こんなモノを買っている場合じゃないのに。
何か途方もないモノに、恋焦がれてると、一瞬現実に引き戻され、とても無意味に感じる時がある。
幼少時から続いてた、世帯主中心の原理原則主義にのっとった暮らし、つまり我が家の常識という余波が、押し寄せてくるのである。
それまで、他に世界を知らないのだから、何の不満も感じる事がなかったのだが、私に限って起こる事のない、芸能人にうつつを抜かすという、行為に走った頃から、崩れ始めた。
行為に走った理由は、世帯主の柱が病気の為、揺らいだのが原因。
40過ぎのおばさんが、弾けたらもう止まらない。
大人買いは出来るし、それまで培養されてきた経験で、夫に嘘は付き放題。
私が機嫌よく生活していられるのだから、たいした事ないじゃないと正当化するのは、おてのもの。
しかし、何故、世帯主に嘘をつかなければならないのか・・・?
それは、やはり、自分の中で何か疚しいと思う事、若しくは妻・母・嫁という立場上非常識な行為として、今まで蔑んできた事をしているせいなのであろうか。
数年前、初めてイ・ビョンホンに会えるチケットが、サマンサタバサのネックレス付きで10万円くらいだったかなあ。
スペースマウンテン48時間乗りっぱなし位、心が揺らいだ。
しかし、最終的に、ウン十年の培ってきた金銭感覚を天秤に掛け、そのチケットは、購入せず替わりにバーバーリーのダッフルコートを即買いした。
今回のこのバリーの靴の反対側の天秤皿には、一体、何が乗っているのであろうか。