ICT甲府
全ての自由を奪えても、自由を求める自由だけは奪えない




「武田家子孫1日砂防事務所長」という記事がNHK山梨のニュース-2007年6月2日にありました。

武田信玄が治水のためにつくったとされる堤防「信玄堤」にちなんで信玄から16代目にあたる子孫がきょう富士川砂防事務所の1日所長を務めて治水対策や防災の大切さを訴えました。
これは6月が土砂災害防災月間に定められていることを受けて甲府市の富士川砂防事務所が行ったもので1日は「信玄堤」などの治水事業に力を入れた武田信玄から16代目の子孫にあたる武田邦信さんが1日所長を務めました。
和服姿の武田さんは「1日事務所長」と書かれたたすきをかけて、堀内成郎所長から委嘱状を受け取りました。
このあと武田さんは、JR甲府駅を訪れ土砂災害の恐ろしさや防災対策を展示したパネル展の前で訪れた人たちにパンフレットを配って治水対策や防災の大切さを訴えました。
土砂災害防止月間である6月中は県内各地で県民の防災意識の向上をはかるためのパネル展やイベントが行われることになっています。 

「信玄公の願い」というイベント記事が富士川砂防事務所サイトに掲載されています-PDFファイル。この記事で思い出したのですが、信玄16代目の子孫にあたる武田邦信さんと織田信長の子孫が和解したという話。保存していたファイルをやっと探し出せました。この記事は2004年4月11日の毎日新聞山梨版が報じたものです。

武田神社で10日、信玄公と織田信長公のそれぞれの子孫がそろって参拝した。信玄公の死後、武田と織田の両軍が対決した長篠の合戦(天正3年-1575年)から430年が経過、「これからは仲良くしましょう」と固く握手をした。
参拝したのは武田家当主16世の武田邦信さん、織田家当主12世の織田信成さんと長男で同13世の織田信和さん。 武田さんは信玄公の二男・信親、織田信成さん、信和さん親子は信長公の二男信雄の子孫。
武田さんと織田さん親子は2001年、愛知県新城市で行われた設楽ケ原(長篠)合戦祭りで初めて出会い、2年後の同祭りでの再会を約束。しかし武田さんの仕事の都合で再会できなかったため、織田さんが2004年の信玄公祭りに合わせ武田神社を訪れた。
神社境内には武田方の武将の子孫も訪れており、織田さんは「皆さんの目が鋭く、威圧されました」と冗談混じりに苦笑。3人とも「今となっては、昔の合戦への恨みなど全くない。今後も機会があれば会いたい」と笑顔で話した。

という心の和むお話です。豊臣秀頼生存説、秀頼=天草四郎の伝説とかジンギスカン=義経伝説とか、子供のころに読んだようなオトギバナシではみんな生きていた(^o^) 現実の歴史として信長や信玄の家系(血筋)が継続しているということを初めて知ったのがこの記事でした。
そして和解と言えば、赤穂と吉良の和解についても以前読んでいました。ちょっと検索したら、「播州赤穂」に残っていました、『兵庫県赤穂市の呼びかけで、89年から忠臣蔵にゆかりのある自治体が、「義士親善友好都市交流会議」を毎年開いているが、93年に(旧)吉良町も参加することになり、「歴史的和解」と騒がれた。』 ということです。本所松坂町吉良邱跡(両国)、泉岳寺(高輪)は在京時代の馴染みの場所でもあり、こうしてネット記事を読み漁っていると里心をかき立てられます。大河ドラマ「風林火山」を観て山梨に来られる方々にも、なにがしかの望郷心をかき立てられるものがあるのでしょう。

お客様が失望してお帰りになることがないように、また来たい山梨、何度も来たい山梨、そして住んでみたい山梨であるように・・・ささやかにネットで書き続けます。

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