Mr.Kの雑感日記

クラシックギターの活動状況や日々感じたことを綴る、
何でもありな日記みたいなものです

ビー玉の名前の由来

2004-10-30 12:53:08 | 携帯から
先程、ラジオでビー玉の名前の由来について話が出ていた。

何故ビー玉と呼ぶのか?

それにはラムネが関係あるそうだ。

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ラムネには、フタの代わりにビー玉が入っているが、
正確にはこれを、エー(A)玉というらしい。

つまり、ビー玉=B玉ということだそうだ。

では、何故ビー(B)玉なのか?

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ラムネのフタとして作られたガラス玉。

ラムネ用として使えるガラス玉を、エー(A)玉。
小さかったり、大きかったりしてラムネ用としては使えないものを、ビー(B)玉としたらしい。

そして、その製品として使えないものを着色して売り出したのが、ビー玉の始まりだそうだ。


何てことないことだが、
思わず「へぇ~」と言ってしまった。


あ、じゃあ、何でラムネにガラス玉を使うようになったんだろう・・・?



ニュースを見て

2004-10-29 10:07:58 | 携帯から
二歳の男の子が、土砂崩れによる生き埋めから救出された。

私にも同い年の息子がいる。

親の庇護なしでは生きられないような年齢の子が、
何も分からぬまま暗がりに閉じ込められてたことを
想像するだけで胸が詰まる。

助かって本当によかった。

救助隊員に抱き抱えられている姿を見て、
ただひたすら泣けた。

そして、残念な事に、母親と三歳のお姉ちゃんが亡くなった。


まだ気持ちの整理がついてないが、この事故は、私の心に重く重くのしかかっている。



ドラマを見て・・・

2004-10-27 12:28:24 | 携帯から
昨日、ダウン症の子とその両親のドラマを見た。

以前、本・CMなどで話題になっていた実在の家族がモデルだということで、
気になっていた番組だった。

帰宅が遅かったので、ラスト40分くらいしか見ていないが、
すぐに感情移入してしまい、ほぼ半泣き状態だった。

自分の子どもが、自分達よりも早く死んでしまう。
それもかなり幼い時点で。

生まれてすぐに、そう医者に宣告されたら、私はどうするだろうか?

半狂乱するかもしれない。

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普段の生活で、死を意識することは、まずない。

日本では特に実感しにくいのかもしれない。

人はいつか死ぬ。

そんなこと当たり前のことも知ることなく、
ひたすら生きて死んでいく幼い命を見ると、
考えずにはいられなくなる。

そしてそれを、子どもにどう伝えれば良いのかを考えてしまう。

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ダウン症も含めて、かなりの病気が、
胎内にいる時点で判るそうだ。

そして、重い疾患だと判明したら、中絶する方もいるという。


それをひどいと言う資格は、私にはない。

私もその立場になれば、間違いなくこう考えてしまうだろう。

「子どもと自分達の苦しみを考えたら、生まれてこないことが幸せなのではないか」と。

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情けないが、
現時点で、生と死にたいして、
自分と自分の子を納得させられるだけの答えは持っていない。


ただ、人生が充実するよう、幸せと感じられるように生きて、
その姿を子どもに示していくことくらいだ。


「国民文化祭」ってご存じですか

2004-10-26 20:55:31 | 雑感
「国民文化祭」というのを知っている人はどのくらいいるのだろうか?

福岡県では、今月末から「とびうめ国文祭」と称して、
福岡県全体の文化活動を盛り上げようとしている。

以下、「とびうめ国文祭」ホームページからの引用

『国民文化祭とは、全国各地で文化活動に親しんでいるアマチュアの方々が、日頃の活動を発表したり交流したりする催しであり、文化祭としては国内最大規模のものです。
 祭典を通じて、広く文化活動への参加気運を高め、新しい文化の創造を促し、地域文化の発展・進行に寄与することを目的としています。
 福岡県では、すべての市町村を会場に93のイベントが開催されます。福岡市では12のイベントを開催します』


