変節の醜学 姜尚中篇

2018-11-28 | 記事



近年における姜尚中のおかしさというのはずっと指摘されてはいたのだが、とうとうここまで来たかという感じがする。産経にこんな記事が載っていた。

https://www.sankei.com/life/news/181124/lif1811240011-n1.html
https://www.sankei.com/life/news/181124/lif1811240011-n2.html
https://www.sankei.com/life/news/181124/lif1811240011-n3.html
【海峡を越えて 「朝のくに」ものがたり】(46)姜尚中 在日2世物語の終焉 もう国籍にこだわらない

実際に読んでいただくのが早い。それにしても姜尚中ほど「一人の知識人の人生における成長と変化、そして変節と堕落」をこれほど明確に見せてくれるサンプルケースはないのではないか。少し前、朝鮮とアメリカの対決が最高潮に達してた頃、姜尚中はテレビに出て「北朝鮮の脅威」「金正恩は狂気の独裁者」みたいな事を煽る発言まで堂々としていたのだから。もはや石丸次郎や青山繁晴と違わない水準だ。
でもこの人、1990年代の始め頃には自衛隊海外派兵反対集会に出て講演したり、その場で「在日は日本の侵略によって苦しんで来た犠牲者であり、それをさらに苦しめるような真似(自衛隊海外派兵)を、日本政府はなぜするのか」「在日一世を記録する記念館のようなのを作らねばならない」みたいな事を言ってたんだぜ? 今ではとても信じらんねえ! ちなみにその時の集会では確か色川大吉や広瀬隆なんかも一緒に登壇して自衛隊派兵反対論をぶっていたのだが、その後色川と広瀬は都知事選で細川&小泉組を応援して、自分らも姜尚中に引けを取らない変節の醜学ぶりを天下にさらけ出しましたとさ。めでたし、めでたし。
ちっともめでたくねえよ。

かつて在日朝鮮人問題や天皇制・反原発などで名を売った学者や運動家は、今や軒並み壊滅状態に陥ったという凄絶な現実がある。広瀬隆なんて、今や反原発運動やってる人達の間でもどれだけ信じてる奴いるんだというレベルだろう。今読んでみると広瀬は中東イスラム諸国に関する著書に特に酷いものが多かった。中でもサウジアラビアの支配者であるサウド家と、「国教」であるワッハービズム(実際にはカルト化したイスラムの邪派)を超美化していたのは重大な過ちとしか言いようがない。朝鮮半島や中国の歴史に関する知識も浅薄極まりなかったし。まあ、今回は広瀬の話がテーマではないので話を戻す。

上記産経の記事で姜尚中が言ってる事は、一言で言って親日派の論理そのものである。それも日帝時代に内鮮一体や皇民化教育に率先した連中の言ってた事と何もかもそっくり! 実際に比較してみると分かり易い。

・姜尚中曰く
「(日本への帰化は)外来種から、本当の在来種への転換。その物語を完結させる儀式

IT業界の大立者(おおだてもの)になった孫(正義)が「経団連会長」になるような日が来るのかもしれない、と姜は思う。

 「一代であれだけの企業をつくり、日本の経済発展に多大な貢献をしている人です。『在日』社会は今後、日本国籍を持った人がマジョリティーになってゆくでしょうが、国籍に関係なく、朝鮮半島に縁をもった人たち皆が、違和感なく『コリアン』だ、といえる時代になってほしい」

・玄永燮曰く
「私は夢想する。半島の青年大多数が軍国の為に喜んで死ぬ日を! 完全に日本化した朝鮮人の中から宰相が出る、その輝かしい日を! 100年後か数100年後であろうか。内鮮一体を深化、徹底して完成させよう! 内鮮一体を永久的心理にしよう! 内鮮人に対する当為としよう! 新生朝鮮は内鮮一体の第1段階から第2段階へと飛躍する、まさにその時期に正確に置かれている。(「新生朝鮮の出発」183頁より)」

比較対象として挙げたこの玄永燮(ヒョン・ヨンソプ 현영섭 創氏名:天野道夫  1907~?)というのは日帝時代の悪質親日派で、緑旗聯盟や華北半島人聯盟などの親日団体幹部だった。中でも朝鮮語全廃論を唱えた事で悪名高い。ところがこの大物親日派、若い頃は社会主義者またはアナーキストとして、どちらかと言うと独立運動に関わっていたというから驚く。若い頃韓国民主化運動や指紋押捺反対運動をしていた姜尚中と同じで、玄永燮もまた恥知らずの転向者だった。

