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正像末の三時

2022年07月21日 | 仏教用語の解説(一)

「大白法」平成30年9月16日(第989号)

  【仏教用語の解説】9

   正像末の三時

 正像末の三時とは、

釈尊の滅後に仏法がどのように伝わり弘まっていくかを三つの時代区分で示したもので、

釈尊滅後から千年を正法時代 、次の千年を像法時代、それ以降の万年を末法時代と言います。

 大聖人は、 

正像末の時代によって仏法の得益が異なることを『顕仏未来記』に、

「正法千年は教行証の三つ具に之を備ふ、像法千年には教行のみ有って証無し。

末法には教のみ有って行証なし等云々」(御書 六七六㌻)

と仰せです。

 正法時代には

教えも修行も正しく実践され、正しい証果・悟りを得ることができました。

 次の像法時代には、

正法時代に像(似)て形式的に教えと修行は存続していきましたが、

徐々に仏道の果報を得る者は失われていきました。

 最後の末法時代には教えのみが残って修行も悟りも無に帰し、

人心は荒廃し、争いの絶えない時代になるというのです。

 このように、

釈尊が入滅してから時代が経つにつれて徐々に仏法の得益は失われ、

末法には五濁にまみれた世の中になってしまうのです。

 五箇の五百歳

正像末の三時の時代区分については、経典によって諸説があるものの、

日蓮大聖人は、さらに釈尊滅後の時代を五百年ずつに区切る、

 大集経の「五箇の五百歳」を基本とされています。すなわち、

①解脱堅固・・・正法時代の前半五百年に当たる。

 釈尊の法が正しく伝えられ、智慧を得て悟りを得る者が多い時代です。

②禅定堅固・・・正法時代の後半五百年に当たる。衆生が大乗仏教を修し、 

 心を静めて三昧に入る禅定の修行が広く行われた時代。

③読誦多聞堅固・・・像法時代の前半五百年に当たる。

 経典を読誦することや、講説を聴聞する者が多い時代。

④多造塔寺堅固・・・像法時代の後半五百年に当たる。寺塔を建立することの多い時代。

⑤闘諍言訟白法隠没・・・釈尊滅後二千年を過ぎた後の万年に当たる。

 諍いが多く、釈尊の仏法である白法の力が隠没して

 その修行や功徳が失われる時代。

 大聖人は、御自身の在世の時には既に第五の白法隠没の時で、末法時代に入っていることを

示されています。

 三時の弘教

 釈尊は、正像末の三時を経るにつれて仏法の力が失われていくことを説かれました。

しかし大聖人は、その反面、付嘱〔✽1〕によって、

その時に適した仏法が弘まっていくことを『撰時抄』等に示されています。

まず、正法時代は迦葉・阿難といった釈尊の直弟子が小乗経を弘め、

後に竜樹菩薩や天親菩薩が権大乗経を弘通するとされます。

正法時代に仏法を弘めた迦葉・阿難・竜樹・天親といった人は、

釈尊の仏法を口伝付嘱によって相続した人で付法蔵の人師と言われています。

 次の像法時代は

中国の南岳大師や天台大師、日本の伝教大師が法華経迹門を弘通し、

理の一念三千によって衆生を救う時代とされます。

 大聖人は『観心本尊抄』に、

 「像法の中末に観音・薬王、南岳・天台等と示現し出現し」

  (御書 六六〇㌻)

と仰せであり、

南岳大師の内証は観音菩薩、天台大師・伝教大師の内証は薬王菩薩であると仰せです。

これらの人師は、釈尊から像法時代に法華経を弘めるよう付嘱を受けた方々なのです。

 実際に、天台大師や伝教大師は、

当時に弘まっていた間違った宗派を破折し、正法である法華経を弘通されました。

 次の末法時代の万年は、

極度に人心が荒廃し、釈尊の仏法は去年の暦の如く無益となり、

衆生を救済することができなくなってしまう時代です。

 釈尊は、末法の衆生を救済するため、

法華経の会座に上行菩薩を上首とする六万恒河沙という無数の地涌の菩薩を召し出だして、

結要付嘱という特別な付嘱を授けました。

 この付嘱は、釈尊の仏法の一切を束ね、妙法蓮華経の要法を結んで付嘱するもので、

これによって一切の仏法は、釈尊の所有から地涌上行菩薩の所有へと移るのです。

この地涌の菩薩について、法華経の『神力品第二十一』には、

「日月の光明の 能く諸の幽冥を除くが如く 斯の人世間に行じて 能く衆生の闇を滅す」

 (法華経 五一六㌻)

と、暗闇のような濁悪の末法の世を、日月のように明るく照らし出し、

人々を正しい仏道に導くと示されています。

 また、『涌出品第十五』には、

 「世間の法に染まざること 蓮華の水に在るが如し」(法華経 四二五㌻)

と、

蓮華が汚泥の中にあって浄らかに咲くように、濁世に染まらずに妙法を弘めるともあります。

 日蓮大聖人は、自らが末法出現の上行菩薩であるという深い御自覚のもと、

自らを日月と蓮華になぞらえて「日蓮」と自称されたのです。

 さらに『百六箇抄』には、

 「本地自受用報身の垂迹上行菩薩の再誕、本門の大師日蓮」 (御書 一六八五㌻)

と仰せられ、

地涌上行菩薩は、一応は釈尊の弟子ですが、本当の御姿は久遠元初自受用身という、

釈尊をも含めた一切の仏の根源となる御本仏であられることを御教示されました。

 御本仏大聖人は、結要付嘱の法体である三大秘法の宗旨を建立され、

末法濁悪の民衆を利益するための大白法を弘通されたのです。

 末法は大白法が

 広宣流布する時

 末法は釈尊の仏法の得益が失われてしまう反面、

法華経『薬王菩薩本事品第二十三』には、

     「我が滅度の後、後の五百歳の中に、閻浮提に広宣流布して、断絶せしむること無けん」

  (法華経 五三九㌻)

と、法華経が広宣流布する時代であるとも記されています。

この法華経こそ、

外用は上行菩薩の再誕、本地は元初自受用身の再誕である大聖人が弘められる

三大秘法の大白法なのです。

 大聖人は『報恩抄』に、

 「日蓮が慈悲曠大ならば南無妙法蓮華経は万年の外未来までもながるべし。

 日本国の一切衆生の盲目をひらける功徳あり。 無間地獄の道をふさぎぬ。

 此の功徳は伝教・天台にも超へ、竜樹・迦葉にもすぐれたり」

  (御書 一〇三六㌻)

と仰せであり、大聖人の大慈大悲により、未来永劫に亘って、

大白法が一切衆生を抜苦与楽せしめることを御教示されています。

 私たちは日蓮正宗僧俗は、

大聖人の仏法のみが末法の一切衆生を救う教えであると深く自覚し、

折伏を実践してまいりましょう。




     〔✽1付嘱〕 師匠(仏)が弟子に教法を付与し、 弘法を嘱託すること。

           付とは物を与えること、嘱とは事を託すことをいう。





          次回は、「九横の大難」について予定です。

 

 

 

 

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