長い歴史を通じ、あらゆる職種において、18、19歳までの5年から7年の徒弟時代に学んだ技能によって、一生職人としてやっていくことができた。
今日では、学校教育によって、理論的分析的な知識を身につけなければならない。
仕事に対する姿勢とアプローチも昔とは大きく異なる。
何をおいても、継続学習の習慣を身につけることが必要となっている。
それでは、あらゆる人間がもつべき知識とは何か。
学ぶことと教えることの質とは何か。
知識社会では教育が中心の問題となり、学校が中心の組織となる。
実に、学校教育における知識の獲得と配分にかかわる問題は、資本主義と呼ばれたこの2、3世紀における所得の獲得と配分にかかわる問題と同じ政治的位置を占めるようになる。
:「未来への決断」
知識の価値と所得の価値が同じレベルの政治的課題となるということ?
未来への決断は1995年発行であり、28年前になるので少し様相が違うような感じがする。
情報通信社会、特にスマホの発達により、知識格差はほぼ解消されたといっても過言ではない。
所得についてはいまだに獲得と配分は大きな問題であるが、知識についてはほぼ解消されている。
そうすると、知識の獲得と配分の問題が解消された社会における学校教育が政治的位置を占めるようになったと考えることが正しい。
教科書の内容に教師の知識を加えて教えていた時代は教師の知識に価値があったが、教師の知識以上のものがスマホで簡単に検索できてしまうと教師の知識に価値がなくなる。
教科書の内容も教師の知識もスマホで見える時代に学校が果たす役割とは何か?
この課題に対する方向性を明確にしないと教員は疲弊する。
ここで、学ぶことと教えることの質とは何かが問われる。
学ぶことと教えることの質とは、自ら考えて行動することに繋がるかどうかじゃないか?
学んだことを行動につなげる。
教えたことが行動につながる。