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たった独りの引き揚げ隊 10歳の少年、満州1000キロを征く

2014-12-29 16:53:30 | 

  終戦(敗戦)後、満州、中国、朝鮮からの引き揚げは難渋を極め、多くの実話が残っています。どのお話しも壮絶かつ過酷な旅ですが、しかしながら、本書の主人公・ビクトル古賀少年の単独行ほど凄惨な引き揚げはないと信じます。

  北満のハイラルで、商人の父・古賀仁吉(にきち)とコサックの母・クセーニア、そして、4人の息子たちが暮らしていました。母も息子たちも日本国籍を取得し、特に長男のビクトルはコサックの男の子として教育を受け、馬に乗り、自然の中から多くのことを学びました。

  昭和20年8月9日、ソ連は満州に侵攻、長男のビクトルだけが別行動を取っていたため、はぐれてしまいます。ハイラル駅に行くと、日本人は汽車に乗り、満州を離れているので、彼も汽車に乗って、750キロ先のハルビンへ着いた。ハルビンで父と再会したが、父は肖像画家に転身し、そのまま居残るため、ビクトルは九州の柳川へ戻ることを決意。父が手続きをして、汽車に乗車できるように手配したが、汽車が途中で停車したときに、「ロシケは降りろ!」と無理やり下車させられ、そこから港のある錦州までの1000キロを歩き通す羽目になりました。オオカミやクマに怖れ、人さらいや追いはぎに恐怖を感じ、多くの死者を拝み、中国国民党軍と共産党軍の内戦に巻き込まれ、食は果実や木の実を採取、衣類、特に靴は死人からいただくという、生き延びるために苦渋を積み重ねました。コサックとして自然人として成長した経験がまさに活きた結果、彼は日本へ帰国できました。

  下痢で苦しんだ時、

 「お前は生きて、行かなくちゃいけないよ」「お前がここで死んでしまったら、みんなが死ぬんだ。おまえが生まれてくるまでに起きた全てのもの。お前が死んだらそれも死ぬんだ。」

という誰かの声で、彼は勇気づけられました。日本までの1年半が彼の人生で一番輝いていた時だという、ビクトルの回想は生きた証しを自ら勝ち得た自信によるものでしょう。

 『たった独りの引き揚げ隊 10歳の少年、満州1000キロを征く』(石村博子著、角川文庫、本体価格743円)

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