三重を中心に徹底訪城 検索「山城遺産」「セルフコラボレーション」 ペン画で歴史を伝承 ダートで若さを維持 楽しんでます!

崩れゆく山城を探索。一方ノーマルカーダートでチャンンピオンを目指す。最後にペン画でコラボ。はたして答えは何処にあるのか。

小山城

2018-09-23 20:54:14 | 古城巡り

葵の御紋が眩しい青巌寺本堂

北郭東土塁外

北郭東虎口

北郭東帯曲輪

北郭曲輪内部

北郭南西土塁

南郭東土塁

南郭曲輪内部

南郭東帯曲輪

南郭古墳跡

南郭西土塁

 

 

 

城名
 小山城
読み
 おやまじょう
住所
 津市一志町小山
築城年
 永禄年間(1558-1570)
形式
 山城
遺構
 二郭形式の曲輪、土塁
規模
 90m×130m
城主
 北畠家臣、大多和兵部少輔
標高 180m 比高 150m
歴史
永禄12年に信長の兵と戦って落城し廃城となる。
 その後堀之内城主舟木正尚が晩年この城を賜わり、ここで隠棲したとされ、小山城の麓にある清厳寺(せいがんじ・注1)にはその墓所が残っている。
書籍
 日本城郭大系 三重の中世城館
環境
 伊勢平野を東眼下に望み、山は東側からの急傾斜で囲われ、頂部は広く山城を造るには好適地である。
 山の北側を雲出川、南を中村川が流れ、水運にも都合がよい。伊勢湾まで数キロメートルの距離である。
現地
 城跡は山深く、中腹からは急斜面の連続で一息入れる場所もなく、礫も崩れやすくなかなか近づき難い。
 だが頂部はなだらかで遺構が南北二つに大きく分かれ、広さはそこそこ感じられる。
 北の曲輪が主郭に相当するとみられる。高さ2mの土塁は堅固で2ヶ所の虎口の形もほぼ明瞭だ。
 土塁は南側が尻すぼみに狭くなっていて虎口を伴い南の曲輪につながっているようだ。
 南の曲輪はⅡ郭に相当し、主郭に比べて造りが雑である。もともとあったと思われる二基の古墳を土塁として再利用した様子が伺われる。
 両曲輪とも東側を正面とし、伊勢の平野部や海を視界に入れることが出来る。
考察
 城主が北畠家臣であることから、多気ルートの入り口を抑えること、北からの敵をいち早く察知し、付近の標高の低い城に情報を伝えることなどが目的の城であったと考えられる。
感想
 最近、更に南の尾根にも遺構があるとのうわさを聞くが、簡単に訪れるのは困難な城のため登城ルートの見極めが大切と考える。
注1 青巌寺(せいがんじ);伊勢初代国司北畠顕能の祈願所。織田信長の戦火で灰燼に帰しましたが、顕能が寄進した仏画類は残されている。
 第三世の明蓮上人(1596没)は北畠具親の嫡男で北畠家臣に付き添われ入寺する。同時に具親方の一族郎党の多くが末寺の住職や有力檀家となり今も北畠血統の寺として続いている。
 第五世の時、尾州二代徳川光友の三男義昌が1651年に清巌寺で誕生したことにより葵紋使用許可や神社建立の寄進を受けた。

地図

 

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