ICT甲府
全ての自由を奪えても、自由を求める自由だけは奪えない




2006年11月30日 読売新聞の記事からですが、次のようなシンポジウムの案内が山梨県戦争遺跡ネットワーク(山梨平和資料センター準備会)ホームページにあります。

記念シンポジウム 石橋湛山を語る
12月2日午後2時~県男女共同参画推進センター
講師 江宮隆之氏(作家) 斉藤佳倍氏(弘前大学名誉教授)
コーディネーター 浅川保氏(県立大学講師)

県ゆかりの宰相石橋湛山(1884~1973)の特別展「偉大な言論人・石橋湛山展」(山梨平和資料センター準備会主催)が甲府市朝気の県男女共同参画推進センターで開かれている。入場無料、12月3日まで。午前10時~午後4時

石橋内閣が誕生してから今年50年を迎えることから企画した。湛山の青年時代の文章や、出身高である甲府一高に寄贈した「Boys be Ambitious!」(少年よ大志を抱け)の額、東洋経済新報社記者時代の植民地主義を批判した論説記事など約150点を紹介している。見学に訪れた韮崎市の主婦は「湛山のような政治家が山梨から出たことを誇りに思う。国や県でも湛山のような先見性のある政治家がいてほしい」と話していた。

Boys be Ambitious!

湛山は東京生まれ。県立尋常中学(現甲府一高、早稲田大学を卒業。東洋経済新報社記者などを経て、政界に転身し、蔵相、通産相を経て56年12月に首相になったが、病のため、わずか2か月で辞職した。



コメント ( 6 ) | Trackback ( 0 )


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コメント
 
 
 
>石井・石橋両派に向けて熾烈な切り崩しが行われ... (鏡中条)
2010-08-03 09:48:25
>石井・石橋両派に向けて熾烈な切り崩しが行われていたし、相当の黄白が乱れ飛んだ。余談ながら、岸は商工省人脈から財界に顔が利いた。藤山愛一郎、杉道助などの提供した政治資金は即座に実弾として遣われたわけだが、この選挙で岸派が遣った金額は一説には三億円と言われる。
 岸の敗因は、秘書の山路一寿によれば、「地方代議員の争奪に敗れたこと」だという。岸派の地方代議員が上京、宿泊していた第一ホテルは石田博英の定宿でもあったが、石田は一晩のうちに岸派代議員を一人ずつ表へ連れだして30人のうち29人までを切り崩してしまったのである。のちに石田は、「野戦は得意なんだ」と笑ったという。岸派がカネをばらまいたのならば、役職の空手形を濫発したのが石田であった。通産相の手形は5人に、農相の手形は8人に振られたという。大野伴睦が副総裁または幹事長の手形を振られたことは前述の通りである。

目くそ鼻くそを笑うと言うこともあるが、このような、石橋湛山の行動は、一体どう考えるんだろうか?金権腐敗ということ、そのものといえるのではないかな?
 
 
 
鏡中条さん、コメント拝読しました。 (ictkofu)
2010-08-03 10:54:49
鏡中条さん、コメント拝読しました。
>石井・石橋両派に向けて・・・
引用のソースをお示しいただければありがたいです。
「このような、石橋湛山の行動・・」とおっしゃる意味はコメントからでは私には理解できません。

私は政界とか政局というものには知識がありませんし、こんな昔の事はなおさら知りません。
ソースをご教示いただいたとしても、それを私は読むことはないと思いますが、このブログの読者の方にはご参考になるかと思います。
ネット公開記事ならURLを、図書、雑誌に収録されたテキストならその題名、著者、発行年、発行元など、お願いします。
 
 
 
補足します。 (ictkofu)
2010-08-03 12:02:16
補足します。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%B3%E6%A9%8B%E6%B9%9B%E5%B1%B1
石橋湛山(Wikipedia)を確認してみましたら、以下のような記述が見つかりました。
>東洋経済新報社で石橋の「全集」が作成される時に、編集者は全集に入れる月報の執筆を正木に依頼した。かつて石橋の部下でもあったその編集者は、石橋への賛美一色のコラムを集めたのでは、一方の意見に偏らない言論の必要性を唱えて来た石橋の信念に反すると考えたのである。正木が書いた石橋への批判はそのまま掲載される事になった。

