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 ♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して73年、
PBA『世の光』を文字で 

■あなたを探す神 2 / 大嶋重徳

2013年10月08日 | Weblog
2013/10/8放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか、大嶋重徳です。聖書には一匹の羊が羊飼いのもとから離れて迷い出したという話が出てきます。

 羊飼いと聞くと、「アルプスの少女ハイジ」を思い出し、「ペーター!」「ハイジ!」と、美しい緑の高原が思い浮かびます。しかし聖書の舞台となっているイスラエルは実は荒野と荒地の国です。石と岩と砂の間にわずかに生えている草を羊飼いだけは知っていて、羊をそこに連れて行くのです。羊は羊飼いの側から離れてしまうと生きていくことのできないような荒野の中に投げ出されてしまうのです。
 羊は自分で居るべき場所から迷い出しました。

 浜崎あゆみという歌手が若い人たちに大ブレイクした理由の一つは彼女の歌のテーマが「居場所」だったからだと言われています。彼女の歌詞にはありのままの自分でいられる場所が欲しいと歌います。本当の自分でいられる自分の居場所、それが無い。・・・ 彼女の歌に多くの人が共感しました。

 先日、ひとりの大学生と話をしました。「自分には友達がいません。」 彼はそう言いました。しかし彼は見た目はそんなふうに見えることが無い、そんな人気のある学生でした。「もちろん一緒に昼ご飯を食べる友達はいます。飲み会に誘ってくれる友達もいます。でも本当の自分のありのままをさらけ出して自分の醜い思いをさらけ出しても自分の本音を語り合えるそんな友達が僕にはいないんです。」 彼はそう言ったのです。

 私たちを取り囲む世界には私たちを安心させてくれるような居場所がどこにもありません。もし弱音を吐くならば弱みを握られてしまうだけです。荒野のような寂しい人間関係が私たちを取り囲んでいます。

 しかしイエス様の語る羊飼いはそんな荒野の中で寂しく歩いている私たちを必ず探し、羊を見つけたら大喜びでその羊を肩に担いで帰って来る、そう語ります。「ああ、ここにいたのか。」と大喜びで抱きしめてくれるのです。羊がどんなによごれていたとしても、どんなにくさい臭いを放っていたとしても、大喜びで抱きしめて肩に担いでくれる、というのです。この肩の上のぬくもりがあなたの居場所となるのです。このイエス様の肩の上にあなたの本当の居場所があります。その場所にあなたの全体重を、あなたの疲れを、あなたの存在を委ねてみませんか?

 ( PBA制作「世の光」2013.10.8放送でのお話しより )

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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。


****** このサイトは URL名として  http://yonohikari.biblica.info  が使えます。携帯からもこのURLでどうぞ。



 

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■門を通らない者 / 関根弘興

2013年10月07日 | Weblog
2013/10/7放送

 世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか? 関根弘興です。

 今日は新約聖書ヨハネの福音書の10章の中からお話をしたいと思います。聖書では時々、私たち人間の姿を羊に喩えて語ることがあります。私たちは羊で神様は羊飼いだというんですね。羊はまあ大変かわいらしい家畜ですが、とても弱い動物で羊飼いがいなければはるか昔に絶滅していたであろうと言われているんです。

 ま、羊飼い、これも大変な仕事ですよね。聖書の舞台となったパレスチナ地方では、まあ狭い高地の両側には岩のごつごつした荒地が続いています。羊がそこに迷い込んで行方不明になる危険が常にありました。もし一匹でも羊がいなくなれば、羊飼いは荒地を探し回らなければなりません。また野生の動物や強盗が羊を狙って来ることがありました。そういう敵に備えて常に見張りをして襲われた時には羊を守って戦わなければならないわけです。また羊飼いは羊一頭いっとうに名前をつけており、それぞれの羊をよく知っていたそうです。羊は羊で羊飼いの声をちゃんと聞き分けることができるっていうんですねえ。

 また羊は暖かい季節になると、高原に放牧されるわけですね。放牧の期間中は丘の中腹に作られた囲いに集められます。その入口には戸がついていません。夜になると羊飼いがその入口に寝そべって羊が外に出ないようにし、また外的が侵入しないように守るというんです。羊飼い自身がその囲いの門となって世話をするという訳ですねえ。

