~苦楽つれづれ草紙~

本音でトーク
ニュース・文学・政治・経済破り読み!
フリーライター・三文コラムニストの夢前孝行です。

負けることに負けるな!

2016年01月31日 19時53分21秒 | 日記
負けることに負けたらアカンで。
負け癖がついたら
人生終わりや。
人生負け続けると卑屈になり
ネガティブになり
覇気がなくなる。

たぶん私が知っている人も
いつも負け組のように思う。
第一表情が暗い。
ビジネス一点張りで
雑談をようしない。
雑談をしようと言う態度もない。

ただ日が暮れて
其れで終わり。

其れで一日の稼ぎができたと
何の意味もない日を送っている。

一日が良かろうが悪かろうが
一日が過ぎれば良いのだ。

そんな奴はたぶん人生の負け組になる。

人生 笑顔や

笑顔はただや

笑顔さえあれば商売だって
人つきあいだって
万事OK。

負けることに負けたらアカン。

人生笑顔が一番や!!!



からあげクン発電? ローソン、廃油を燃料化して活用へ

2016年01月31日 16時57分47秒 | 日記
からあげクン発電? ローソン、廃油を燃料化して活用へ


上記の記事をクリック。

この記事によると
唐揚げを揚げた後の廃油で
電気を発電するという。

それも全国初。
それに姫路のローソンが一号店だそうだ。
姫路が一号店とはうれしい。
明日にでも行ってみようかな。

私はローソンで買い物すると
3パーセント割引のカードを持っているので
好都合だ。

昨日倒れた旅人が

2016年01月31日 13時42分08秒 | 日記
               昨日倒れた旅人から

昨日倒れた旅人から万年筆をもらったよ
ちょっと古くて手垢の付いた万年筆だけれど
重いようで軽いようで
なんだか不思議な重さ
掌(てのひら)に乗せたりたり握ったり
北の山からブラウンブラックの風が吹いて
昨日倒れた旅人から万年筆をもらったよ
ちょっと軸に傷がついていて
それが壊れた心(ハート)のようで
懐かしいブルーブラックの風が
南の海から吹いてくるよ
親父のような懐かしい匂いがして
万年筆で宛先のない手紙を
書いてみようとしたけれど
インクがかすれて書けなかったよ
この万年筆には希望と絶望の色をした
不思議なインクが入っていたらしい
インクボトルも一緒に貰ったけれど
空(から)でインクがなくて字を書けなかった
すると記憶にないイエローブラックの風が
西の街から吹いてきて
親父が亡くなった日を思い出したよ
昨日倒れた旅人からこのインクを
売っている文具店を聞くのを忘れていた
こんなインクを黄砂の街に出て探し回ったけれど
何処の文具屋にも売っていなかった

ああ誰かこの万年筆のインクを売っている
不思議な文具店を知らないか?

マイナンバーはいつ届くのか?

2016年01月31日 12時16分54秒 | 日記
昨年の12月上旬に
マイナンバーの通知が来たので
早速写真を撮り
必要事項を書いて送ったのだけれど
一向にマイナンバーカードが届かない。
一体いつになれば届くのか?

私はマイナンバーが届けば
有効活用しようと思っているが
かみさんはそんなものどうでも良いという。
若者でもあるまいし
マイナンバーカードはいらないといっている。

確かに老境のものにとっては
あまり必要ない。

でもマイナンバーも
住基カードのように
普及することなく終わるような気もするのだ。

橋下徹氏 政界復帰示唆

2016年01月31日 10時53分08秒 | 日記
                  橋下氏「情熱が戻れば、またやればいい」>橋下徹氏が政界復帰をするらしい。

関西の人はほとんどの人が
彼が政界復帰をすることを望んでいる。
次の参議院選挙か
衆議院選挙で彼は必ず政界復帰をするはずだ。

このまま野に下っているには
政界にとって惜しい人材だ。

待ってるよ!

