♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して72年、
PBA『世の光』を文字で 

■わたしはあなたを愛している

2006年11月18日 | Weblog

 世の光の時間です。お元気でしょうか。羽鳥 明です。さ、今日の世の光は、皆様からお寄せいただく「心に残る聖書のことば」の御紹介です。神奈川県川崎市にお住まいの小川さんは旧約聖書イザヤ書43章4節のことばをお寄せくださいました。お読みしましょう。

わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。

 まだクリスチャンではない頃、貧しさと憂い、人の批判に怯え、学校の成績と言えば下から二番目。何をやっても、やろうとしてもおもしろくない、力が出ないという時期がありました。生まれてからずっとの考えでしたので、自分ではこの思いを変えることができませんでした。死にたくなってさまよっていた時に教会に出会ったのです。その時に与えられたのがこの聖書のことばです。神様御自身のおことばでした。愛されている神様にこの私が愛されていると分かってから私は力を得ました。人生とは喜びである。試練があっても喜ぶものなのだと知りました。

 小川さん、素晴らしいことでしたね。人の目が私をどう見ようと、私自身が自分のことをどう見ようと、そんなこと問題ではありません。神様の目には私は高価で尊いのです。神様は私のことを大切にしていて下さる。愛していて下さる。神様はこのことばのあとに、こう続いて言われているのです。「だからわたしは人をあなたの代わりにし、国民をあなたのいのちの代わりにするのだ。」何のことでしょうか。神様は私の代わりに御子イエス・キリストを十字架の上で死なせ、罪人である私が受けるべき裁きをキリストに負わせて私を救ってくださったのです。何という愛でしょう。

 小川さんの心に残る聖書のことば、神のことば。
わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。」旧約聖書イザヤ書43章4節のことばです。

 それではまた聞いてください。

 ( PBA制作「世の光」06.11.11放送のお話しより)


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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。


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■心豊かにする聖書

2006年11月17日 | Weblog

 世の光の時間です。お元気ですか? 安海靖郎(あつみ・やすお)です。

 秋も深まり、読書のために絶好の季節となりました。この秋はぜひ聖書を読んでみよう、っていう方もおられることでしょう。国際化社会と言われる今、世界のベストセラーと言われる聖書を知ることは大いに役立つことでしょう。

 日本が世界に誇れる国際人として有名な新渡戸稲造(にとべ・いなぞう)。この新渡戸稲造は若い時に聖書に出会い、聖書を読み、そこの上に自分の人生観・世界観を築いて世界的に活躍した人として有名です。

 盛岡市の郊外にある先人館という記念館には、この新渡戸稲造の生涯の資料や著書がたくさん展示されています。そこに「新渡戸稲造が最初に買った洋書、そして最後に買った洋書」という説明で二冊の本が展示されています。二冊とも英文の聖書です。新渡戸稲造はこれを熟読し、世界観が変り、生き方が大きな影響を受けたというのです。更にこの資料の中には、彼は札幌の農学校時代に神の声を聞いた、って説明されてありました。それは何も超自然的な経験をしたっていうことよりも、若くして敬虔なクリスチャンだったクラーク博士のもとで聖書を読み、学び、そこに示されているまことの創造主なる神の存在を知ったこと、そして聖書によって人生の土台が造られ、世界観が築かれていったということでしょう。

 聖書は世界の創造者なる神を説明し、そしてその神は世界を愛し、その独り子を与える程に私たち一人一人を愛してくださっている。そして期待してくださっていることが説明されています。また世界の歴史は神のマスタープランに従って進んでいることが書かれています。新渡戸稲造はそれを知って信じて、自分の小さな殻に閉じこもるのではなく、人のため世界のため神のために生きる自覚、人生の目的を持ったということです。

 灯火親しむ(秋の)の候、あなたも聖書に親しみ、お近くの教会で学び、新渡戸稲造のように神の声を聞いて、生きる目的、心の支えをしっかりと持って、大きなビジョンと希望を持って歩んでください。
 

  (PBA制作「世の光」2006.11.17放送でのお話しより )


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■福音が広まる

2006年11月16日 | Weblog


 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 福井 誠です。今日は聖書の中のテモテへの手紙第二から読んでみましょう。

 「キリスト・イエスのりっぱな兵士として、私と苦しみをともにしてください。」 テモテへの手紙第二 2章3節

 パウロはこの手紙をローマの獄中から書きました。自分の殉教の死が近いことを感じつつ、少しでも宣教が前進することを願い、テモテに励ましを送っています。私は、このことばに込められた連帯感に教えられる思いが致します。

