつぼつ)によって造られたと伝えられています。清代に地震で二度にわたって倒壊しましたが、その都度再建されました。かつては9層まで上がれたようですが、2009年の四川大地震で僅かに傾いてしまったため、登ることができなくなっています。
塔の裏手にもお堂が設けられていました。
境内を一周して戻ってくると、大雄宝殿に茶色の僧衣を来た団体が参拝していました。
最後に公園を歩くと、東屋の下で、グループが民族楽器の伴奏で歌っていました。公園は地元の人の憩いの場になっているようです。
公園には湖があり、これが海寧公園の名前の由来のようです。
これで銀川の観光を終えて、昼食をとってから阿拉善左旗(アラシャンサキ)へ向かいました。