感染症診療の原則

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治療や支援の原点

2015-12-30 | (ちょっと休憩)ほんとに休憩
医療関係者だけでなくジャーナリストを目指す人にも推薦したい本です。
(特別な代替療法を推薦する本でもないし、医療を否定する本でもありません)

今年発売されたナカイサヤカさん翻訳によるオフィット先生のご著書 『代替医療の光と闇 魔法を信じるかい?』の13章 エピローグ アルベルト・シュバイツァーと呪術医ーある寓話が紹介されています。

ノーマン・カズンズの『笑いと治癒力』第2章「神秘的なプラシーボ」で読むことができます。

"何年か昔、私はガボンのジャングル地帯でアフリカの呪術医を実地に見る機会に恵まれた。ランバレーネのシュヴァイツァー病院の晩餐の席で、わたしは何の気なしに、現地の住民はシュヴァイツァー病院があるおかげで、呪術医の超自然信仰に頼らずともすむ、幸運なことだと口走った。シュヴァイツァー博士はわたしにむかって、呪術医のことをどれだけ知っているかと尋ねた/わたしは自分の無知の罠に落ちたのであるーそして博士も、わたしもそれを悟っていた。"

翌日、カズンズは博士に連れられ、呪術医のすることを見学します。
呪術医はある患者に向かっては薬草を煎じて飲むようにいい、別の患者には大声で呪文を唱え、第三の部類の患者にはシュヴァイツァー博士にみてもらうようにいいます。

患者の大半は器質性の障害ではなく機能性の障害だから投薬は大きな意味を持たない。第二の部類は心因性の軽症だからアフリカ式精神療法を施術、第三の部類の患者はヘルニアや子宮外妊娠、脱臼等肉体的疾患、、、とふりわけが行われていました。

カズンズは博士に問います。
「どうして呪術医なんかに治療してもらって、すぐ治るようなことがおこるのか」
その答えは・・・「どの患者も自分の中に自分自身の医者を持っている」です。

そして医師や支援者の役割がそれを最大限に発揮できるよう励ましささえることであると。


カズンズはジャーナリストで、1964年、ソ連への旅からアメリカの自宅にもどってすぐに、「突然」難病の膠原病となりました。
主治医のヒッツィグ博士は25年のつきあいがある友人で、ふたりはNEJMやLancetの記事について議論する仲。

専門からはこの病気の治療や回復について厳しい見通しを伝えます。
そして自分の病気のことは医者まかせという態度から、単に受身の傍観者に甘んじていてはだめだと思いに至ります。ヒッツィグ博士にこの病気の原因として考えられるものを何かと尋ねながら病気の原因を探り、その原因からさまざまな治療法を検討してみることを決意。

カズンズはまず、発病直前の出来事を思い出そうとします。汚染された空気、排気ガスジェット。重金属中毒という仮説があがりましたが、同行した人たちに同じような症状はあらわれていません。

曝露が同じでも反応には個人差があること、自分の臓器や抵抗力など、その時の状況に理由があるのではと考え始めます。

ビタミンCの点滴と「笑い」(情動)を回復に有効と自ら考え、受け身ではなくそのように自分への刺激を与えることもしはじめます。そして実際に笑うことで痛みが軽減することを経験します。

この本でカズンズが言いたいのは、特定の病気や他の病気が笑いやビタミンで治せるということではありません。自ら取り組まねばらならいのだという気づきからの出発、そして励まし支える周囲の人の大切さです。

(「よくわからない」ことを繰り返し解説したり、言い訳したり、疑念をもったり、negativeなことばかり言う人や呪いの言葉に囲まれたら、回復の妨げにしかならない。harmであるともいえます)

"この病気の経験全体からわたしが引き出した結論は何かといえば、第一に、生への意欲というものはたんに理論的抽象ではなくて、治療的な特徴を持つ整理学的実だということだ。第二に、私の主治医はたまたま、医師の最大の任務とは患者の生への意欲を最大限まではげまし力づけ、病気に対する心身両面の自然の抵抗力を総動員させることだという認識を持つ人であったが、それは本当に信じられないほどの幸運だった"

"私は重症で苦しんでいた時に、ビタミンCの静脈内への点滴の効果を絶対に確信していた。そしてその通りにいい効果があった。この治療法がーわたしの行ったほかのあらうゆる治療法と同じくープラシーボ効果の一つの実例にほかならなかったということはたしかに十分考えられることだ"

カズンズはプラシーボは仮説として多いにあるだろうというスタンスです。

"(略)そのどれもが、患者がしかるべき動機や刺激を与えられると、自分から進んで病気や身体障害からの不思議な回復に一役買い得るということを多少とも物語っている"

カズンズは全快します。

"一般に医学界の大勢としては、プラシーボは長い間悪評をこうむってきた。多くの医師はプラシーボと言えば、「いかがわしい薬、疑似薬剤」のことだと受け取っていたし、または主に、患者の不快感の真の原因をつきとめる暇のない診療医たちの手間はぶきの道と見なしてきた"

"仮にここに一人の若い実業家がいるとして、プラシーボの効果を説明してみよう。この実業家は主治医のところへ行って、烈しい頭痛と腹痛とを訴える。主治医な患者に肉体的苦痛だけでなく、いろいろ当面している一身上の問題まで話させて、注意深くそれを聞いた上、この実業家は20世紀の流行病であるストレスにかかっていると判断する。(中略)そこで主治医は、患者に対して根本的には健康上の何の異常もないことを知らせて安心させることがまず第一に必要だと考えると、しかし患者の苦痛が気のせいだとか、本気で案じなくてもいいとかいうような言葉は用心して避ける。患者というものは、自分の訴える症状が心因性の起源のものだと診断されると、自分がありもしない症状を想像し、仮病を使っていると非難された、ととりがちだからである"

このあと医師は害にならない薬を処方し、実業家の症状は薬が必要ないほどに改善、というエピソードが紹介されています。

この本で彼が言いたかったことのひとつは『患者の責任』。病気に対して人体は「治る能力=自己治癒力」を持っている。それを信じて正への意欲を持ち続けなければならないということ。ビタミンも笑いも選択肢でしかありません。全ての病気を治すなどとも言っていませんし、民間療法の昔に返れといっているわけでもありません。そこは注意。

もうひとつは医師をはじめとする支援者へ。

「あの人たちに他人に向かって言う言葉に注意してほしいと思う。聞かされる相手はその言葉を信じ込んでしまうかもしれない。それが終わりの始まりになるかもしれないのだから」


笑いと治癒力 (岩波現代文庫―社会)
岩波書店


続・笑いと治癒力―生への意欲 (岩波現代文庫)
岩波書店


Anatomy Of An Illness As Perceived By The Patient: Reflections on Healing and Regeneration
W W Norton & Co Inc


1976年 NEJM Anatomy of an Illness (as Perceived by the Patient)
1990年 NEJM Head First: The biology of hope

1990年12月 カズンズが死去。晩年 医療ジャーナリズム等で教鞭をとっていたカリフォルニア大学ロサンゼルス校にはThe Norman Cousins Center for Psychoneuroimmunologyがあります。
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