 イエス・キリストは、わたしは良き羊飼いであり、わたしはその羊の門であるとおっしゃいました。しかしイエス様はこうした羊飼いの話をしながら、門から入らないで他の所を乗り越えて羊の所に来る者もいる、それは盗人で強盗なのだ、と言われたのです。つまりイエス様が門となってくださっているのに、そこを通らずに入って来る者がいる。つまり、門から入らないというのは、羊の門であるイエス・キリストを無視し、イエス・キリストの与える恵みを愛を赦しを無視して、救いを得ようとする試みでもあります。

 私たちは弱い羊に過ぎません。だから羊飼いであるイエス様抜きで救いを得ようとしたり、自分の力で救いを得ようとすることは結局疲れてしまうだけなんですね。繰り返しますが、私達は羊です。だから羊飼いが必要ですそれも愛と恵みに満ちたイエス・キリストという羊飼いが人生にはどうしても必要なんです。

  (PBA制作「世の光」2013.10.7放送でのお話しより)

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 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。事前の連絡なしでも、ちょっときてみました、いいですか? と言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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このサイトは URL名として 
http://yonohikari.biblica.info 
が使えます。

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世の光/さわやか世の光/ジェネレーションXの東海地方での放送に協力してくださるキリスト教会・キリスト者の皆様の献金は、

  郵便振替 00890-3-111071 東海福音放送協力会   まで

  お問い合わせは、
  電話 052-762-2196 (自由ケ丘キリスト教会内)  東海福音放送協力会 へ
 

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■一日一善 / 羽鳥頼和

2013年10月05日 | Weblog
2013/10/5放送

 世の光の時間です。お聴きくださり、ありがとうございます。羽鳥頼和です。

 一日一善ということばを聞いて私は勘違いしたことがあります。一善の善を食事のことを指す膳と思ってしまったのです。一日にご飯一膳だけ、つまり一杯だけというような意味だと思いました。ダイエットの標語と勘違いしたのです。もちろん本当の一善の善は良いことをする善行の善です。一日に一つ良いことしようということです。

 旧約聖書箴言3章27節には、「あなたの手に善を行なう力があるとき、求める者に、それを拒むな。」とあります。一日一善と似ていますね。この聖書のことばと先程の一日一善の勘違いから、世界の食糧問題のことを思いました。

 世界では飢餓のために一日4万から5万の人がなくなっているそうです。食料が足りなくて飢餓が起こるのですが、世界中で作られている穀物の収穫量は実は世界中の人々が生きていくのに必要な量のおよそ2倍もあるそうです。十分な穀物が作られているのに飢餓が起こるのは、一部の先進国と言われる国々がたくさんの穀物を消費し消費しきれないで余った物を廃棄してしまっているからです。

 今月10月16日は世界食糧デーです。今お話したような世界の食糧問題を考える日として国際連合が設定した日です。その活動の一環で一食分を募金するという運動があります。一日一膳、一食食べるの控えてその分貧困で困っている人に少しでも役に立てようというのです。これこそ一日一善そして「あなたの手に善を行う力がある時、求める者にそれを拒まな」ということではないでしょうか。

 聖書は私たちになすべきことを教えてくれます。神様は良いことをするように人を造られました。そして行うべき良い行いを神様は教えてくださるのです。新約聖書のエペソ人への手紙2章10節にこのようにあります。

 「私たちは神の作品であって、良い行ないをするためにキリスト・イエスにあって造られたのです。神は、私たちが良い行ないに歩むように、その良い行ないをもあらかじめ備えてくださったのです。

 明日は日曜日です。キリスト教会では礼拝で聖書のお話をします。どのように良いことを行えばよいのか神様の教えを知るためにお近くのキリスト教会にぜひいらしてください。

(PBA制作「世の光」2013.10.5放送でのお話より )
 
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このサイトは URL名として
 http://yonohikari.biblica.info 
が使えます。携帯からもこのURLでどうぞ。

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東海福音放送協力会へのお問い合せは、
 464-0044 名古屋市千種区自由ケ丘2-10 自由ケ丘キリスト教会内 電話052-762-2196 へ

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■苦難の中で神を見上げる / 岩井基雄

2013年10月04日 | Weblog
2013/10/4放送

 世の光の時間です。お元気ですか? 岩井基雄です。今日もご一緒に旧約聖書の詩篇を味わいましょう。今日は詩篇74篇12節です。

 「確かに、神は、昔から私の王、地上のただ中で、救いのわざを行なわれる方です。

 ダビデ王時代の音楽家の「アサフによるマスキール」という表題がつけられています。このマスキールという意味は教訓的な内容の詩篇という理解もあるようです。この詩篇74篇の背景には、イスラエルがバビロンに征服され、エルサレムの神殿が破壊され、周囲の国々から嘲笑されているという状況がありました。この詩篇には、その状況を招いたのはイスラエルの民の不従順の罪であることを認めながらも、神の約束に訴えて赦しと回復を求める呻きのような祈りが描かれています。