掌握ストーリー  こがね虫たちの夜

2016年01月31日 10時15分43秒 | 日記
               こがね虫たちの夜  
   

その頃の「こがね虫たち」の年齢は二十三から六歳までの連中だったと思う。
こがね虫のように夜行性で灯りに群がっていく習性があるようにぼく達も夜になると
街に出て詩に対して熱っぽく語り合っていた。
そのこがね虫たちは清水豊 大塚心平 松岡百合子 大前加代子そしてぼくだ。
この五人が夜、喫茶店やスナックに現れて詩について熱く語り合っていたのだ。
ぼくが一番年上の二十六歳で清水が二十五歳、心平は二十二、三歳だった。
女性二人も心平と同じ年齢だった。
この若き詩人のタマゴ五人が姫路で詩誌「Da」を結成していた。

T・Yの弟子の清水がいつも落ち着いていてぼくがイライラするくらい静かだがぼくは嫌いだった。
T・Yバリの詩を書き模倣と思われるくらいの詩はよく似ていた。狡猾だった。
心平は父が姫路では有名な詩人で総社に彼の詩碑が刻まれているくらいだから相当偉かったのだろう。
でもぼくは一度も会ったことがなかった。
当時野里に住んでいて、雨も降っていないのに長靴を履き汚い作業服で喫茶店やスナックに現れていた。
心平の詩は豪快で宇宙や地球をテーマにスケールの大きなエロっぽい詩を書いていた。
ぼくはその心平の詩が好きだったが決して好きと言わなかった。
女性二人は心平が書く詩からそれぞれの特徴を持って行っていた。
松岡百合子は新日鉄広畑の事務員で心平のいやらしいエロっぽい部分を獲ってきて詩を書いていた。
大前加代子は心平の豪快な部分を獲ってきて、女というのにスケールの大きな詩を書いていた。
大前加代子の詩もぼくは好きだった。
ぼく達は芸術派と名乗っていた。
当時プロレタリア詩や労組関係の詩を書く人が多かったがぼく達は叙情派でもモダニズム派でもなかった。
だからぼく達はあえてそれらの人と一線を画するためにも社会派でもない
人間の根源的な死とか生とか性とかの素材をテーマにして詩を書くと言うことで勝手に芸術派と名乗っていた。
ぼく達五人はヤマトヤシキの南にあった洋風菓子喫茶店田中屋の二階でよく落ち合って詩の話に熱中していた。
心平は特にぼくに突っかかってきて激しい口論になることがたびたびあった。
ぼくは心平の詩は好きだが服装が気に入らなかった
晴れた日なのに長靴を履き汚い作業服の心平が清潔好きなぼくには我慢ならなかった。
心平とぼくがやり合っていると仲裁に入るのはいつも清水だった。
心平は明石高専の建築科を出ていて建築関係の仕事をしていた。
だから汚い格好で来るのだがぼくも当時ガソリンスタンドに勤めていたが
決してだらしない格好をして田中屋に行くことはなかった。
ぼくと心平が口論をはじめると大前加代子や松岡百合子が又やり合っていると覚めた目で見ていた。

