地元木曽の山、御嶽山の噴火から丸3年。
今も行方不明の方の捜索は続いています。
地元でこういった事故が起きてしまった事は
とても悲しいし悔しい。
この噴火は木曽地域の主要産業である観光にも
大きな影響を与えました。
悲しみの中でも地域の生活は続いています。
手を合わせながらも
前を向いて歩いていかなくてはなりません。
歩いていくには何が必要だろう。
私は「繋がり」なのかな、と思っています。
以前の私にとって地元は、
年に1回帰る場所であり、思い出の場所でした。
もう自分は「よそ者」なんだろうと思っていました。
でも噴火して以降、
「のんびり望郷してる場合じゃない!」
という気持ちが急に湧き上がってきて
何かできないかと思い、
数少ない武器である音楽という手段で
木曽での活動を始めました。
歌って解決する問題なんてほとんどありませんが
少しでも賑やかしになればという思いでした。
そして、そこで感じた繋がる事の大切さ。
やりたい事があっても一人じゃ何も動かせなかった。
その後、たくさんの人の知恵と力を借りて
幾つものアイデアを実現する事ができました。
今は、私が歌うことで誰かと繋がれたら、さらに
誰かと誰かが繋がるきっかけになったらいいな、
そんな風に思いながら活動しています。
まだまだやれる事はたくさんあります。
ひとつひとつの力が繋がることで
想像以上のものが見えてくると思います。
故郷は自分達で守らなきゃ。
厳しい時代だからこそ強く思います。
今も行方不明の方の捜索は続いています。
地元でこういった事故が起きてしまった事は
とても悲しいし悔しい。
この噴火は木曽地域の主要産業である観光にも
大きな影響を与えました。
悲しみの中でも地域の生活は続いています。
手を合わせながらも
前を向いて歩いていかなくてはなりません。
歩いていくには何が必要だろう。
私は「繋がり」なのかな、と思っています。
以前の私にとって地元は、
年に1回帰る場所であり、思い出の場所でした。
もう自分は「よそ者」なんだろうと思っていました。
でも噴火して以降、
「のんびり望郷してる場合じゃない!」
という気持ちが急に湧き上がってきて
何かできないかと思い、
数少ない武器である音楽という手段で
木曽での活動を始めました。
歌って解決する問題なんてほとんどありませんが
少しでも賑やかしになればという思いでした。
そして、そこで感じた繋がる事の大切さ。
やりたい事があっても一人じゃ何も動かせなかった。
その後、たくさんの人の知恵と力を借りて
幾つものアイデアを実現する事ができました。
今は、私が歌うことで誰かと繋がれたら、さらに
誰かと誰かが繋がるきっかけになったらいいな、
そんな風に思いながら活動しています。
まだまだやれる事はたくさんあります。
ひとつひとつの力が繋がることで
想像以上のものが見えてくると思います。
故郷は自分達で守らなきゃ。
厳しい時代だからこそ強く思います。