2021.4.3放送
「世の光」の時間です。お元気でお過ごしでしょうか、関根弘興です。
キリスト教会のカレンダーでは今度の日曜日は、イエス・キリストが死からよみがえられたことを記念するイースターを迎えます。そこで今週はご一緒に、聖書から「死」と「復活」ということについて考えています。
私たちの時間の流れというものは過去から現在そして未来へと流れています。ですから過去を振り返り、現在を見、そして将来を見つめようとします。過去を見て、あんなことがあったからこれからもいいことなどないと将来を見る人もいるでしょうし、こんなことがあったから将来は大きく変わるに違いないと判断することもあるでしょう。
しかし聖書はもう一つの視点があることを教えています。それは、まだ見ぬ未来を見つめて、現在を見、過去さえも見ていくという、こういう見方です。つまり、永遠を見つめ、今の生活を見つめていくという見方ですね。
聖書は、死は終わりではない、永遠の住まいが用意されている、と約束しています。そこにはいつも希望があるわけです。この見方の特徴は、将来に希望を見つめて、今を生きるということなんです。
この地上の生涯は、喜び、悲しみ、痛み、苦しみ、様々なことが起こります。しかし、「わたしを信じる者は死んでも生きる」(ヨハネの福音書11章25節)とイエス・キリストは言われました。死は終わりではなく永遠の始まり、そう教えるわけです。ですから私たちはまだ見ぬ永遠の希望を見つめ、今というこの瞬間を生きていくのです。
私はキリスト教の葬儀の司式をすることが度々あります。葬儀では賛美歌が歌われ、死は終りではない、と希望のメッセージを語ります。もちろん永遠の希望があるとはいえ、愛する人とのこの地上での別れというものは言いようもない深い悲しみです。涙があふれてきます。そして「神様どうしてですか!」と何度も叫び、疲れ果ててしまうこともあるでしょう。
でもそんな時、どうぞその涙を止めないでください。なぜならその涙をぬぐってくださるイエス・キリストがいてくださるからです。
ヨハネの黙示録にはこう記されています。
「神は彼らの目から涙をことごとくぬぐい取ってくださる。もはや死はなく、悲しみも、叫び声も、苦しみもない。以前のものが過ぎ去ったからである。」(21章4節)
永遠を見つめて、今を生きていきましょう。
(PBA制作「世の光」2021.4.3放送でのお話しより)
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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。でも、新型コロナ禍で集まるのを制限したりオンラインの集まりに切り替えたりしているかもしれません。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。