ICT甲府
全ての自由を奪えても、自由を求める自由だけは奪えない




昨年2017年12月8日のブログで次のように書いていました。

12月8日にこんな記事を書き残すことになりました。
 天皇陛下ご退位の日は2019年4月30日と閣議決定された報道あり、平成31年4月30日の翌日からアベスガ設定の新元号など使う気はしないから、西暦2019年と必要な時は皇紀2679年でよかろう。それにしても12月8日にこの決定をした内閣!

今にして思えば12月8日にこの決定をした現内閣には裏の想いがあったに違いない。まさに平成の宣戦布告というか開戦としての意味を含んでいる。1989年(昭和64年)1月7日の昭和天皇崩御により小渕恵三官房長官が新元号を「平成」と発表した時の嫌な感じを覚えているのです・・・「地を平らげて天成る=平成」かと直感したことが、その後の世情、特に安倍政権により如実に現実化してきた。
明治神宮の公式サイトに 「明治」の由来は何ですか? と記事があります。ここに「大正」「昭和」「平成」の出典由来についても書かれています。以下引用・・・

「明治」:『易経』「聖人南面して天下を聴き、明に嚮(むか)いて治む」: 聖人が南面して政治を聴けば、天下は明るい方向に向かって治まる、と解されています。
「大正」:『易経』「大亨は以って正天の道なり」: 天が民の言葉を嘉納し、政(まつりごと)が正しく行われる。
「昭和」:『書経』「百姓昭明、協和万邦」: 国民の平和と世界の共存繁栄を願ったもの。
「平成」:『史記』「内平かに外成る」『書経』「地平かに天成る」: 内外、天地とも平和が達成されるとの意味。
『史記』「内平かに外成る」は知りませんでしたが、まさに国内を平らげて外(アメリカ)との友好を大成させてきたようです。

元号は日本の歴史的財産の一つだと思っています。日本史もすっかり忘れている今日この頃ですが、応仁の乱とか安政の大獄とか明治維新とか、元号あってこその名称が多数ありますし、元禄時代とか大正ロマンなどの言葉でその時代を思い浮かべるような場合も多いわけです。「時は元禄15年 師走半ばの14日」これを「1702年12月14日」と書かれたら何の事か分かりません。
しかし私が気に入らないのは公文書に元号表記しかないこと。また、報道記事などで年月表示に元号年の2桁と西暦の下2桁とが共に使われること。2桁表記は元号だけにして西暦なら4桁で書いて欲しい。私はそういう記事を引用するネットでは西暦併記を心掛けています。
昭和*年+25 で西暦19**に、平成は西暦2000年が平成12年なので平成28年なら 28-12 2016年、20世紀は1990年が平成2年で換算あるいは12年からマイナスで。

昨年の12月8日記事ではNHK問題に触れていました。リンクで済ませていたNHK記事を全文引用しておきます。ちなみに「スクランブル Scramble」という言葉を通信・放送に関して使う時は、正当な受信者以外が信号を受信してもそのままでは視聴できないようにする事(IT用語辞典)。空軍機の緊急発進をスクランブルと呼ぶことはよく知られていると思いますが、それはIT用語とは意味が異なります。

Q:なぜ、スクランブルを導入しないのか
A:
  NHKは、広く視聴者に負担していただく受信料を財源とする公共放送として、特定の利益や視聴率に左右されず、社会生活の基本となる確かな情報や、豊かな文化を育む多様な番組を、いつでも、どこでも、誰にでも分けへだてなく提供する役割を担っています。
  緊急災害時には大幅に番組編成を変更し、正確な情報を迅速に提供するほか、教育番組や福祉番組、古典芸能番組など、視聴率だけでは計ることの出来ない番組も数多く放送しています。
  スクランブルをかけ、受信料を支払わない方に放送番組を視聴できないようにするという方法は一見合理的に見えるが、NHKが担っている役割と矛盾するため、公共放送としては問題があると考えます。
  また、スクランブルを導入した場合、どうしても「よく見られる」番組に偏り、内容が画一化していく懸念があり、結果として、視聴者にとって、番組視聴の選択肢が狭まって、放送法がうたう「健全な民主主義の発達」の上でも問題があると考えます。

平成の意味と同様に「公共」の意味も様変わりしている日本国の実相ではないか。オオヤケの言うなりに共に歩むのが公共であると。



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