 紀元64年、パウロはローマ皇帝ネロの迫害の際に殉教したと言われます。その頃の迫害はまだ地方的・散発的なものであったと言います。しかし紀元112年、パックス・ロマーナと呼ばれローマが栄えた時代、良い皇帝が続出するようになると、良い皇帝ほど国家に忠実であったため、皇帝崇拝が強要され、迫害が強まる結果となりました。こうして迫害は国家権力による組織的なもの、恒常的なものと変っていくのです。皇帝デキウスやディオクレティアヌスの時代は最悪だったと言われます。313年、皇帝コンスタンティヌスによりキリスト教は公認され、迫害の嵐から解放されていきます。

 約3世紀に渡るこの時代、キリスト者は会堂を持たず、ひたすら殉教と宣教を阻む外圧に荒らされながらも信者を増やしていきました。そこにはキリストの福音が真実であるという確信、それを伝えたいという熱意のみならず、自己中心な思いを捨てて、互いに助け合い、支え合い、連帯する姿があったのでしょう。私たちも、この迫害の無い、豊かな時代に於いて、同じようにすべてのエネルギーを宣教に注ぐならば、そこには何が起こることでしょうか。互いに宣教の使命に立つ良き協力者として歩みたいものです。

 聖書のことば。
 「キリスト・イエスのりっぱな兵士として、私と苦しみをともにしてください。」 テモテへの手紙第二 2章3節

 (PBA制作「世の光」2006.11.16放送でのお話しより)

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■福音の四季 : 冬になる前に

2006年11月15日 | Weblog
 
 世の光の時間です。お元気でしょうか。羽鳥 明です。さあ、今日の世の光は、まず皆様からのお便りの紹介です。 東京都の板橋区にお住まいのT・Nさんからいただきました。

 小冊子や本、何か戴けるという時だけ葉書出してすみません。スタッフの皆さんの軽妙で爽やかなトーク、もちろん羽鳥 明先生の心に滲みるお話、毎日曜朝、番組は欠かさず聞いております。
 
 T・Nさん、お便り、それでも何でも結構なんですよ。私たちは一人でも多くの方からのどんなお便りでも待っています。

 さあ、今日の世の光、福音の四季の題は「 冬になる前に」、聖書の箇所は新約聖書テモテへの手紙第二 4章21節。お読みいたしましょう。
 「何とかして、冬になる前に来てください。

 ローマで牢に軟禁されていた使徒パウロが、愛する自分が生んだ霊的な子・弟子のテモテに書いた手紙です。昔は今と違って冬になると旅行が困難になります。早く、ちっとでも早く愛するテモテに会いたい。パウロの心情がポロッとこぼれていることばですねえ。「冬になる前に来てください。」さざんかの花が咲き、めだたないひいらぎの小さな白い花が咲く。冬の到来を思わせる時ですね。冬になる前に、パウロにとって処刑の日はもうやってくるかもしれない。動きの取れなくなる冬が来る前に。

 私の尊敬する今は亡き森山 諭先生、先生が作られた名聖歌・『夕べ雲焼くる』(聖歌622番・新聖歌148番)というのがあります。

   夕べ雲焼くる空を見れば
   主の来たり給う日の忍ばる
   ああ神の前に 我 勤(いそ)しまん
   業終(や)むる時の間近き今

 神がこの世の終わりの日に来臨される。さばきの日、すべてが終わる日、その日が来る前に今、一生懸命恵みの福音を述べ伝えよう。森山先生らしい叫びです。歌です。私たち一人一人にもこの「冬が来る前に」という覚悟がなくてはなりませんねえ。

 聖書のことば。
  「何とかして、冬になる前に来てください。
   テモテへの手紙第二4章21節のことばです。
 
 それではまた聞いてください。

 ( PBA制作「世の光」2006.11.15放送でのお話しより )

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■方向を変えよう

2006年11月14日 | Weblog


 世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか。関根弘興(せきねひろおき)です。今日も一日さわやかに過ごしていきたいですね。

 バプテスマのヨハネ、ま、洗礼者のヨハネと言いますが、あなたはこの人の名前を聞いたことがあるでしょうか。彼はですね、聖書によればどんな生活をしていたかというと、荒野に住んでいたというんですね。ヨハネのこの姿を見ると、とても健康的と言いましょうか、こう紹介されているんです。「ラクダの毛で織った物を着て、腰に皮の帯を締め、いなごと野蜜を食べていた。」(マルコの福音書 1章6節 )って書いてあるんです。まあヘルシーな食生活ですねえ。