姜「孫正義が経団連会長になる日が来るかもしれない」
玄「完全に日本化した朝鮮人の中から宰相が出る、その輝かしい日を!」

姜「外来種から、本当の在来種への転換。その物語を完結させる儀式」
玄「内鮮一体を深化、徹底して完成させよう! 内鮮一体を永久的心理にしよう! 内鮮人に対する当為としよう! 新生朝鮮は内鮮一体の第1段階から第2段階へと飛躍する、まさにその時期に正確に置かれている」

両人の発言を並べてみると、嫌になるほどそっくり! 今の姜尚中は玄永燮の悪霊にでも憑依されてるんじゃねえのかと言いたくなる。


・姜尚中曰く
「3世、4世になると、韓国に戸籍の登録もしていないだろうし、日本人との結婚も当たり前になっている。彼らは、なぜ、自分が『在日』でいるのかすら分からない。親が韓国・朝鮮籍だから惰性で外国籍を維持している人が多いと思います」
「2世もあと10年もすれば、かなりいなくなるでしょう。“遠心力”にかけられて、在日という存在はますます焦点がぼやけ、見えにくくなる。もちろん、過去の記憶にアイデンティティーを求め、強い民族意識を持ち続ける人もいるでしょうが、長い目で見れば、日本国籍を取るのが自然の流れでしょうね。ひとつの物語の終焉(しゅうえん)です」
日本で生まれ、住み続け、日本で土に還(かえ)る。私は、日本以外へ出たいと思ったこともない。日本にいる以上、日本の流儀に従うべきでしょう。唯一、こだわりがあるとすれば、『姜尚中』という名前だけですね。それも、私の世代で終わる。後は、活字の中で『そんな名前の人がかつていたんだ』というくらいで残ればいいのです」
姜は、日本社会がうまく“受け皿”をつくっていれば、同化はもっと早かっただろうと思う。「在日を負の遺産として日本政府は長い間、統制や公安上の対象としてみてきたからです。同化一辺倒ではなく『コリアン・ジャパニーズ』としての個性を重んずる社会を実現すべきでしょう」

・李光洙曰く
朝鮮人は朝鮮人であることを忘れなくてはならない。血も肉も骨もすっかり日本人とならなくてはならない。朝鮮の知識人がなすべきことは、先ずおのれ自身を日本化し、第二には朝鮮人全体を日本化することに力を傾け、第三には、日本の文化を昂揚させこれを世界に発揚する文化戦線の兵士となるべきことである。これが朝鮮民族の永生の道である。そのために朝鮮人はその民族感情の発展的解消を断行すべきである」


次の比較対象である李光洙(リ・グァンス 리광수 創氏名:香山光郎 1892-1950)は当時最も有名な親日文学者だったので、御存知の方も多いと思う。この男も当初は独立運動に関わっていながら、後に「民族改造論」に走り、挙げ句が「民族解消論」の第1級親日派という変節の醜学まっしぐらに歩んだ人生であった。後年の李光洙の親日ぶりはあまりに狂信的であった為、「李狂獣」(朝鮮語で「光洙」と「狂獣」は同音)という陰口まで叩かれたほどである。これまた経歴も言ってる事もそっくりだねえ、姜も李も。姜の言う「ひとつの物語の終焉」という民族アイデンティティーの消滅は、李の言ってた「民族感情の発展的解消」まんまであろう。

姜「同化一辺倒ではなく『コリアン・ジャパニーズ』としての個性を重んずる社会を実現すべき」
李「日本の文化を昂揚させこれを世界に発揚する文化戦線の兵士となるべきことである」