 アサフは苦難の中でも神が不思議な救いのみわざを行われる方だと詠っています。神に信頼して歩む者は神の真実さと愛を信じて救いを持ち望み、自分の心の呻きをそのまま表現することができるのです。苦しみをことばに表すだけでも、人は心に安らぎを得ます。それは真実なそして愛なる神様への祈りとなるとき、そこには限りない平安と救いが与えられるです。

 アサフはこう続けています。
 「どうか、契約に目を留めてください。地の暗い所には暴虐が横行していますから。しいたげられる者が卑しめられて帰ることがなく、悩む者、貧しい者が御名をほめたたえますように。」 20節、21節

 自分たちの罪や愚かさを神の前に認めながら、神様の愛と憐れみにすがります。愚かな者をも憐れみ守られる神様の愛の契約を思い出して欲しいと求めているのですね。それは勝手な祈りかもしれませんが、神はその祈りを聞き、彼らに脱出の道と平安を与えられました。不思議な導きの中にあって、バビロンがペルシャによって滅ぼされ、イスラエルの民は約束の地カナンの地へと戻ることとなるからです。どんな状況や苦難の中にあっても信頼し、より頼む神を知っていることは何と大きな支えでしょうか。そしてこの神様は私たちの現実の歴史の中に介入してくださり、恵みと祝福をお与えになることができるのです。

 (PBA制作「世の光」2013.10.4放送でのお話しより)

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 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。
こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし、日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。事前の連絡なしでもちょっとのぞかせてくださいと言えばいいでしょう。
PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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■ダビデは心の中で言った / 福井 誠

2013年10月03日 | Weblog
2013/10/3放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 福井 誠です。今日のバイブル・メッセージは「ダビデは心の中で言った」です。それでは第一サムエル記27章1節から読んでみましょう。

 ダビデは心の中で言った。「私はいつか、いまに、サウルの手によって滅ぼされるだろう。ペリシテ人の地にのがれるよりほかに道はない。 ・・・」

 先週は信仰を持つことの祝福をお話ししました。難しい状況の中で神の守りの中に信頼し、平安の内に心が守られる祝福があることをお話ししました。それは不思議な経験ですが永続的に続くものでもありません。むしろ神に信頼し心守られていく経験は繰り返しであり積み重ねられることなのです。

 ですから私たちが一旦神を見上げることをやめて心の中で自問自答し始めると、すぐにそこに迷いや不安が生じることになります。

 ダビデもそうでした。ダビデは心の中であれこれ考え始め、最初に持っていた平安を失い、合理的に物事を解決しようとします。 ・・・やはりあの時サウルを殺しておけば良かった。このまま行けば自分は絶対やられてしまう。そうだもう敵陣のペリシテの国に逃れるほかはない。・・・  彼は敵の王様に保護を求めるのです。確かにサウルはダビデ王を追うことを諦めました。ダビデは解放されます。

 しかしそれはまがい物の平和でした。ダビデは生きのびるために敵の部族をひそかに略奪し、ばれないように皆殺しにし、敵の王に嘘の報告をする偽りで塗り固められた人生を歩んで行くのです。それも悲しい人生ですねえ。それはあらたな苦悩というべきものです。

 ダビデはこの時、詩篇13篇を歌ったとされます。ダビデは言います。

 「主よ。いつまでですか。あなたは私を永久にお忘れになるのですか。いつまで御顔を私からお隠しになるのですか。」(詩篇 13篇1節)

 状況が一向に変わらない。結局、神のどんでん返しも期待し得ない。このまま無為に時間が過ぎ、時間切れになるのではないか、と思うことは私たちの人生にはあるものです。そこで自分自身に自問自答して自分に答えてしまうのではなく、どこまでも神に答えを求めていく、耐え難きときにこそ敢えて神の時を静かに待つことが最善であるということを分かっていきたいものですね。

(PBA制作「世の光」2013.10.3放送でのお話より )

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 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。事前の連絡なしでもちょっとのぞかせてくださいと言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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■娘の事件 / 板倉邦雄

2013年10月02日 | Weblog
2013/10/2放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしですか? 板倉邦雄です。今日は「娘の事件」と題してお話ししましょう。

