日本を日本ならしめた資格とは
匠(たくみ)である
一回の入学試験で合否が決まるような
ベニヤ板的資格ではなく
長年の鍛錬修練で切磋琢磨しながら修得された資格である
専門力は無論のこと
人間力を身につけたものでなければ
匠の資格を手にすることはできなかった
中国は数千年も前から
科挙(かきょ)という
現代の資格試験のような受験体制で官僚を選抜していた
漢字や儒教・仏教など
ありとあらゆる文化を中国から輸入した日本ではあったが
宦官(かんがん)のシステムと
科挙のシステムだけは入れなかった
賢明であった
人間の能力とは
昨今の受験システムのような方法で測れるような
単純なものではないと判っていたからである
奉公、弟子入り、塾、寺子屋などの
徹底した師弟関係で育まれる教育は
日本の教育そのものだった
資本主義的
大量の働きアリを生産する教育から
いち早く脱却して
匠を生む教育
日本が日本を創成してきた底力は何であったのかを
もう一度見直す時かもしれない
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私の勝手な解釈ですが、やはり受験は「勉めることを強いる」から「学習」ではなく「勉強」と言うのかな~と思いました。
私は勉強はつまらなくい苦しくて「大~嫌い!」ですが、学習は楽しくてやめられなくなるほど「大~好き♪」です!(*^_^*)笑
日本には改めて「生涯学習」と提唱しなくても、「匠」という最高の学習スタイルを確立していたはずなのに・・・(>_<)と院長ブログを読みながら悔しくなりました。
やはり、日本再興のカギは「教育」の現場や制度を見直すことにありそうですね。(ー_ー)!!