ホームページを覗いてみると、
趣旨をはじめ基本構想・開催要項・実施大綱・事業運営など様々な解説がされており、
開催の主旨を理解していただこうという努力が伺える。


出典作品も様々で、
私も参加する「ギターとマンドリンの祭典」といった音楽を始め、
舞踊・演劇・伝統芸能・美術・俳句などの文芸など
多岐にわたる文化活動が参加している。

また、お役所仕事お決まりのマスコットキャラクターもおり、
名を「飛梅丸」というらしい。
梅の花に手足がついたような容姿。
ハッキリ言ってビミョーだ。
(見てみたい方はホームページをどうぞ)

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しかし、一体どれだけの人がこれを知っていて、
かつ見てみたいと思うのだろう。

私は、クラシックギターをやっていることもあり、古賀(政男)メロディーを弾くべく、
マンドリンオーケストラとして参加するが、
それがなければ知ることはなかったと思う。

現に、会社の同僚も知らないし、
周りで話題が出ているとも聞かない。


「国民文化祭」を否定するつもりはない。
むしろ参加する一人として盛り上げたいとすら思う。

しかし、文化活動の輪を広げたいと思うのなら、
もっとやり方があるのではないかと感じてならない。

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仕事柄、カーラジオをよく聞くが、
そこへの露出も少ない。

テレビでも宣伝しているのだろうが、
一般的なサラリーマンが見る夜遅くの時間帯にはやってない。

ホームページは開設されているが、
知っていなければ、かつ興味がなければ見てもらえない。


情報が、早く・多量に消費されていく世の中で、
宣伝手段が後手に回りすぎていると思えてならない。

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福岡出身の演歌歌手・氷川きよしさんがイメージソングを歌っている。
おそらくこの事業でいちばんお金がかかっていると思われる。

しかし、歌詞・曲が何とも言えないくらい悲しい。

大雑把に言えば、
万人受けを狙うあまり、
歌詞・曲ともに中途半端なのだ。
そういう悲しさが曲全体に流れている。


氷川きよしさんの持つエネルギーとか魅力とかがほとんど活かされない。
これなら、古賀政男の「丘をこえて」とかを
氷川きよし流に歌い上げてくれた方がよっぽど話題性・音楽性がある。

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だんだん、悪口になってきたが、
何とか盛り上げたいという気持ちはある。

私たちにもできることはあろう。
そして、
こういう時代だからこそ、
地道な宣伝活動が良いのかもしれない。

会社の同僚に宣伝するとか、
行きつけの飲み屋の女の子にそっと教えるとか・・・。


悪口ついでに下世話な方向に向かいつつあるが、
「とびうめ国文祭」に参加される方、
地道に文化活動を盛り上げていきましょう。


とびうめ国文祭についてはこちら↓
国民文化祭・ふくおか2004

お詫びと反省

2004-10-25 20:00:26 | Weblog
今朝、投稿した記事の結びの文章で、
「新潟」の震災のことを誤って「山形」と表記してしまいました。

午前中に記事を読み直したときに間違いに気づき、
急ぎ修正しましたが、

どんなに急いで書いていたとはいえ、
自分の認識の浅はかさ・意識の低さは疑う余地がありません。


日記のようなものなので、
ほとんど自己弁護・自己満足に近いお詫びですが、

読んで下さる方の気分を害してしまったことと思います。
ここに深くお詫び申し上げます。

バブル経済の恩恵

2004-10-25 09:00:40 | 雑感
社内で雑談していたところ、
10数年前には福岡にもビッグアーティストと呼ばれる人たちが来てたよね、という話になった。

といっても、当時の私はクラシックに興味もなく、
もっぱらロックとかのアーティストだが、

覚えているだけでも、
マドンナ、エリック・クラプトン、Mr.BIG、
そして、ローリング・ストーンズやマイケル・ジャクソンまで・・・。

もっと色んな方々が来福されていたと思うが、
覚えているだけでも超有名な人たちがばかりだ。

もちろん、その後も福岡に来ているアーティストはいるが、
1990年代後半が一番華やかだったように思う。


なぜその時代に集中したかを考えてみると、
色んな条件はあったのだろうが、
まずは、プロモーター(というのだろうか?つまり福岡に呼ぼうとした人)が
充分な資金を持っていたと言うことになるだろうと考えた。

