楽天爺さんの気まぐれ日記

・田舎暮らしを楽しんでいます。

心に響く!!名経営者の言葉No.042

2018-06-18 | 先人の知恵に学ぶ

  PHP『心に響く・名経営者の言葉』
     第3章 高いモチベーションを保つには?・No.010

「重役とは未知への探求をする役である

  重役が未知の探求をしないで
     後始末ばかりしている
        掃除やであってはならない」
           藤沢武夫(本田技研工業を育て上げた一人) (191088

 藤沢武夫は、東京の裕福な家庭に生まれている。
しかし、関東大震災で父、が仕事を失い、一転して貧しい生活を余儀なくされることになる。
 旧制京華中学校を卒業した藤沢は、授業料がかからない東京高等師範学校を受験した
が失敗。さまざまな仕事を転々とした後、昭和9(1934)年に「三ツ輪商会」という鋼材小売
店に就職する。他人と口をきくのも苦手な藤沢だが、じつは商才が備わっていたらしく、店
主、が出征してからは店をよく切り盛りしたという。
 太平洋戦争の前夜そして開戦を受けて、国内外の鉄の需要はうなぎ登り。
そこで藤沢は昭和14年に「日本機工研究所」を設立し、切削機械を作り始めた。
 しかし、戦争が激化したために福島へ疎開。終戦後も福島で仕事を続けた。
昭和24年、藤沢はエンジニアから本田宗一郎を紹介された。
 当時の本田技研は、生産が間に合わないほどオートバイが売れていたが、代金の回収が
うまくいっておらず、販売が好調にもかかわらず倒産の危機にあるというおかしな状態だった。
 それを聞いた藤沢は、宗一郎のために一肌脱ごうと決心し、その年の10月には福島の事業
を整理して本田技研の常務に就任。
 経営部門を一手に引き受け、技術面を担当する宗一郎とともに、本田技研を世界のホンダに
育てあげた。
 営業面ばかりに注目される藤沢だが、宗一郎以上にチャレンジ精神を持っていた。
たとえば、ホンダの名を世界に轟かすきっかけになった「マン島TTレース(イギリスにある島で毎
年開催されるオートバイレース)」への出場を決断したのは、宗一郎ではなく藤沢だ。
 彼は自身の言葉どおり、常に「未知の探求」をし続けていたのである。
重役たちが頭を下げるシーンが毎日のようにニュースで流れている。
藤沢のいうところの「掃除」である。

「重役は責任を取るのが仕事」という人もいるが、同じ責任を取
るなら未知の世界へ挑戦して、万が一失敗したときに責任を取るべきではないか。
 挑戦もせず、後始末ばかりやっている企業に未来はないだろう。

他不是吾(たはこれわれにあらず)
更待何時(さらにいずれのときをかまたん)
  他人がやっても意味がない、やるなら今だ。

他人のやったことは、自分のものではないし、勉強にもならない。
  では「いつやるのか?」やるなら「今でしょ!」と言うことになる。                     
                 :気持ちが楽になる禅の言葉より 
昨年のお堀の蓮です!!

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