われわれが、経済的に不運な者に対し、社会における位置づけと役割を拒否できるのは、経済的に成功できないことが本人の責任であり、人間としても、市民としても価値を認めがたいと断じうる場合だけである。
:「企業とは何か」
経済的に成功できないことが本人の責任であり、人間としても、市民としても価値を認めがたいと断じうる場合というのは現実的にはごくまれであることには違いないが、そのような場合には隔離することが正しいということのようである。
われわれは、経済的に成功できない者に対しても、原則、社会における位置づけと役割を与える仕組みを提供せねばならない。
この文章の経済的にという言葉に、ドラッカーらしさを感じる。
ここでいう経済的に成功できないとは、経済的な負債をかかえて身動きができないという感じか?
経済的な問題だけであれば、社会における位置づけと役割を与える仕組みに入れるということである。