つまり、バブル経済が影響しているのではないかと思ったのだ。

もっとも、アーティスト側も、
日本のバブル経済の恩恵を受けたいと思ってはいただろうが・・・。

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メディアでは、「失われた10年」をはじめ、
色々な言われ方をされて、現在の日本経済の諸悪の根元みたいな扱いをされているバブル経済。

マクロで捉えると、不良債権の処理も終わってはおらず、
特に地方では依然として銀行の経営を圧迫しており、なんとなく社会全体が停滞ムードを払拭できないでいる。


でもその、あり余っていた(と勘違いしていた)お金が、
地方にめったに見られないアーティストを呼び、人々にちょっとした活力を与えてくれた。

それはある人にとっては、こういったライブであったろうし、
別の人には、美術展とかであったかもしれない。

ものすごく限られた狭いジャンルのことだし、
ごくごく一部の人にしか当てはまらないかもしれない。

でも、喜んだ人がいたことは確かだから、
ミクロで捉えると結構イイコトあったんじゃないか、
と社内で話しながら思ってしまった。

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過去の失敗を反省することは大事だ。

でも、必要以上に責めると、恐怖心から前に進みにくくなってしまう。

失敗は失敗だったんだろうが、ひとりひとりがもう少し前向きに捉えることで、
ちょっとは世の中が明るくなるんじゃないかと勝手に考えてみた。



末筆になりましたが、
新潟の震災に遭われたみなさまの、一日も早い、
経済的・肉体的・精神的な回復を、心よりお祈り申し上げます。

理想の音色その2

2004-10-24 12:54:53 | 音楽
同じ楽器でも、弾く人によって全く違う音が出る。

特に個々人の技術の差が大きい場合、この違いは顕著だ。


私が十年以上愛用しているギター。

もうすっかり私のクセが染み付いているであろうこの楽器も、
私以外の人が弾くと、たまにビックリするほどいい音が出る。

まるで、長年付き合っている彼女が、他の男友達には別の顔を見せているようで(笑)、
意外な面を見たという、少しの嬉しさと、大きな嫉妬が沸き起こる。

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イメージした音色が出ないと、
(安い楽器には特に)楽器の限界かな、などと思ってしまう。

しかし、どこまでが楽器の問題で、どこまでが技術の問題なのだろうか。


自分の楽器から、自分の知らない音が出る。

それは「技術の差」という機械的なニュアンスを含んだ言葉だけでは言い表せない。

それを聞いたとき、
たった一台の楽器すら弾き熟すことが困難だという、
音楽の持つ深さに茫然としてしまいそうになる。


アマチュアの私ですらこうなのたから、
プロの方は、もっと深いものを音楽に感じておられるのだろう。

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「楽しけりゃイイよ」
と軽く考えてしまう毎日と

「もっと高みに上りたい」とクソ真面目に、時たま悩む日。

そんな生活の中で、私は音楽を続けている。

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今、ふと思ったが、
理想の音色とは、
私の場合は、指揮者・オーケストラが必要とする音であったり、
聴いて下さる人々の心に響く音であるのかもしれない。

自分一人だけで追求する理想の音色は、独りよがりの傲慢な音でしかないのか・・・。



理想の音色とは

2004-10-23 14:45:55 | 音楽
先日、数人でアンサンブルをしていたところ、ある違和感が出てきた。

それは、イメージした音色と、実際に出た音色とのズレから生じたものだった。

曲構成は、歌謡曲を編曲したものだったので、ギターは完全な伴奏に徹していた。

曲の雰囲気に合わせて、
「ここはこんな音が欲しいな」
などと考えながら音を出してみる。


?・・・何か違う・・・。

また別の箇所で、
「ここはこんな感じで」

・・・やっぱりイメージ通りの音が出ない。


何だかよく分からないまま、理由を考えてみた。

①練習用に買った、二万円くらいのギターだからだろうか。
②私の技術が未熟なのか。
③はたまた、その両方か。
④そもそも、イメージが間違っていたのか。

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こんな感覚は初めてだった。
正直、驚いた。

よく考えてみると、
いままでいかに何も考えずに楽器を弾いてきたかを表しているようでもあり、すごく恥ずかしくなった。

でもまぁ、十年以上楽器に関わってきて、ようやく少し進歩できたのだとプラスに捉らえておくことにした。

あとは、いかにイメージに近づけていくか、ということだろうか。

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理由を分析してみた。

①に関しては、単に新しいギターが欲しいという欲求からかもしれないし、
②は素直に認めたくはない。
④に関しては、アマチュアとはいえ、音楽家としての資質すら疑わしくなってしまうので論外だ。