 以前私が自分の田舎に帰るといつもそこにはいなごの佃煮が食卓に置いてありました。私の母は秋になるといなごをいっぱい捕ってきたんですねえ。そしていなごの佃煮を作ったんです。ま、どうも私は好きになれなかったんですが、ま、確かにカルシウム豊富で健康食品なんだろうなと思います。

 バプテスマのヨハネはいなごと野蜜を食べていたというのですから、まあ元気一杯だったのでしょう。そんな彼が荒野で何をしていたかって言いますと、何と叫んでいたと言うんですよ。一人一人に悔い改めを説いていたと書かれています。

 「悔い改め」とは一体何でしょう。それは方向を変える、向きを変えるという意味なんですねえ。生き方の方向を変えることなんです。ヨハネは叫んで言いました。「皆さん、あなたの今までの道ではだめです。神様を否定して神様なんかいるもんかと言って神様に背を向けて歩んでいたらだめです。自分の道を180度変えて神様の方向に向きを変えなさい。そしてそのために洗礼を受けなさい。」と彼は毎日語っていました。そしてその声は多くの人が聞くことになったのです。

 もし人が人として生きていこうとするなら、このヨハネのことばをどこかで考えなければならないです。あなたは今まで自分勝手に生きていませんでしたか? 神様の方に向きを変えて生きていきなさい、そうすることがすべての人に必要なんですよ、というヨハネのことば。これは私たち真剣に考えなければならないことですね。

 そしてヨハネは、まことの救い主であり恵みと真実に溢れたイエス・キリストへと人々の目を向けさせていった人物でもありました。彼は地位の高い人であろうが、領主であろうが、誰であろうが、この悔い改めを迫ったんです。向きを変えなさい、方向を変えなさい、と迫り続けました。

 そして聖書は、あなたも方向を変える必要がないかと、神様を見上げる人生へと方向を変えていくべきではないかと、聖書はあなたにも語り続けているんです。あなたはどう応答して行きますか?
 
 ( PBA制作「世の光」2006.11.14放送でのお話しより )

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■生まれたままの人間では

2006年11月13日 | Weblog

 世の光の時間です。お元気でしょうか。村上宣道です。

 えー、あのー、人間であるという事と人間になるという事とは違う、っていう言い方を致しました。これは、元京都大学の先生でもありました思想家でもあり哲学者として知られています丸山真男(まるやま・まさお)って方が言ったことばですねえ。で、人間はいつかどこかで、人間であるというそういう生き方から、人間になるという実存的な決断が必要だというふうに言われたことばは味わい深いなあと思ったんですねえ。

 で、イエス様は、「人は、新しく生まれなければ、神の国を見ることはできません。」(ヨハネの福音書 3章3節 )というふうに言われてですねえ、「肉によって生まれた者は肉です。御霊によって生まれた者は霊です。」(ヨハネの福音書 3章6節 )という言い方をなさいましたが、肉によって生まれた者、--私たちが生まれたままのその動物としてのまあ延長線上--、のままだったとしたら神の国に入ることはできない。

 私たちは人間であると言ってみたところで、別に自分で決断して犬にしようか猫にしようか豚にしようか、やっぱり人間がいいかあ、って言って決断して人間に生まれてきた訳ではなくって、生まれてきてみたらたまたま人間であったに過ぎない。犬ではない、猫ではない、猿ではない、という動物の種類としての人間であるっていうだけだったら、それほど意味はないという事ですね。

 しかし人間は他の動物と何が違う、どこが違う、人間は本来どう造られて、どう生きるようにどうあるべきなのか、というようなことをいつかどこかで人間は自覚して、ああこれが本来的な人間ということなのだということのその自覚の中で人間になるという一つの決断が必要ではないかというふうに、イエス様は肉から生まれた者は肉だというふうに言われて、それはただどんなにかっこ良くっても性格が良かったとしてもそのような肉から生まれたままの、つまり動物の延長線上のままのずるずる人間をやっているというだけだったら神の国にはふさわしくない、神様との交わり・接点を持つということはできない、というふうに言われた訳ですね。

 ですから自分でじゃあ新しく人間になるって決断して成れるかって言うと、そうもいかない訳ですけれども、だから「神の霊によって」と言われたんですが、神様の力を戴きながら神様のお恵みによってですね、人間が新しくさせて戴くことによって新しい人間として生きることができる。人間になるというその出発が必要だということですねえ。

