さすらい人の独り言

山登り、日々の独り言。
「新潟からの山旅」別館
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さすらいの風景 メキシコ・シティー その9

2017年03月31日 | 海外旅行
テオティワカン見学を終えてメキシコ・シティに戻ってきて、グアダルーペ寺院を訪れました。

バスの停車位置の関係で、脇道からこの新聖堂を通り抜けて、脇の広場に出ました。



広場からは、旧聖堂の側面が見えますが、傾いています。





旧聖堂の塔の横の隙間は、もともとは建物がつながっていたようです。アステカ建国伝説の説明時に述べましたが、現在のメキシコシティのある場所は、もともとはテスココ湖で、それを埋め立てたもののため地盤が軟弱です。



グアダルーペ寺院の背後には、テペヤックの丘が広がっています。



丘の上には礼拝堂がありますが、残念ながら訪れませんでした。



テペヤックの丘の上への参道は、多くの参拝者で賑わっていました。



階段脇には、グアダルーペの聖母の飾りが置かれていました。



階段の右脇には、「グアダルーペの奇跡」についての像が置かれていました。これには、次のような伝説が残されています。

1531年12月9日、先住民のフアン・ディエゴがテペヤックの丘を歩いていると、目の前に聖母が現れました。その聖母は、「司祭のもとへ行き、この地に教会堂を建てるように伝えなさい」と告げました。しかし、ディエゴが懸命に説明しても、司祭は彼の話を一向に信じようとはしませんでした。そんな彼のもとに再度聖母が現れ、12月の時期には咲くはずのないバラを与えました。ディエゴはバラをマントに包み、再び司祭のもとへ。彼が司祭の前でマントを広げると、マントに褐色の肌を持った聖母が浮かび上がりました。

「グアダルーペの聖母」は、フランスの 「ルルドの泉」 やポルトガルの 「ファーティマ」 と共にカトリック認定の3大奇跡とされています。



右に立つのは、フアン・ディエゴで、聖母が浮かび上がったマントを示しています。左に跪くのは、司祭のようです。



像の周りにはバラが植えられていました。時期はずれなのか、あまり咲いていませんでしたが。



聖堂正面の大広場に移動しました。



聖堂の壁には、「グアダルーペの奇跡」の軌跡についてのレリーフが飾られていました。



正面から見たグアダルーペ寺院の旧聖堂。旧聖堂は、1709年に建設されました。



旧聖堂は傾いてはいますが、入場はできるようです。中には案内されませんでしたが。



丘の上に建つ礼拝堂。



旧聖堂の前には、大きな広場が設けられています。



ローマ教皇ヨハネ・パウロ2世の像が置かれていました。2002年に教皇が訪問した際に、聖母を見たフアン・ディエゴは聖人の地位にあげられました。

ところで、「フアン・ディエゴ」を検索すると、ペルーのリマ生まれで超高音を得意とする現代最高のテノール歌手の「ファン・ディエゴ・フローレス 」がヒットします。フアンは、聖ヨハネ、ディエゴは聖ヤコブのスペイン語形なので、スペイン語圏では一般的な名前なのかもしれません。



旧聖堂が傾いてしまったため、1976年に新しく建てられたのが、新聖堂です。円形の独特の形をしています。



広々とした新聖堂は、2万人を収容できるといいます。中南米のキリスト教信者は、メキシコを訪れた際には、必ずこの寺院に参拝するといいます。



聖堂の奥に、「グアダルーペの聖母」が飾られているのが見えました。丁度ミサが始まったところだったので、近寄ることはできないのかと思ったのですが、思わぬ仕掛けが施されていました。



地階に下ると、「グアダルーペの聖母」の下に見学通路が設けられていました。信者が立ち止まらないように、動く歩道が設けられていました。



「グアダルーペの聖母」を良く見ることができました。伝説を知っていても、絵具で描いたものだろうと思ってしまいますが、ヴァチカン公認の軌跡ですので信じることにしましょう。



バスに戻り、これでマキシコシティの見学は終了し、メリダへ移動するために空港に向かいました。
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