両者に共通しているのは、とにかく朝鮮人は「祖国日本」の御為に奉仕しろという論理だ。これの元になっているのは、「お前たち(在日)は、言葉もできないくせに、そんなに民族意識が強かったのか? 『シーラカンス』みたいじゃないか、ってね。ただ、彼らは『自分が誰なのか』を知っている。在日はそれがよく分からない。すがるものがないから『国籍』にしがみつく一面もあったのです」だとか、「朝鮮人には詩もなく、小説もなく、劇もなく、即ち文芸の名に値する文芸がなく、別言すれば、朝鮮人には精神生活がなかった」「虚張声勢(ほら吹き)、空疎空論、表裏不同、姑息逡巡、個人優先・・・・・・の如き民族性上の欠陥」といった、両者が自民族に対して抱いている強烈な劣等感によるものであろう。これはすなわち日帝の植民史観そのものだ。「朝鮮人はこんだけ劣等民族なんだ。だから偉大なる大日本帝国に統治されるのが幸せなんだ。だから朝鮮人はテンノーヘーカの御為に死なねばならない」という、植民地侵略を正当化する為の嘘をそのまま信じ込んで洗脳されているのである。金明秀なんかもそうだけどね。


姜尚中曰く
「聞けば明治神宮は、明治天皇の逝去後、全国から集まった青年たちの「奉仕」によって広大な荒れ地を造営し、350種類以上、約15万本の樹木が奉納され、あのような見事な森が形成されたということでした。(中略)柱に賽銭が刺さってしまうほどの人々の切なる思いに、胸がキュンと熱くなりました。神社の方によると、こうした傷は修復せずに保存しているとのことです。/一人ひとりの老若男女たちが境内に託してゆく様々な思いが、サンクチュアリとしてこの空間を残しているのではないか。傷をじっと見つめていると、そんな思いすらこみ上げてきて、日本人にとっての神社や初詣でというものに対する僕の先入観も、静かに消えていくようでした。

・李光洙曰く
微臣・香山光郎、謹んで聖寿の万歳をお祈り申し上げます」(1942年11月に李が大東亜文学者大会に参加する為来日し、二重橋で宮城遥拝した時のセリフ)


ここまで来ると姜尚中の「皇民化度」は決して李光洙に負けていないというのが分かる。かつて姜は天皇と天皇制に対して結構厳しくも鋭い事を言っていたはずなのだが、最近はこうだよ。明治神宮を「遥拝」する姜の姿、宮城遥拝した時の李の姿と何重にもダブって見える。李光洙は日帝時代に皇室への崇敬を狂ったように何度も語っていたが、今の姜尚中も天皇に敬語使ったり「国家主義の抑制になってる」とか全く同じ事になっているようだ。

今の姜尚中というのは、玄永燮や李光洙のような最悪の旧親日派達を何人もチャンポンして作られた、合成魔獣みたいな存在になっている。実にロクでもないモンスターが誕生したと言えるのではないか。そのうち玄永燮や李光洙と同じように「在日の若者は帰化して自衛隊に入れ!」などという学徒勧誘まで言い始めるかもしれない。民族同胞を裏切って食い物にする連中というのは、いつの時代どこの国でも同じような屁理屈を異口同音に言うものだ。


ちなみに李光洙の最期についても参考までに記しておきたい。朝鮮戦争が勃発してすぐに北側の人民軍によってソウルが占領された際、ソウルに残っていた各界著名人士の多くが人民軍のオルグ対象となった。李光洙や崔麟のように親日経歴のある者もその対象とされ、とにかく誰であれ有力者や著名人ならば取り込んで、占領した南側地域の統治や人心確保に利用しようとしたのである。が、その後仁川上陸作戦による米軍の反撃が始まり、これらソウルの人士達も人民軍に連れられて北側へ退避する事になった。李光洙もその時に北側へ連れて行かれる。だが、すでに李光洙は重病で、米軍の爆撃を何とか逃れて疎開したものの、そこの病院であっさり死んでしまった。しかしながら李光洙は死ぬまで自分の親日行為について一切反省も謝罪もしなかったという(ただし朝鮮共和国当局は李光洙が死ぬ前に反省したと、対外的には発表している。しかしながらこれは対南外交の為のリップサービスと見るべきであろう。李光洙が最後まで反省も謝罪も拒否し続けた事は、歴史学者の間では定説である)。解放後の李光洙は「私の告白」という著書に見られるように、ひたすら見苦しい弁明に終始してそのまま死んだのだ。
この件が我々に与えてくれる教訓とは、李光洙がそうであったように、姜尚中もまた己の過ちを絶対に認めず、死ぬまで自身の変節と妄言を反省せず死んでいくだろうという事だ。すなわち、姜尚中は死んでも治らないという事だ!


※当初は「変節の醜学 徐京植篇」をやる予定でしたが、姜尚中のネタが飛び込んで来たので、急遽変更しました。徐京植についてはまた次回に。

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