 ( PBA制作「世の光」2006.11.13放送でのお話しより)


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■神にとってはやみも暗くなく

2006年11月11日 | Weblog

 世の光の時間です。お元気でしょうか。羽鳥 明です。さ、今日の世の光は、皆様からお寄せくださる「心に残る聖書のことば」の紹介です。千葉県流山市にお住まいの塙さんは旧約聖書詩篇139篇11、12節をお寄せくださいました。お読みしましょう。

 たとい私が「おお、やみよ。私をおおえ。私の回りの光よ。夜となれ。」と言っても、 あなたにとっては、やみも暗くなく夜は昼のように明るいのです。暗やみも光も同じことです。

 私が仕事に行き詰まり、人間関係に行き詰まり、にっちもさっちも行かない時に、自分ほど惨めで駄目な者はないと絶望していた時、私はこの聖書のことばに接しました。神様は、あなたの感じているこの暗さは何なのか、あなたが思っている絶望は何なのか、と問いかけてくださいました。「神様にとっては暗闇も光も同じことだ」と私はこの神様のことばに圧倒されました。この大いなる神様に讃美と感謝を捧げ、悔い改めたことでした。

 塙さん、良かったですねえ。神様にとっては闇も暗くなく夜も昼のように明るいのですねえ。

 昔、ブラザー・ローレンスという人がいました。ある冬枯の林を歩いている時に、この枯木同然のようになっている木の中にもいのちの水が流れていて、やがて春には細い枝元から芽吹き、緑の葉に覆われ、花が咲き、実を実らせるのだと感じとりました。その時以来ブラザー・ローレンスは、目を閉じると枯枝に花を見、どんな暗闇の中にもいのちの光を見つけることができるようになりました。彼が書いた小さな本、『臨在の修行』という本は今も読む多くの人々に感銘を与え続けているんですねえ。

 塙さんの心に残る聖書のことば。
あなたにとっては、やみも暗くなく夜は昼のように明るいのです。暗やみも光も同じことです。」旧約聖書詩篇139篇11、12節のことばです。

 それではまた聞いてください。

 ( PBA制作「世の光」06.11.11放送のお話しより)


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■人生再スタート

2006年11月10日 | Weblog

 世の光の時間です。お元気ですか? 安海靖郎(あつみ・やすお)です。

 ああ人生やり直しができたらなあって思う時って誰にでもあるのではないでしょうか。やり直しができると考えるのと、無理だ出来ないと考えるのでは大きな違いです。その人の一生が成長と成功に向かっていくか、あるいは挫折してしまうかというほどの違いをもたらします。例えば、やり直しは出来ないって思ってしまうと、行き詰まって自分のいのちを絶ってしまうという結果にもなってしまいます。

 ボランティアで『あんこや』というネット名 (http://www.f2.dion.ne.jp/~ankoya/)で自殺予防活動をしている大塚さん、こんなことを言ってるんです。「深刻なメールや電話を受け取ると、話を聞いて必ずこう言うんです。『大丈夫、やり直しできる。セカンドチャンスあります。』」と。ま、そこから会話が続いていくんだそうです。ま、日本はなかなかセカンドチャンスが難しいって言われますね。一度失敗するとレッテルを貼られてしまう訳です。大塚さんは更にこうも言っています。「行き詰まってどうしようもない人に頑張れと言っても駄目なのです。『やり直すこと、必ずできます。できる力を与える方がいるんです。』」って言うそうです。そして「ただことばだけでなく、実際に私たちの心の悩み苦しみを理解して支えてくれる方がいること、そしてそれこそが本当の神、救い主イエス・キリストだと説明すると、少しづつ希望が出てくる」って言うんです。
 ま、そのことを裏付けるような出来事が新約聖書のヨハネの福音書4章に書かれています。キリストが一人の婦人を訪れて会話をした出来事です。この婦人はバツ1どころか、バツ5。5回も結婚に破れ、6人めの男性と同棲していたという人でした。ですから外出する時も人目を忍んでというような閉じこもったような生活をしていました。キリストはこの婦人を訪れ、そして、人生に生きる意味があること、価値があること、そして永遠のいのちについて教えました。それまでの暗い生活、それをもたらした過去からすっかり離れて本当の神を信じ、礼拝していく生き方のことです。彼女はこのことを知って、本当に変りました。それどころか町に出て行って大勢の人に自分のこの経験を話します。そしてその多くの方々もこのキリストに出会って、この方こそ世の救い主だと知ったというのです。