私はこの編集者、それを育てた石橋湛山を高く評価します。それがインターネット、情報オタクとしての私のスタンスです。
山梨平和ミュージアムにいけばこの全集もあると思いますので、いつか機会があれば読んでみたいと思います。

調べるきっかけを与えてくださった鏡中条さんに感謝。
 
 
 
http://www.geocities.jp/since7903/Syouwa-shinke... (鏡中条)
2010-08-03 23:16:43
http://www.geocities.jp/since7903/Syouwa-shinkenpou/56-ishibashi.htm

なおこのことは、当時の新聞にも大きく報道されました。大きな問題になったのです。しかし、「こんな昔の事はなおさら」知らないのが、大いにあるんです。そこで、新聞でも大きく報道されました。もっとも、自分は、その事をちょっとした契機で知ったのですが。
問題は、当時のその状況を明らかにする政党が今日ないことです。あえて言えば、自由民主党だけが当時存在して今も存在している政党だと言うことですかね。日本社会党はなくなりました。日本共産党は、当時のことを言う党の歴史を持っていません。残念ながら。おそらく、当時の「赤旗」(アカハタ)も、共産党の正史にはないのではないかと思います。
そのことから、石橋湛山自民党総裁が総理大臣になった所などは、なかなか明らかにされていないのではないかと思います。
 
 
 
>党の政綱 (鏡中条)
2010-08-03 23:21:03
>党の政綱
昭和三十年十一月十五日
一、 国民道義の確立と教育の改革
 正しい民主主義と祖国愛を高揚する国民道義を確立するため、現行教育制度を改革するとともに教育の政治的中立を徹底し、また育英制度を拡充し、青年教育を強化する。
 体育を奨励し、芸術を育成し、娯楽の健全化をはかって、国民情操の純化向上につとめる。

ニ、 政官界の刷新
 国会及び政党の運営を刷新し、選挙制度、公務員制度の改正を断行して、官紀綱紀の粛正をはかり、政官界の積弊を一掃する。
 中央、地方を通じ、責任行政体制を確立して過度の責任分散の弊を改めるとともに、行財政の簡素能率化をはかり、地方自治制度の改革を行う。

三、 経済自立の達成
 通貨価値の安定と国際収支の均衡の上に立つ経済の自立繁栄と完全雇用の達成をはかる。
 これがため、年次計画による経済自立総合政策を樹立し、資金の調整、生産の合理化、貿易の増進、失業対策、労働生産性の向上等に亘り必要な措置を講じ、また資本の蓄積を画期的に増強するとともに、これら施策の実行につき、特に国民の理解と協力を求める。
 農林漁業の経営安定、中小企業の振興を強力に推進し、北海道その他未開発地域の開発に積極的な対策を講じる。
 国際労働憲章、国際労働規約の原則に従い健全な労働組合運動を育成強化して労使協力体制を確立するとともに、一部労働運動の破壊的政治偏向はこれを是正する。
 原子力の平和利用を中軸とする産業構造の変革に備え、科学技術の振興に特段の措置を講じる。

四、 福祉社会の建設
 医療制度、年金制度、救貧制度、母子福祉制度を刷新して社会保障施策を総合整備するとともに、家族計画の助長、家庭生活の近代化、住宅問題の解決等生活環境を改善向上し、もって社会正義に立脚した福祉社会を建設する。

五、 平和外交の積極的展開
 外交の基調を自由民主主義諸国との協力提携に置いて、国際連合への加入を促進するとともに、未締約国との国交回復、特にアジア諸国との善隣友好と賠償問題の早期解決をはかる。
 固有領土の返還及び抑留者の釈放を要求し、また海外移住の自由、公海漁業の自由、原水爆の禁止を世界に訴える。

