♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して72年、
PBA『世の光』を文字で 

■真理であり、いのちである方 / 岩井基雄

2013年03月29日 | Weblog
2013/3/29放送

世の光の時間です。お元気ですか? 岩井基雄です。イエス・キリストは死刑に相当する罪などまったくなかったにもかかわらず、不当な裁判を受けました。当時ローマの支配下にあったイスラエルは、死刑の執行にローマの許可が必要でした。ユダヤ側の裁判では有効であった神への冒涜という罪はローマ側では死刑の理由にならなかったのでユダヤの当局者たちはイエスを自分を王だと主張する政治的犯罪者としてローマ総督のポンテオ・ピラトに訴えたです。

 「あなたは、ユダヤ人の王ですか。」(ヨハネ 18章33節)と尋ねたピラトに対しイエスは、「わたしの国はこの世のものではない。」(ヨハネ 18章36節参照)と答え、更に「わたしは、真理のあかしをするために生まれ、このことのために世に来た」(ヨハネ 18章37節)と言いました。

 地上のことだけに心を向けるピラトはイエスの意味する真理ということばが理解できません。しかしローマの権威にも動じることなく冷静で威厳に満ちたこのイエス・キリストの姿はピラトに脅威を与えるものだったのかもしれませんね。裁く側のピラトが真理を証しするキリストに裁かれているようにさえ思えたことでしょう。

 ピラトはキリストに「真理とは何ですか。」(ヨハネ 18章38節)と尋ね、「イエスには罪を認められない!」(ヨハネ 18章38節参照)と宣言します。そして何とかしてキリストを釈放しようと努めますが、その思惑はことごとく失敗し、イエスを無罪とすることはローマ皇帝への反逆だとまで迫られたピラトは、遂にキリストを(十字架につけるために)ユダヤの当局者たちに引き渡し(ヨハネ 19章16節参照)、自分は無関係であると逃げるのです。

 このように神の前の真理に立つことができなかったピラトですが、私たちも彼を笑うことはできません。私たちも人を恐れ、自分の立場を守ろうとし、真理を求めながらもそれを行うことができない罪ある存在だだからです。しかしイエス・キリストは真理を行うことができない私たちの罪を赦し、命を与えるために十字架へとまっすぐに向かわれました。そして私たちに代わってすべての罪のさばきを受け、私たちに救いの道、真理と命の道を開かれたのです。イエスはあなたにも語られます。
 「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。」(ヨハネ 14章6節)
 
 あなたも信じてあり命であるイエス・キリストを通して神のもとに帰る者とされませんか?

(PBA制作「世の光」2013.3.29放送でのお話しより)
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 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。
こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし、日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。事前の連絡なしでもちょっとのぞかせてくださいと言えばいいでしょう。
PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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