
再びマイクロバスに乗って、水の宮殿(タマンサリ)に移動しました。
水の宮殿(タマンサリ)は、初代スルタンいよって、1765年に西洋建築とジャワ建築を融合して造られました。第2代スルタン時代に地震によって崩壊しましたが、第8代スルタンによって現在の建物が造られました。
入口の門は上がることができました。

車を降りた入口を振り返ったところ。

宮殿の奥方面の眺め。

入口を通してプールが見えていました。

宮殿の奥へと進みます。

通路脇に設けられた東屋。

一段下がったところにプールが設けられていました。

猛暑にばて気味であったので、余計にプールが気持ちよさそうに見えました。

このプールでは、宮殿の女性が水浴びをして、それをスルタンが覗き見て夜を過ごす女性を選んだといいます。南国のハーレムならではの仕掛けですね。

プールサイドの建物には着替えの部屋も設けられていました。

奥には、王妃や娘のプールが別に設けてありました。

こちらのプールはやや小ぶりです。


脇の建物内には王のベッドが置かれていました。

別な入口から出ました。

王宮の周囲は民家が広がって、軒先をかすめる細い道が続いていました。

宮殿の外壁。修復が充分でなく、荒れた感じでした。
これでジョグジャカルタの見学は終わりになって、昼食後、バリ島に移動するため空港に向かいました。

ジャカルタとは違って、ジョグジャカルタの空港は、出発の待合室も一室だけの小さなものでした。

観光客用の土産物屋も小さなものがあるだけでした。

出発ゲートの表示も無く、行き先が掲示されて、その下の出口に集まるといったものでした。

歩いて飛行機に向かいました。

ジョグジャカルタからバリ島へは1時間10分ほどのフライトですが、軽食が出てきました。といっても中身のないパンなので、少しかじって味見をするだけになりました。

バリ島の空港に到着すると、夕焼けで空が真っ赤に染まっていました。前日のボロブドゥール遺跡のサンセットツアーでこのような状態であったなら良かったのにと思いましたが、充分楽しんだので良しとしましょう。
水の宮殿(タマンサリ)は、初代スルタンいよって、1765年に西洋建築とジャワ建築を融合して造られました。第2代スルタン時代に地震によって崩壊しましたが、第8代スルタンによって現在の建物が造られました。
入口の門は上がることができました。

車を降りた入口を振り返ったところ。

宮殿の奥方面の眺め。

入口を通してプールが見えていました。

宮殿の奥へと進みます。

通路脇に設けられた東屋。

一段下がったところにプールが設けられていました。

猛暑にばて気味であったので、余計にプールが気持ちよさそうに見えました。

このプールでは、宮殿の女性が水浴びをして、それをスルタンが覗き見て夜を過ごす女性を選んだといいます。南国のハーレムならではの仕掛けですね。

プールサイドの建物には着替えの部屋も設けられていました。

奥には、王妃や娘のプールが別に設けてありました。

こちらのプールはやや小ぶりです。


脇の建物内には王のベッドが置かれていました。

別な入口から出ました。

王宮の周囲は民家が広がって、軒先をかすめる細い道が続いていました。

宮殿の外壁。修復が充分でなく、荒れた感じでした。
これでジョグジャカルタの見学は終わりになって、昼食後、バリ島に移動するため空港に向かいました。

ジャカルタとは違って、ジョグジャカルタの空港は、出発の待合室も一室だけの小さなものでした。

観光客用の土産物屋も小さなものがあるだけでした。

出発ゲートの表示も無く、行き先が掲示されて、その下の出口に集まるといったものでした。

歩いて飛行機に向かいました。

ジョグジャカルタからバリ島へは1時間10分ほどのフライトですが、軽食が出てきました。といっても中身のないパンなので、少しかじって味見をするだけになりました。

バリ島の空港に到着すると、夕焼けで空が真っ赤に染まっていました。前日のボロブドゥール遺跡のサンセットツアーでこのような状態であったなら良かったのにと思いましたが、充分楽しんだので良しとしましょう。