このこがね虫たちが出会ったきっかけは当時姫路の市民会館の近くにベ平連の事務所があって、
そこにイオム同盟の向井孝が代表でいて、ある日詩の講座があると新聞で読んで、
その講座を聴きに行った席で清水と出会い当時五人で詩の仲間が集まっているから来ないか
と言われたのがそもそもの始まりだったのだ。
当時五人いたが一人はアメリカに留学に行っていてぼくは会ったことがなかった。
そんな関係でぼくは「Da」の連中に加わったのだ。
「Da」と言ってもこの名称は後になって同人誌を発行するとき名前がいると言うことで
清水がダダイスト高橋新吉から貰ったDaであると言っていた。
事実その通りだがみんな別の意味で駄々っ子の集まりだったから「Da」だと解釈していた。
みんなが詩を一編か二編持ち合って待望の同人誌「Da」が発行されたのは顔合わせが終わった後の半年後だった。
でもその頃からはや解散の危機にさらされていた。
ぼくと心平がいつも詩のことで喧嘩していたので長続きしないとみられていたのだが解散に追いやったのは実はぼくだった。
ぼくは紳士ぶっている清水も嫌いだったし彼の書く詩も気に入らなかった。
心平とぼくは喧嘩ばかりしていたがお互いに詩の実力は認め合っていた。
だから心平とぼくが目指す詩は違っていたのでいつも口論になった。
あわやつかみ合いになるかも知れないという場面も何回かあった。
口論の最中でも心平は彼の親父がぼくを認めていたとつぶやくときがあった。
それも喧嘩の原因だった。
心平はおそらく彼の父から心平の書く詩を認めていないようだったので、
余計心平はぼくに絡んできていたのだ。
詩誌「Da」の創刊号が発行されてぼくのところにも何冊か届いた。
ぼくはさっそく出来たてほやほやの詩誌を開いてビックリした。
編集と代表を兼ねていた清水の詩がトップに載っていたからだ。
普通編集者とか代表の詩は真ん中辺りか終わりに持ってくるのがこの世界では慣わしになっていた。
それなのに清水の詩がトップに載っていたのでぼくは清水が図々しい奴で狡猾な奴と決め込んでしまった。
そのトップに飾られた詩もT・Yの詩を模倣したようなものだった。ぼくは怒りに狂いそうだった。
まぁその件で清水って言う奴はそんな奴だったのかとそれはそれで納得したけれど他にもぼくを怒らす件があった。
詩誌「Da」は二〇ページほどの冊子だったが清水と心平の顔で広告を何件か取ってきていて
広告料をもらって詩誌「Da」に広告を載せていた。
だのに会計報告もなかった。
それで内心腹を立てていた。
その広告主のひとりである魚町のスナック「のら」のママの詩が裏表紙に載せてあって
ぼくはその詩を読んでこりゃおかしいぞと言うことに気付いた。と言うのはその詩の一小節に、
――サハラ砂漠のサボテン林に――
と言うのがあってぼくはサハラ砂漠にはサボテンは育たない、
これは間違っていると指摘したことを心平か清水に伝えたのだが
これをきっかけでそのスナックのママさんとも友人になった。
そんなある日ぼくはガソリンスタンドの勤務を終えて夜八時頃そのスナックのママに会いに行った。
ぼくは酒を飲まなかったのでコーラを注文して飲んでいると
そこへ心平がふらりと例のいつもの格好で入ってきた。
そしてぼくの横のカウンターに座るとぼくを激しくののしりはじめた。
こんなところで口論したくないぼくは黙って聞いていたがそれが余計彼の怒りを誘い収拾がつかなくなっていた
こりゃ他の客にも迷惑が掛かると思ったぼくは帰ることにした。
それが一番良いと判断したからだ。
その日をさかいにぼく達こがね虫たちはもう田中屋でもスナックででも会わなくなっていた。
そしてぼくは清水が嫌いだったので彼のトップを飾った詩はT・Yの模倣だという文を作り、
ぼく以外の四人とスナックのママにそれを郵送した。
心平とはよく喧嘩をするのに二人で会う機会があり心平は詩を持ってきて見てくれ
と言われたが心平の詩は出来不出来が激しく、未完な詩が多かった。でもぼくは心平の詩が好きだった。

そしてついに「Da」は空中分解し解散してしまった。
そしてぼくのひとり旅が又はじまった。

後に心平と松岡百合子は結婚し、野里の市営住宅で暮らしはじめた。
清水は市の郷の市営住宅に住んでいて新日鉄に勤めていた。
清水はすでに結婚していて一度清水の家に行ったことがあった。
松岡百合子をスカウトしたのは清水で当時松岡は新日鉄の社内誌に
詩を発表していたのを見て清水が誘ったらしい。
大前加代子は材木町に住んでいて大柄な美人だった。
それから五年ほどたって心平から思いもしなかった電話をもらった。
その当時ぼくはガソリンスタンドを辞めて三菱鉛筆姫路販売に勤めていたのだが、
ぼくは誰にも職場を変えたと知らせなどしていなかったのに
心平は会社に電話をかけてきてぼくが電話口にでるといきなり、
「良い会社に勤めているじゃないか」と言っていた。
それ以外ぼくは当時のことは記憶をなくしていた。
清水と最後に会ったのはまだそれから十五年も後のことで、
別所の長谷川弓子の自宅で詩の話をしようと言うことになり集まって雑談したのが最後だった。
長谷川弓子は福中都生子の「陽」に入っていたので一度自宅に来なさいよ
と言われて行くと清水も来ていてビックリした記憶がある。
その時清水は今仏教に興味があると言っていた。
それから二、三年して長谷川弓子は亡くなった。
長谷川弓子は当時そろそろ姫路市の芸術文化賞をもらえる頃だと言っていた。
でも貰うことなく亡くなっていった。
ぼくなどそんな賞貰える資格もなかった。
何分姫路でも兵庫県でも活動していなかったし賞など貰おうなんてさらさら思わなかった。
当時「半ドンの会」からも入会の誘いが来たが断っていた。
神戸の詩人からも同人誌に入らないかと誘いがあったがそれも断っていた。
それから何年か後に福中都生子の「陽」に入り、「陽」一筋で何処にも入る気はしなかった。
ただ福中都生子の誘いで関西詩人協会に入っていた。
その福中都生子とも彼女が共産主義者でぼくが資本主義者だったために
彼女から三行半を下され気まずく別れていった。
一年後に「陽」に戻ってきなさいと手紙を貰ったがもう戻る気はしなかった。
そして又二〇〇三年頃からひとり旅がはじまった。
それにぼくの自宅に名前は忘れたが中河原の姫路文芸に入っている人がやってきて
姫路文芸に入らないかと誘われたがそれも断っていた
  
