♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して72年、
PBA『世の光』を文字で 

■口も重く、舌も重い  / 板倉邦雄

2014年12月31日 | Weblog
2014/12/31放送


 世の光の時間です。いかがお過ごしですか? 板倉邦雄です。今日は、「口も重く、舌も重い」という題でお話ししましょう。

 「口上手の商い下手」ということわざがあります。口では達者ですけれども商いとなるとどうしょうもない人を言います。ところで、モーセという人は口は重く舌も重い、いわゆることばの人ではありませんでした。しかし協力者を得てエジプト脱出という大事業を成し遂げたのです。

 さてモーセは主なる神に続けて訴えました。「ああ主よ。私はことばの人ではありません。私は口も重く舌も重いのです。」

 主なる神は答えました。「誰が人に口を授たのか。耳は、目は、誰が与えたのか。口べたや不自由な耳や目を与えたのも主なるわたしではないのか? それゆえ、行きなさい。わたしはあなたの口と共にあって、あなたの言うべきことを教えるであろう。」

 それでもモーセは言い返し、訴えました。 「ああ主よ。どうかは他の適当な人をお遣わしください。」
 
 とうとう主なる神様はモーセに向かって怒りました。「あなたの兄弟にはアロンという兄がいるではないか。私はアロンがことばに優れているのを知っている。見なさい。兄があなたに会うためにやってくる。あなたはアロンに語るのです。あなたのことばをアロンの口に授けなさい。わたしはあなたの口と共にあり、アロンの口と共にあって、あなたがたのなすべきことを教える。アロンはあなたに代わってわたしのために語るであろう。アロンはあなたの口となり、あなたはアロンのために神に代わるであろう。あなたはその杖を手に取り、杖をもってしるしを行いなさい。」

 さて、この世にはことばの人もいれば口下手の人もいます。足の人もいれば手の人もいます。目の人がいて耳の人もいるでしょう。この人間の社会はあたかも一人の人間のそれぞれの器官のようですねえ。口は口のためではなく他の体のためにあります。手や足も同じです。私たちは自分のために存在するのではなく、他者のために存在し生きるとき、本来の私が生かされていくのです。主なる神様はそのような存在と居場所を与えるために私たちお互いをこのように置いているのではないでしょうか。

 さて今年一年お聴きくださって、ありがとうございました。では来年もよろしく。

 (PBA制作「世の光」2014.12.31放送でのお話より )

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