六、 独立体制の整備
 平和主義、民主主義及び基本的人権尊重の原則を堅持しつつ、現行憲法の自主的改正をはかり、また占領諸法制を再検討し、国情に即してこれが改廃を行う。
 世界の平和と国家の独立及び国民の自由を保護するため、集団安全保障体制の下、国力と国情に相応した自衛軍備を整え、駐留外国軍隊の撤退に備える。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
以上は、自民党の政綱です。政党綱領と言うことでしょう。
「六、 独立体制の整備
 平和主義、民主主義及び基本的人権尊重の原則を堅持しつつ、現行憲法の自主的改正をはかり、また占領諸法制を再検討し、国情に即してこれが改廃を行う。
 世界の平和と国家の独立及び国民の自由を保護するため、集団安全保障体制の下、国力と国情に相応した自衛軍備を整え、駐留外国軍隊の撤退に備える。」とは、憲法を変えること、軍隊を持つことを明記しています。その政綱を掲げる自民党の総裁が、石橋湛山だったわけです。
一体、石橋湛山は、改憲し、軍隊を持つことを宣言し、遂行してきたのは言えないのでしょうか?それも、自民党に一党員ではなく、自民党の総裁だったわけです。そこらへんは、どう考えるのでしょうか?


 
 
 
鏡中条さん、ソースの提示と考証をありがとうござ... (ictkofu)
2010-08-04 00:52:32
鏡中条さん、ソースの提示と考証をありがとうございます。
それであなたはここで何をおっしゃりたいのでしょうか。

お示ししいただいたWebページのリンク先で
http://www.geocities.jp/since7903/zinbutsu/i.htm#%E7%9F%B3%E6%A9%8B%E6%B9%9B%E5%B1%B1
石橋湛山の経歴も書かれていました。

>昭和二十年十一月、日本自由党に顧問として入党。自由党に入党した理由は、「一番なにもなさそうだから」。社会党だと社会主義という殻があって困るが、自由党はなんだか非常に漠然としていてよかった、と回想する。

思わず笑いました。今の自民党も民主党もただ漠然としていて、国民はその象を壁だ、柱だと自分で決めて選択しているだけみたいですね。
しかし殻に篭っちゃった人を抱えている民主党らしいと、私は山梨の参院選を見ていて感じています。

経歴には公職追放について、「誰の差し金かは今もってわからない」と書かれてましたが、政治の闇とはそういうもんだろうと私は思っています。植草一秀さんのことをブログに書いたのも、そんな闇の存在を垣間見るような気がするからです。

1956年12月就任-1957年2月退陣に至った病が果たして自然発生的なものだったのか、後継の岸信介指名は本当に石橋自身の意志だったのか、岸信介の下で60年安保があり、70年安保を過ぎて1972年5月弟の佐藤栄作により密約とともに沖縄が戻った、その密約の存在をあばいた西山記者は女性スキャンダルを書きたてられて退き、数十年を経て国会で密約が明らかとなった・・・歴史とは面白いものだと思います。

鏡中条さんが「石橋湛山の行動は、一体どう考えるんだろうか?金権腐敗ということ、そのものといえるのではないかな」 「石橋湛山は、改憲し、軍隊を持つことを宣言し、遂行してきたのは言えないのでしょうか」 とおっしゃることは、石橋湛山が総裁選勝利に向けて買収工作などの指示を出し、昭和30 1955年11月15日制定の党の政綱を再考することなく政権を維持し続けるはずだったという前提でのご意見と思います。私はそれについては何も言えません。

鏡中条さんがお書きになる石橋湛山首相就任の過程に何があったのかを記憶していることは大事なことなのかも知れませんが、そういうプロセスを生み出すシステムが、どのように組み立てられているのかという構造的な問題にむしろ私は興味があります。政治社会学のような理論があるなら、そういう領域でしょうか。

政治とは私にはほんとに遠い世界なのですが、政局とかいう言葉でしか語られない基底の構造について、それはおそらく当事者でも意のままにはならない構造があり、その上で踊らねばならないものかもしれませんが、踊っている本人が、これだけは譲らないという理念、信念をどのように見せているか、そこに私は焦点を絞りたいと思っているのです。

私は山梨平和ミュージアム(石橋湛山記念館) http://ypm-japan.jp/ypm.html#01 で石橋湛山について垣間見ていますが、いつ訪問しても「今度はゆっくり図書を拝見したいと思います」と館長さんに言い置いて帰ってくるだけなのです。言論人である湛山自身の発信を、その理念・信念をいつかはきちんと読みたいと思っています。

鏡中条さんがお書きになるブログ、ホームページなどございましたらご紹介ください。
 
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