という訳で、
今のところ③が有力、と自分に言い聞かせている・・・(苦笑)

いやしかし、音楽は奥が深い。


爪のかたちと音色②

2004-10-22 09:59:03 | 音楽
爪の話だけで前回は終わってしまった。

爪のかたちに音色が絡んでくると、格段に難しさが増す。
というより、私では全くと言っていいほど分からない。

ヤスリでピカピカになるまで磨くと、やわらかで、それでいてコシのある音が出る。
そのくらいしか分からない。

あとは
①かたちは、(私の好みだが)指の形に沿うようにして丸くカットする。

②長さは、掌の方から見て、爪が指からはみ出しているかいないかくらいの長さに揃える。
くらいしかやっていない。

しかし、上記の事も、あくまで弦をタッチしたときのフィーリングを重視したやり方であって、
今のところ、音色にまで頭が回らない。


どうすれば、もっと良い音色で奏でられるのか?


力任せで弾く癖がなかなか抜けないので、爪という点からもアプローチしているが・・・。

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ある方に、爪のかたちが良いと褒められたことがある。

私の爪は、指を横から見て、ゆるやかな山型の曲線を描いている。
指と爪の間隔も狭いので、弦を、指と爪の間で程よくはさみ込めて良いのだそうだ。
あとはその弦を押し込んで弾く、ということらしい。

その時は、
「では、上手くならないのは爪のせいではないですね」
と笑っていたが、もう少し突っ込んで聞いておけばよかったと、今更悔やんでいる。

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人に聞いてみたり、爪を見せていただいたりしているが(言葉だけ見ると怪しい行動だ)、
体という、個人差の大きなものだけに、簡単には答えは見つからないみたいだ。

答えを急いでいるワケではないが、
意識だけはなるだけいつもしておきたいと思う。

そのためにも、こうやって考えてることを、忘れないように書き残しておく。


爪のかたちと音色

2004-10-21 08:50:47 | 音楽
昨晩、軽めに練習をこなした後、ふと思い立って爪の手入れを始めた。

本来なら練習の前にするべきものなのに、なぜか練習後。
(こういう部分がいつまで経っても上達しない理由か・・・)

10年以上クラシックギターをさわっていて、
好みの爪の長さ・かたちも少し変わってきたように思う。


引き初めの頃は、よく分からないのでただ伸ばしただけで、先輩の見よう見まねで形を丸くして、あとはヤスリでツルツルに・・・というやり方だった。

あまり長く伸ばすと、爪が弦に引っかかってしまい、
特に早引きなどでは邪魔になってしまうので、短めに設定するようになった。


現在も、その短めの設定を基本としている。
長さはずいぶんと短くするようになり、
親指が3mm程度、人差し指が1~1.5mm、中指・薬指が2~3mm、小指は基本的に伸ばしていない。

どの指も未だ試行錯誤中だが、親指は特にによく分からず、長さをコロコロ変えている。

右手の指の使い方そのものはほとんど変わっていないと思われるので、
爪によって自分の好みのフィーリングを探っているという感じだ。


指の使い方は変わってないが、爪のかたちはどうも変化しているようで、
学生時代にはなかったが、爪に部分的な反りが出てきたりしている。

中年への体質の変化の一過程なのだろうか。
だとすれば少し寂しい・・・。

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ショップの方も、私の学生時代はかなり伸ばされていたが、
年々短くされていった感じで、現在は、親指以外は私よりも短く設定されているのではないか。

そういえば、つめの長さなどにも流行があると言われていた。
こんなマイナーなジャンルにも、流行ってあるようだ・・・。

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爪を手入れしていると、不思議と気分が静かに落ち着いていく。
習字をする前、墨を溶いて精神統一をする時のような感覚だ。

ならば尚更、練習前にしなくては・・・。