 息子や娘をもって親になるということは様々な問題に苦しみ悩む事を意味します。今日はヤコブの一人娘ディナの事件をお話しましょう。創世記34章に入ります。

 さてヤコブ一族は無事カナンのシェケムに到着し、町の外にテントを張り生活することになりました。そこの土地をヤコブはシェケムの父ハモルの家から金貨100枚で買い取り、そこに神様を礼拝する祭壇を築いたのです。

 ある日のことです。ヤコブの一人娘ディナはシェケムの町にいる娘達の所へ遊びに出かけました。ところが部族長ハモルの息子シェケムは一目見てディナが好きになり、無理やり自分のものとしてしまいました。恋心は募る一方でした。何とか彼女の愛を得ようと手を尽くすのです。まず父親に頼みました。「あの子と一緒になりたいんだ。結婚できるように話をまとめてくださいよ、お父さん。」
 
 さて一方父親ヤコブはシェケムが娘ディナを恥ずかしめたことを耳にしました。しかし息子たちはみな家畜の群れの番をしに出かけていたのです。父ヤコブは彼らが戻るまでそのままにしておくことにしました。ところがシェケムの父ハモルの方からわざわざ出向いてきたのです。ヤコブの息子たちもちょうど戻ってきていました。息子たちは話を聞いてびっくりするやら腹が立つやらで、どうにも気持ちがおさまりません。もちろん黙って見逃すわけにはいきません。妹一人の問題ではなく家族全体に対する屈辱だといきり立ちました。

 父親ハモルの申し出はこうです。「今度のことはいい加減な気持ちからではありません。息子は本当におたくの娘さんが好きなのです。妻にいただきたいと心から願っております。いかがなものでしょう、二人の結婚をお許し願えないでしょうか。皆さんが私どもの土地に住み、お近づきになってくださったら幸いです。息子シェケムもディナと父親と兄弟たちに頼みました。「お願いです。どうぞディナさんを僕にください。」

 さてどうなるでしょうか。続きは来週です。

(PBA制作「世の光」2013.10.2放送でのお話より )
 
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■あなたを探す神 1 / 大嶋重徳

2013年10月01日 | Weblog
2013/10/1放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか、今日から火曜日を担当する大嶋重徳です。

 聖書の中にこんな喩え話が出てきます。百匹の羊を持った羊飼いがいました。その羊飼いが羊の群れを集めて家に帰ろうとしました。それで羊を点検した所、一匹足りないことに気付いたのです。この時、羊飼いは、ああしようがないなあ、諦めてもう一匹買って来るか、と考えなかったのです。聖書はこう続けます。「そのうちの一匹をなくしたら、その人は九十九匹を野原に残して、いなくなった一匹を見つけるまで捜し歩かないでしょうか。」(ルカの福音書 15章4節)

 いなくなった一匹の羊、この羊は羊飼いにとって大切な大切な存在だったのです。その羊を百分の一だと諦めることはできなかったのです。

 聖書はよく人間を羊に喩えます。この羊飼いはイエス様を喩え、羊は私たち人間を喩えています。私たちを取り囲む社会は私たちのことをいつでも替えの効く存在だと思わせてきます。あなたがいなくても代わりになる人はいくらだっているよ。・・・しかしここで羊飼いであるイエス様は私という一匹の羊を、100分の1だとは思わない、必ず見つけるまで探し歩く大切な存在だ、と言うのです。

 私も15才の時にイエス様に見つけてもらいました。中学生の頃はタバコも吸って、親にも反抗しました。学校も喧嘩して停学にもなりました。クリスチャンであった母が、神様、神様、と言うのがうっとおしくて教会にも行かなくなりました。しかしそんな時も神様は私の名前を呼んでくださっていたのです。神様なんていないと否定する私を神様はクリスチャンならいくらでも他に替わりがいるからとは言わないのです。あなたがいないとだめなんだ、あなたをどうしても見つけるのだ、と言われるのです。 あの時イエス様は「重徳、重徳」と呼んで私を命がけで探してくれていたのです。

 今朝この放送を聴いてくださっているあなたもまたそうです。100分の1ではありません。あなたは神様にとってかけがえのない存在です。あなた今あなたを探しておりイエス様の声が聞こえるでしょうか? じっと耳を澄ませていただきたいと思います。

 イエス様の声が聞こえるならば、「はい。ここにおります。」と、目を閉じてそのようにお答えしていただきたいと思います。そしてお近くの教会をぜひおたずねください。そこにもイエス様と同じくあなたと出会いたいと願っているあなたの町の教会がありますから。

 ( PBA制作「世の光」2013.10.1放送でのお話しより )

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