さすらい人の独り言

山登り、日々の独り言。
「新潟からの山旅」別館
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さすらいの風景 グアテマラ・シテイ その6

2018年07月03日 | 海外旅行
国立考古学民族が博物館の最大の見どころは、中庭周囲とその奥に展示されている石造物の展示です。

以後、時代順に写真を載せていきますが、知られていないマヤ遺跡の名前が多く出てきます。



プエルト・バリオスの祭壇。

プエルト・バリオスは遺跡ではなく、モタグア川がカリブ海に注ぎこむところにある港町。そこで押収された盗掘品です。746年の日付が見られますが、知られていない王の名前が記載されており、未解読の紋章文字のため出所不明になっています。



ウアシャクトゥンの石碑(445AD)。

ウアシャクトゥンは古典期前期にはティカルと肩を並べる勢力だったものの、その後ティカルの支配下に入ったといいます。



トレス・イスラスの石碑(475AD)。



ピエドラス・ネグラスの石碑(445AD)。

ピエドラス・ネグラスはメキシコとの国境を流れるウシュマシンタ川沿いにある大規模な遺跡とのこと。



ピエドラス・ネグラスの石板(514AD)。

支配者の戦勝記念碑です。盛装した支配者の前に縛られた捕虜が三人並んでいます。



ピエドラス・ネグラスの石板(667AD )。

同じく支配者の戦勝記念碑です。



ピエドラス・ネグラスのキニチ・ヨナル・アーク二世の即位記念碑(687AD)。



トレース図。



ピエドラス・ネグラスの石碑(746AD)

支配者が跪き、下にある石棺の中に右手で香をばら撒いている様子が描かれています。



トレース図。



ピエドラス・ネグラスの支配者ハ・キン・ショークが奉納した石碑(771AD)。

ショーク王が右手から何か撒いている様子が刻まれます。



ピエドラス・ネグラスのキニチ・ヤク王の石碑(785AD)。



トレース図。



ピエドラス・ネグラスの玉座(785AD)。



背もたれの部分は、下顎のない山の怪物の仮面になっており、目の窪みの部分から支配者の両親と思われる祖先が顔を覗かせ向かい合って会話しています。



ピエドラス・ネグラスの石板(785AD)



ピエドラス・ネグラスの石板(795AD頃)



ピエドラス・ネグラスの石碑(795AD)。



トレース図。



ドス・ピラスの石碑(682AD)。



ドス・ピラスの石碑(726AD)。

盗掘者によって、石碑は幾つかに切断されてしまっています。



戦士の装いをした王の姿が刻まれています。



ナランホの石碑(699AD)。

古典期前期にはティカルの勢力下にあったと思われるナランホは、古典期後期に入る頃にはカラクムルの支配下にあったようです。



ナランホのカック・ティリュウ王の石碑(716AD)。



トレース図。



タマリンディートの石碑。



イシュトゥツの石碑(780AD)。



マチャキラの石碑(801AD)。



マチャキラの石碑(820AD)。



マチャキラの石碑(830AD)。



古典期終末期のウカナルの祭壇。



ウカナルの石碑(849AD)。



古典期終末期のイシュルの石碑(859AD)。



パロ・ベルデの石碑。



トレース図。



パロ・ベルデの石碑。



コツマルグアパ文明の石碑。

コツマルグアパ文明は、古典期後期に栄えたマヤとは異なるメキシコ系の文化とのこと。



コツマルグアパ文明の石碑。



ティカルの祭壇(751AD)。



ティカルの石碑(751AD)。上の祭壇とセットです。



以上の石碑や石板の他にも石彫物が展示されていました。



スフィンクスにいていますね。





何を現している彫刻か判りませんが、面白い模様です。

この博物館の石彫物や他のマヤ遺跡の説明には、以下のウェブを参考にしました。
マヤ遺跡探訪(http://www.infomaya.jp/index.html)
詳細に説明されていますので、是非ともお読みください。
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