そして二〇一〇年ぼく達こがね虫たちのアジトだった田中屋も倒産して今はない。
スナック「のら」のママも「Da」が解散した後岡山にギターリストの恋人と一緒に行ってしまった。
清水豊は十年前亡くなり心平や松岡百合子は詩の世界から消えていった。
大前加代子の所在も不明である。

そして又ぼくのひとり旅が始まる。


開拓者からの手紙

2016年01月31日 09時29分03秒 | 日記
               開 拓 者 か ら の 手 紙
お 元 気 で す か
僕 は 会 社 か ら け っ て く る と
ク ワ や シ ャ ベ ル を ツ ル ハ シ を か つ い で
西 の 山 の 頂 で 夕 日 を 待 ち
太 陽 が 沈 ん で し ま う 短 い 短 い 間 に
太 陽 を 開 拓 し て い ま す よ
シ ャ ベ ル を 持 つ 手 に 執 念 を も や し
孤 独 に び し ょ ぬ れ に な っ て
ツ ル ハ シ う ぃ に ぎ る 手 に マ メ を 作 り
は み 出 し て し ま う 悲 哀 感 に
男 泣 き し な が ら
開 拓 し て い ま す よ
掘 っ て も 掘 っ て も
出 て く る も の は 決 ま っ て い ま す が ね
― ― 世 は 希 望 の 父 で あ る ― ―
と い う ふ ん ぞ り 返 っ た
帝 王 の 思 想 だ け で す よ
時 に は 気 力 も 失 い ま す
エ エ
少 し ゲ ス な 勘 ぐ り を し て 掘 る の で す が ね
期 待 が 大 き け れ ば 大 き い ほ ど
失 望 も 大 き く 空 を 仰 い で し ま う 時 が あ り
そ の 度 に
ク ワ と シ ャ ベ ル や ツ ル ハ シ を
山 の 下
に け と ば し て し ま う
な さ け な い こ と で す が
そ れ で も あ き ら め き れ ず に
少 し 泣 き な が ら
又 拾 っ て 来 て や り 始 め ま す が ね
で も 喜 ん で く だ さ い
最 近 ひ と つ 掘 り 当 て ま し た
― ― 太 陽 は 希 望 だ け を 与 え て い る の で は 断 じ て な い ― ―
と ね 希望 と 同じ 分 量 の 苦 痛 を 与 え 希
望 と 同じ 分 量 の 絶 望 も 与 え 希
望 と 同じ 長 さ と 同じ 大 き さ の 悲 哀 も 与 え て い る の だ 、 と
そ し て ひ と つ 狂 え ば 希望 は 苦 痛 の 母 で あ り
絶 望 の 父 で あ り
悲 哀 の 種 子 を は ぐ く む 畑 で あ る こ と も
そ う 言 え ば
― ― 絶 望 の 畑 に こ そ た く ま し い 希 望 の 種 子 が 育 つ ― ―
と 誰 か の 美 学 に あ り ま し た ね
こ ん な 山 師 の よ う な こ と を し て い ま す の で
お 陰 で 年 頃 の 娘 も ひ と つ も 寄 り つ い て
く れ ま せ ん
エ エ
だ が ね
な ん と か 太 陽 を 開 拓 し て
ど っ さ り 宝 物 を 手 に 入 れ ま す よ
そ の 時
僕 が 太 陽 自 身 に な る 時 で す が ね
悲 し き 60 歳 に な る 時 か も し れ ま せ ん
太 陽 を 開 拓 す る の が
僕 一 生 の テ ー マ だ し
負 け お し み じ ゃ あ り ま せ ん が
ま っ た く い き が い を 感 じ ま す よ
エ エ
で は 一 方 的 な 手 紙 に な り ま し た が
き み の 近 況 も 教 え て く れ た ま え

