さすらい人の独り言

山登り、日々の独り言。
「新潟からの山旅」別館
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さすらいの風景 クアラルンプール その2

2017年09月28日 | 海外旅行
ロイヤル・セランゴール工場の見学後クアラルンプールに戻り、国立博物館を見学しました。幹線道路沿いにあり、この前を何度も素通りしていました。



博物館の庭には、古いマレー鉄道の車両が展示されていました。



蒸気機関車も展示されていました。鉄道マニアではないので、いつごろのものかは判りません。





ペナン・ヒルのケーブルカー。



高床式の伝統家屋も展示されていました。



国立博物館は、伝統的マレー様式の建築を再現しています。



入口の右手にはマレーシアの歴史が描かれています。



左手には、マレーシアの文化。



博物館では、マレーシアの歴史に関するものが展示されています。



石器時代から展示が始まっていました。



早い時期からアラブ商人が東南アジアを訪れていたようです。



仏像。上座仏教では釈迦像しか作られないので、大乗仏教由来のものでしょう。

マレーシアでは仏教寺院がいくつもありますが、インドから最初に伝わってきたはずの上座仏教は消滅しており、中国からの移住者が持ち込んだ大乗仏教が信仰されています。



王座。



曲がりくねった刃を持つ短刀は、東南アジアで用いられる伝統的武器で、クリスと呼ばれます。



イスラム教の伝播が展示されています。





伝統衣装。



16世紀にはじまるポルトガル支配。



マラッカのサンチャゴ砦が復元展示されていました。



スズ鉱山の模型。



第二次世界大戦における日本軍の侵攻。山下奉文大将は、マレー作戦を指揮し、マレーの虎とも呼ばれました。



マレー作戦で活躍した銀輪部隊の自転車。

第二次世界大戦の開戦時、マレー半島北端に奇襲上陸した日本軍は、イギリス軍と戦闘を交えながら55日間で1100キロを進撃して半島南端のジョホール・バル市に突入し、さらに当時難攻不落と謳われたシンガポール要塞をも10日間で陥落させてしまいました。

当時、どの国も歩兵部隊を安定して輸送できるだけの自動車を有するほど機械化はされておらず、歩兵の移動は依然として徒歩が中心でした。また防御するイギリス軍は橋を落としながら退却したため、徒歩による渡渉が強いられました。そのため、自転車部隊が活躍することになりました。



マレー沖海戦。

第二次世界大戦の序盤、極東における最大拠点であるシンガポールを防御するため、超弩級戦艦「プリンス・オブ・ウェールズ」を基艦とする東洋艦隊を配備しました。東洋艦隊が、日本軍輸送船団を攻撃するために出撃したところ、日本海軍の陸上攻撃機によって、「プリンス・オブ・ウェールズ」は撃沈されてしまいました。

この戦いは、「作戦行動中の新式戦艦を航空機で沈めることはできない」との常識を覆し、当時の世界の海軍戦略である大艦巨砲主義の終焉を告げるできごとになりました。また、イギリスの権威の失墜によって、後の民族独立運動へのきっかけにもなりました。

マレー作戦やマレー沖海戦では、真珠湾攻撃もそうですが、あまりにもうまく行き過ぎた作戦の勝利だけに目がいったことが、不幸の始まりであったと思われます。



独立後の共産ゲリラとの内戦。



各民族の伝統衣装。



クラッシック・カーも展示されていました。



マレーシアの国民車SAGA。

1980年代に国産車構想の元、プロトン社が生産した車です。業務提携先の三菱自動車の三菱・ランサー(ミラージュ)を元に造られています。

国立博物館は、マレーシアの歴史を振り返るのには良いのですが、ここでしか見られない遺跡の出土品といった目玉になる展示品がないのは残念です。
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