知識の探究と教育は、その利用から切り離されていた。
知識は研究対象ごとに、いわば知識の論理と思われるものに従って組織されていた。
大学の学部、学科、科目、学位にいたるまで、高等教育全体が専門別に組織されていた。
マネジメントのいうところの市場志向、用途志向ではなく、製品志向だった。
今日ようやく、知識とその探究が、専門分野別ではなく利用分野別に組織されるようになった。
学際研究が急速に進みつつある。
知識が自らを最終目的とするものから、何らかの成果をもたらすための手段に移行したことの結果だった。
現代社会の動力源としての知識は、仕事に使われてはじめて意味をもつ。
仕事は専門分野によって定義することはできない。
仕事の成果は学際的たらざるをえない。
:「断絶の時代」
人間の動力源はハード的なものよりもソフトウェア的なものである。
ハード的なものは何時でも機能できるように準備をしておく必要がある。
ハードを機能させるべき情報に対して適切に反応する必要がある。
日常的にできることは、何時でも機能できるように準備をしておくだけかもしれない。
成果があがった時だけでなく、何時でも機能できるように、今日できること、今できることを準備するところにも幸福がある。