 あなたもこんなやり直し、輝く人生ができるのです。

  (PBA制作「世の光」2006.11.10放送でのお話しより )


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■愛の祈り

2006年11月09日 | Weblog


 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 福井 誠です。今日は聖書の中のルカの福音書から読んでみましょう。

このころ、イエスは祈るために山に行き、神に祈りながら夜を明かされた。」新約聖書ルカの福音書6章12節。

 宮本常一という民俗学者が『家郷の訓(おしえ)』という本を書いています。それは常一さんの故郷である山口県大島での明治末から大正にかけての暮らしを描いたものです。その中に、「母親の心」と題した一章がありますが、そこで常一さんは当時の母親たちにあった朝早い祈りの習慣を書いています。

 毎朝3時半、二番鳥が啼く頃になると、どこからともなく宮参りの人の石段を昇り降りする下駄の音が鳴り出し、「おかか!」とか、「ようい、おばいさ」と声がかかり、連れ立って行くというのです。足音が浜へ降りると消えて、続いて柏手の音、そしてしばらくすると石段を昇る音がまた聞こえ始める。ある朝、常一さんは、一体母親たちが何を祈っているのかと、その群れに紛れてみたと言います。すると母親たちは、次々と子どもの名前を挙げて、「どうぞ健康であるように。息災なように。もし病気にでもなることがあったならどうぞこの私を代わらせていただきたい。たとえどのような苦しみを受けましょうともよろしゅうございます。」と祈っていたそうです。当時病気で療養中であった常一さんは、そのことばについ涙をこぼしてしまったそうです。そして言うのです。「親たちはかくまでその子を愛して、その子のいのちをいたわっているのである」と。

 今の時代では考えられない習慣ではないでしょうか。しかし多くのキリスト教会ではイエスの祈りの姿勢に倣って、みなで集まりあって祈る習慣が今なお続いています。あなたも教会へ出掛けて愛をもってとりなし、心を注いで祈ってみませんか?

 聖書のことば。
イエスは祈るために山に行き、神に祈りながら夜を明かされた。」ルカの福音書6章12節。


 (PBA制作「世の光」2006.11.09放送でのお話しより)

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■福音の四季 : 私のナルドは香りを放ちました 

2006年11月08日 | Weblog

 
 世の光の時間です。お元気でしょうか。羽鳥 明です。さあ、今日の世の光は、まず皆様からのお便りの紹介です。 長野県の小布施町にお住まいの原さんからいただきました。

 終戦から61年。あの時私はメコン河畔ベトナムのクラチエ連絡所にいました。陸軍上等兵でした。当時のことは忘れがちですが、88歳の今も生かされています。ありがとうございます。

 原さんも同じ戦争体験者ですねえ。御苦労なさったことでしょう。さあ今日の世の光は福音の四季です。

 聖書をお読みいたしましょう。旧約聖書雅歌1章12節です。 
王がうたげの座に着いておられる間、私のナルドはかおりを放ちました。

 ある先輩から聞いた話です。あるデパートの売り場で体験した事でしたが、一人の婦人客がいかにも嶮高く侮蔑的な態度で売り子の女性に言っていました。「あんたの顎のあざ、生まれつきなの? それとも別?」そばでそのことばを聞いてハラハラしていると、その売り子さん、ニコニコしながら明るく言ったそうです。「これですかあ? これは私の一番大事なアクセサリーなんですよ。」そのことばを聞いた私の先輩、今お読みしたこの雅歌のことばを思い出したと言いました。

 パウロはコリント人への手紙の中で、こう言っています。「私たちは、救われる人々の中でも、滅びる人々の中でも、神の前にかぐわしいキリストのかおりなのです。」(コリント人への手紙第二 2章15節) クリスチャンは人々の前でかすかにほのかにキリストのかぐわしい香りを放つ者でなければならないというのですね。私たちはどんなにおいを放っているでしょうか。嫌な自我臭、きたない生臭い肉の腐った臭いではないでしょうか。しかし私たちが心から悔い改め、心の中にイエス・キリストをお迎えして住んでいただくならば、キリストのかぐわしい香りが周りに気づかれるでしょう。
 
 聖書のことば。
王がうたげの座に着いておられる間、私のナルドはかおりを放ちました。」旧約聖書雅歌1章12節のことばです。 
 それではまた聞いてください。
 
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