建築設計者の日々是好日

建築家として感謝をもって生きる日々の記録

国立競技場再設計提案;このままでは建築家の名が泣いてしまう

2015年07月13日 | 建築
最近非常に気になることがある
国立競技場の設計案について新聞やテレビでの報道が連日のように出ているが、これも喉元過ぎればなんとかで消えてゆく「一時的事件」なのだろうか

そもそもこのコンペ結果が公表された時には建築界の各方面から懸念の声が上がっていた
それらの声の本質は正確に取り上げられず議論されずにここまで来てしまったと感じる
論点は非常に多く、焦点が定まらなかったかに見えたが、工事費が当初想定の2倍に膨れ上がったころから取り上げられるようになったようだ
いろいろな意味でもこのコンペはどのような性格のコンペだったのか理解しなくてはいけない

われわれが考える一般的な設計のコンペティション(設計競技と訳される)は敷地、法的制約、予算、要求空間と面積などが提示され、それに沿ったデザインを含めた計画案を作成して競うものである
これらは設計条件と呼ばれるが、これに違反しているもの、合致しないものは当選案とななれない

今回のコンペはどうだったのだろうか
敷地は与えられていたのに、当初案では中央線を飛び越えるというものだった
本来はこの時点で失格であるはず
審査員はデザインを選べばよかっただけではないことは自明のことである
細部は審査員の能力で法的に実現できるか?技術的に実現可能か?予算的に収まるのか?などつまり想像力に委ねられていた
さらに提出後に当初案から反転した案に変更になるなど、規定にも違反している疑いがある

ここまで問題が伸ばされてくると時間的な制約も厳しくなると思うが、当初のデザインとは全く別物の実施案はさっさとあきらめて、当選者にあやまり、国際的にもきちんとあやまり、再コンペを行うことを提案したい
そうでなければ、当選者も胸を張って自分のデザインだということはないようなしろものが出来上がってしまう
国民のみならず当選者にとっても不幸な結果が残ることになる
この辺が、マスコミでは理解されていないと感じる
さらに、日本ではコンペのいいかげんさだけが歴史に残ってしまい、今後の建築文化の発展への影響が心配だ

今度は、完全公開で、設計条件をはっきり提示し、予算も守れないような案は捨ててもらい、何か問題があるときの責任区分もはっきりして、臨んでもらいたいものである

コンペは選ぶ方も審査されるのである
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