ショートストーリー  創造水

2016年01月31日 09時23分17秒 | 日記
              ニューヨークの酒場にて

私はニューヨークの夜の街を五番街から六番街へと当てもなく歩いていた 
小さな酒場を見つけたので 
危ないと思ったが入ってみた 
薄暗くてアメリカ人特有のたまねぎが腐ったようなにおいがした 
十二、三人の黒人が酒を飲んでいた 
やばいなと思ったが引き返せない 
正面にスポットライトに照らされた年老いた黒人が歌っていた

そのブルースは明るいようで暗く 
希望があるようで絶望的であり きれいようで汚い 
醜いようで美しい 
泣いているようでもあり笑っているようでもある 
とにかく相反する理念が混合された凄い歌だ 魂がゆさぶられる 
これこそ本物のブルースだ 私はその年老いた黒人が少年のように見えた

歌い終わった年老いた黒人に近寄り「あなたは凄い 
アメリカにはそんなうまい人が何人もいるのか」と私は聞いた 
「ノゥ おれだけさ」
自信に満ちていった 
「何故そんなに心をゆさぶる歌が歌えるんだい」
「おれの体の中には湧き水があふれているのさ 
たいていのミュージシャンは体の中に川が流れていたり 
海が存在する でも本物のアーティストは心の湧き水があふれ出ている 
湧き水は純で美しい 
だから人の心を打つのさ その水をなんていうか知ってるかい 
創造水って言うんだ」

私は感動してその店を出た 
ニューヨークの夜の風が冷たかった 
そして私の心の中に川が流れているのか 
それとも海が存在するのか自問した 
私の心の中に川や海が存在していればただの物書きであり 
湧き水があふれ出ていれば あの年老いた黒人のように有名ではないが 
心を打つものが書けるアーチストと思った

日銀総裁は嘘ついても良いんだ

2016年01月30日 22時20分56秒 | 日記
                    日銀総裁は嘘をついても良いのか>

                  

日銀総裁は嘘をついても良いらしい。



上記の記事を読んで貰えば分かる。
つい先日の国会では
黒田日銀総裁は
金融緩和はしません
とハッキリ答弁していた。

なのに今回マイナス金利の金融緩和策を発表した。

首相は衆議院の解散権を持ち
日銀総裁は嘘を言っても良いことになっている。

日銀総裁は嘘を言ってはいけないという
法律がないため
嘘をついても良いんだ。

しらなんだな!!!

国民のほとんどの人は
このことを知らないんじゃないか?

これでよく分かった。

これからは日銀総裁の言うことなど
誰も信用しなくなるだろう。

今回のマイナス金利の金融緩和で
銀行株が下落したことも分かった。

普通金融緩和と言えば
銀行株は真っ先に上がるのだが
今回は銀行には全くメリットのない金融緩和だ。





旅立ち

2016年01月30日 20時30分40秒 | 日記

太 陽 は 暗 く 瞳 の 中 を 通 り 過 ぎ
今 は 時 に お か さ れ
ぼ く は 旅 立 つ
飢 え た 夢 を 春 の 器 に た た え て
悲 哀 の 衣 を 錆 び 付 い た 肉 体 に ま と い
ふ た つ に ひ と つ の 可 能 性 を 信 じ て
草 木 も え る 大 地 の 心 臓 か ら 希
望 と い う 君 を 求 め て
ぼ く は 旅 立 つ
時 に は 古 代 侵 略 者 の よ う に
燃 え て 太 陽 や 便 器 に な り つ つ
消 え て 死 と 仲 良 し に な り つ つ
亡 び い く も の と 駆 け 落 ち し た く な り な が ら
永 遠 に ぼ く を 刺 激 し 続 け る 希
望 と い う 君 を 訪 ね て
ぼ く は 旅 立 つ
お と め の 乳 房 の よ う に
ピ ー ン と 緊 張 感 を 張 り つ め て
い つ も 空 の 高 さ で
青 ざ め た 期 待 を 弾 ま せ て 希
望 と い う 君 を 訪 ね て
ぼ く は 旅 立 つ

普通の生活をするのは難しい

2016年01月30日 20時16分11秒 | 日記
普通の生活って何だろう。
幸せでも不幸せでもないのが
普通の生活なのか?

それとも争いごとも起こらず
平々凡々と生きていくのが
普通の生活なのか?

私の場合夜が明ければ起きて
朝食を取り
しばらくしてからプールに行って
午前中はジムやプールで過ごす。
午後はかみさんとスーパーに買い物に行って
16時頃帰宅し
18時には夕食を食べ
その後はブログを書いたり
テレビを見たりして過ごし
午後11時には寝る。

これが私の普通の生活だ。

だが普通の生活は人によって違う。
私の普通の生活は上記のようなものだが
今は眼の手術をしているので
プールにもジムにも行けない
顔も満足に洗えない。

だかは早く普通の生活に戻りたいのだが
日にちがたたない限り
普通の生活には戻れない。

皆さんの普通の生活って
どんなものなのか?

普通の生活は人によって違うと思う。

交通違反もみ消し・裏口入学… 口利き依頼は日常茶飯事

2016年01月30日 18時13分16秒 | 日記
交通違反もみ消し・裏口入学… 口利き依頼は日常茶飯事


政界は与党野党問わずに
口利き依頼は日常茶飯事らしい。

その証拠に与野党問わずに
汚職や賄賂
口利きが幅をきかせている。

今回甘利元大臣のようにバレるのは珍しい。

これが県会議員や
市会議員になるともっと凄い。

甘利元大臣だって
たった100万円ほどで大臣の椅子を棒に振った。
大臣にしてみれば
こんなはした金と思うが
秘書が絡んでいると
ややこしくなってくる。

親分に言わずに
秘書がポケットに入れるケースもあるのだ。

それが命取りになる場合もある。

兎に角ただで貰う金ほど怖いものはない。

政治家ならそんなところをキッチリ押さえておいてほしいものだ。
議員自身なためにも
国民のためにも。

生きるためには選択の連続である

2016年01月30日 17時45分24秒 | 日記
人生何歳になっても
岐路というものがあり
人はそこでいつも立ち止まり迷う。

人間が生きていくためには
人生は岐路の連続であり
生きるためには
そこで選択が迫られる。

人生は選択の連続だから
岐路に立てば
いつも人間は自分が得をする方を選んで
生きていく。

それでいいのだが
私は時として自分が不利な方を選ぶ場合がある。

不利な方を選ぶことによって
後々大きな成功をもらえることがあるからだ。

人間は不利な方を選んでも
得な方を選んでも
最終的には自分にとって
得をする。

だから人生で選択を迫られたときは
不利な方をとっても
得な方をとっても
最終的には同じなわけだ。

ショートストーリー  ゆすりにたたき

2016年01月30日 15時31分49秒 | 日記
              ゆすりにたたきに……

バイト先のYさんは大手鉄鋼会社を五十歳前に退職した 
希望退職に応募したらしいが 
年金をもらうまで十年いろいろな仕事についてきた 
判子のセールスをしたり リフォームのセールスをしたり 
羽毛布団を売ったり シロアリ退治の仕事をしたり 
とにかく怪しい職業ばかりについてきた 
判子にしろリフォームにしろ一件かくとくすると何十万のリベートがもらえる

セールストークと言えば『ゆすりに』『おどし』『たたき』が主流で 
ターゲットは善良なド田舎の爺さん婆さんだ 
四柱推命や占いを駆使してセールスするのだが 
それでもうん十万もする判を買ってもらっても喜んでもらえ 
うん百万もするリフォームしてやると喜んでもらえるそうだ 
その上お客さんに『先生』とか『建築コンサルタント』とか呼ばれていたらしい

そんなYさん 最近まっとうな仕事をしたいと 
危険物の免許を持っていたので セルフガソリンスタンドのオペレーターになった 
ここは三日行って三日休みだ 薄給だから疎な三日休みの間に 
今までの罪滅ぼしにとSスパーの三階でバイトしているから来てくれ 
と言われた

Sスパーに行ってみると 
『ゆすり』『たたき』『もみ上げ』が体にぎゅ―っと効いて 
一発でストレス解消! 
という看板を立てて 
Yさんがマッサージ器のセールスをしていた

生きている人間は悪人ばかり

2016年01月30日 12時24分02秒 | 日記
昨日作家の五木寛之が
テレビに出ていて
それを見ていたら

『生きている人はみんな悪人ばかり』
と言うようなことを言っていた。

たとえば海で四人が遭難して
二人しか乗れない救命線が来るとすると
そこで争いが起こり
救命される方は二人だから後の二人は
救ってもらえない。
そこで争いが起こり
悪賢くて強い奴が救われて

正直で真面目な人は
人を押しのけてでも
救われようとしない善良な人で
自ら身を引いてしまい
強くて悪い奴救われる。


上記のような出来事が
人生の海で繰り返されて

生きている人はみんな悪い人ばかりと言うことになるらしい。